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毎日エッセイ1 (2020年11月24日〜30日)

11月30日

 住んでいる場所からさほど離れていないところに国道16号線が走っている。首都圏の大動脈で、大型トラックが次々に通り過ぎる。片道3車線ないし4車線。ロードサイドには大規模な量販店やモール、ファミレスなどが点在している。
『国道16号線スタディーズ』という本を読んだ。塚田 修一・西田 善行編、青弓社、2018年。出版社からもわかるとおり、社会学系の本である。
 目次を開くと、関東地方の白地図に黒黒と太い線で16号線が描き込まれている。横須賀から始まり、町田、八王子、春日部、柏、八千代、千葉、を通って富津で終わっている。関東の人口密集地を縁取るようにぐるりと巨大な円を描いている。
 それを見て、自分が16号線の東近辺か西近辺で生きてきたのだと気づいた。育ったのは千葉県で、父親はそこから都心に通勤し、自分も電車を乗り継いで東京の大学に通った。家を出てからは東京の西側のアパートやマンションを転々とした。今も仕事の関係で東京都の西の外れに住んでいる。一言でいえば郊外育ちの郊外暮らしということになる。そしてそのことをどこかでコンプレックスに感じている。平凡で無個性で量産型の街並みで育ち、都会的なセンスとも個性的な地方色とも無縁の人生だ。
 16号線もまた、いわゆる「ファスト風土化」の象徴的幹線とされている。つまりロードサイドに地域の特性や歴史を捨象した大型チェーン店が並び、人々は車でそうした場所を訪れる。周辺にあるのは住宅とともに工場や倉庫であり、華やかな都市の「バックヤード」をなしている。
 例えばこの本の中で近森高明は、16号線沿線には多数の送電鉄塔が存在していると指摘する。それは鉄塔と16号線が都市との関係において似たような位置を占めているからだ。鉄塔は山間部のダムや臨海地域の火力発電所で生産する高圧電流を消費地まで運ぶために存在している。電流は人口密集地の手前で変電所で電圧を変換され、景観を意識した地下ケーブルや路肩の電線へ分散される。鉄塔は首都圏をリング状に取り巻く。つまりは16号線同様、首都を支えるため日夜稼働しているむき出しの巨大インフラなのである。
 こうしたインフラとしての16号線沿線は、フランスの人類学者マルク・オジェのいう「非−場所」としての性格を帯びているという(丸山友美)。オジェの考える「非−場所」とは、空港やビジネスホテル、ショッピングモールのような人々が通過していくための固有性や歴史性を持たない場所をいう。もっともこの本の著者たちは、沿線を典型的な「ファスト風土」としてみる眼差しを超えて、固有の歴史性を見出そうとしているようである。


11月29日

ブンゲイファイトクラブ3(註1)打ち上げにおける(なされなかった)挨拶(註2)

 みなさん、こんにちは。今年で三度目になるブンゲイファイトクラブも無事に終了しました。まずは王者となった左沢森さんにお祝いを述べたいと思います。そして他のファイターのみなさんの健闘を称え、またジャッジの方々のご苦労をねぎらい、主催の西崎憲さんをはじめ、運営に力を尽くしてくださった方々に心からのお礼を述べたいと思います。みなさまのおかげで、大変素晴らしい戦いを楽しむことができました!
 もうご承知かもしれませんが、私は予選敗退で、本戦に参加することはできませんでした。私だけではなく、初代王者の北野勇作さん、昨年のチャンピオン蜂本みささんも参加できませんでした。番狂わせばかりの波乱の幕開けだったわけですが、BFC では過去の栄光は何にもならない、活発に新陳代謝が行われている風通しのいい場所だと証明されたのだと思います。
 私がBFC のことを知ったのは一昨年です。最初は何かネットで得体の知れないことが行われているくらいの感覚でした。昨年、自分でも応募して一気に夢中になりました。ファイターになれた時はゾクゾクしましたし、他のファイターたちの作品を読んでも感嘆するばかり、バトルとジャッジを読んでは興奮しっぱなしの毎日でした。
 今年は観客側に回ったことで、少し落ち着いてBFC を眺めることができた気がします。そこで、なぜここまでBFC に惹きつけられたのかをちょっと考えてみたいと思います。
 二十歳の頃、文学に関わって生きていきたいと思うようになってから約30年、評論めいた文章を発表するようになってから20年ほどが経ちますが、その間、聞こえてくるのは基本的に景気の悪い話であり、書籍の売り上げ減であるとか、書店数の減少だとか、文学はもはや不良債権であるとかいうものがほとんどでした。自分でも文学はもう衰退分野ではあるのだろう、それでも好きになってしまったのだから仕方がない、とどこか諦めまじりの気持ちでものを読み書きしてきました。
 ではその時自分にどのように文芸の風景が見えていたのかというと、普通に書店に並んでいる本や、文芸雑誌に名前や書評が出たりする作家しか目に入っていなかったと思います。つまり商業作家が書いた、商品としての書籍ですね。これはごく普通のものの見方であろうし、出版社の人も、一般人もほとんど変わりがないだろうと思います。これを仮に、目の前の風景を眺めている「人の目」と呼びたいと思います。
 今みたいな初冬の川べりに立って、水辺の風景を眺めている。そんな情景を想像してください。優雅に羽をたたみながら白鷺が舞い降りるかもしれないし、銀色の鱗をきらめかせながら鱒が跳ねるかもしれない。つまり魅力的な生き物はところどころにいる。だけど全体としてはどことなく寂しげな河原です。時折、冷たい木枯らしが吹き過ぎて茶色く立ち枯れた葦の葉を揺らします。
 だけどここで「人の目」を捨てて、むしろ水生昆虫になって、河の中に潜ってみたらどうでしょう。そうすると地上からは見えなかった小魚の群れが岩陰を遊泳している、ヤゴやカワニナが泳ぎ、沢蟹が水底を移動し、ドジョウが泥濘に潜り込み、ゆらめく藻の陰に半透明なエビが潜んでいる。つまり色も形態もさまざまな無数のいきものが互いに関係しながら豊かな生を営んでいる。
 BFC との出会いは私にそれに似た衝撃を与えました。自分の気づかなかったところで、主にネット上でと言えるかもしれませんが、かくもたくさんの人が、情熱を持って作品を書いている。小説ばかりでなく短歌や俳句もあり、小説にしたところで、驚くほど多様で、みな違っており、それこそ水辺で奇妙な生き物を発見した子供みたいな興奮を覚えました。
 結局文学が斜陽だなどと思っていたのは私の視野が狭かったからで、実はあらたな生態系が形成されており、そこから休みなく魅力的な作品が生まれていたのです。自分自身もその生態系の一部になりたい、と強く思いました。
 BFC に出会って変わったのはたくさんの人の名を覚えたことです。いや本当を言うと人の名を記憶するのが苦手で、ほとんどはうろ覚えなのですが、それでもBFCでみたことあるぞ、というお名前を、何かの賞だったり、掲載作だったり投稿だったりでお見かけすることが何度もありました。これはBFC が独立した存在ではなく、むしろより大きな「生態系」──というのはつまり「書くこと」と「読むこと」が連なりあってできているネットワークです──を切り取ったに過ぎないことを示しています。そしてBFC 自身も、イグや落選展のように新しいネットワークを次々に周囲に生み出していきます。
 今の「人の目」「虫の目」という比喩では、水中と水上の差が、アマチュアと商業作家の違いに対応していると思われるかもしれません。けれども、それは私の意図ではありません。そもそもアマチュアかプロかというのは、この生態系では本質的な事柄ではないと思っています。それよりも重要なのは、これまでの出版流通ルートとは異なるところに、すでに無数の創作の現場があり、充実した創造が行われているということです。そこでは純粋な読む喜びと書く喜びが──もちろん書く苦しみを込みで──稼働している。そのことに私は感動したのです。自分が文章を書きたいと感じた初期衝動を思い出しました。
 ずいぶん長く話してしまいました。あと少しで切り上げます。
 もしBFC 4が開かれず、ブンゲイファイトクラブが今回で終わってしまったとしても、無数の小さな創作現場のネットワークはますます大きく広がっていくだろうと私は思っています。それどころか、日本以外の色々な国々でも同じことが起きているのではないかと夢想しています。たぶんこれは文芸が社会の変化に適応して進化していくプロセスなのです。
 けれども私は早くもBFC 4を心待ちにしています。来年もこの高揚を味わいたい。次こそはファイターに復帰します。みなさん、またリングで会いましょう。
 ご静聴ありがとうございました。

註1 ブンゲイファイトクラブ 2019年より行われているネット上の文芸イベント。主催は小説家・翻訳家・アンソロジストの西崎憲。原稿用紙6枚の作品のトーナメント形式で王者を決める。今年は10月31日から11月28日まで行われた。こちらで出場作品を読める。
https://note.com/p_and_w_books/n/ne4c8de0ec133

註2 BFC 3の終了を受けて11月28日に新宿区参宮橋で懇親会(打ち上げ)が行われた。実際には簡単な自己紹介だけで、スピーチなどは行われなかった。

11月28日

 Mukbangという動画ジャンルを知った。モクバン。韓国語で「食べる」と「放送」をつなげた言葉だそうで、発祥は韓国だという。カメラの前で膨大な食べ物を一気食いしてみせる。ただそれだけのビデオである。特徴的なのは、それを行う配信者が皆若くほっそりとして見えることだ。日本のテレビにも「大食い」タレントと呼ばれる人たちがいて、大量の食物を平らげてみせるが、それとも微妙に雰囲気が違う。モクバンをする人たちはもっとモデルやアイドルっぽく、食べながらもどこかおしゃれな雰囲気を漂わせている。

https://www.youtube.com/watch?v=IfqpsfZskfE


 しかしおしゃべりを交えながらとはいえ、ひたすら食物を咀嚼し、飲み込んでいるだけの映像だ。どういう人たちがどういう気持ちでこれらを見ているのかうまく想像できない。単純に美味しそうな食べ物が次々食べられていくのには単純な快楽もあるのだが、同時にどこか空恐ろしいような、見てはいけないものを見ているような緊張感が募ってくる。この快楽と不安がないまぜになったような感覚がモクバンを見るということなのだろうか。
 なぜ不安なのかというと、その背後に摂食障害の過食や食べ吐きを想像してしまうからだろう。若く美しい人だからこそ、こんな食べ方をして体型を維持できるはずがない、カメラの外側で食べ吐きをしてるに違いないなどと勝手に思ってしまう。そして、それをいわば公然の秘密として配信を行っている。それは一体どういう心理なのか、と考えてしまう。もちろんこっちが勝手に決めつけているだけだとしても。
 普通飲食店で隣の席の人がくちゃくちゃ音を立てていたら、気になるし不快になるものだが、モクバンASMR(食べている音声を環境音のように流して楽しむための動画)なども存在していて奥が深い。人間のフェティシズムには終わりがない。
 実際モクバンは、食べることの生々しさ、ヤバさ、性的なニュアンスなどをあらわにしていると思う。食べているのが大抵、ジャンクフードぽかったり、激辛系なのも関係ありそうだ。こういう食べ物を大量に貪りたい、でも同時にほっそりとしていたい、という現代人の欲望=ファンタジーを体現してみせているのがモクバンともいえるかもしれない。
 動画を見ながら気づいたのだが、実は自分はこのジャンルを知る前に、モクバンといっていい動画を小説の中に登場させている。主人公の少女がたまたまネットで女がひたすらものを食べている映像を発見して魅入られる。実はアーティストが作った美術作品なのだが、やっていることは完全にモクバンだ。少し引用してみる。

モノクロームの画面に斜め後ろから捉えたバストショットの女が映っている。カメラは回り込むように近づいていき、女の口元にズームする。女はものすごい勢いで口に食べ物を詰め込んでいる。食パン、クリームパン、ソーセージや焼きそばをサンドしたパン、コンビニのおにぎり、プラスチック容器に入ったスパゲッティ、(…)女の食物を噛み砕く音、飲み込む音、苦しげな息遣いがパソコンのスピーカーから漏れてくる。(『忘れられたその場所で、』ポプラ社)

 自分で書いていたときは、まさか本当にこんな動画が、しかも大量に存在するなんて思いもしなかった。でも書いてしまっているのだから、自分もどこかで食にまつわるオブセッションを抱えているということだろうか。痩せたいとかは別に思わないけど……。

11月27日

 本日、文芸批評家のYさんと立ち話をする機会があった。Yさんは私の勤め先の同僚でいま60代、とても価値のある仕事をこれまでにいくつもしてきている。Yさんは最近まである評論新人賞の選考委員をしていた。
「残念だったのは、テクストをひたすらじっくり読み込むタイプの評論は一度も来なかったことなんだよね」
 ここでこれから書く私とYさんの会話は基本的に不正確、いってしまえばほとんど創作だということを断っておく。所詮立ち話、会話なんて話があっちに飛びこっちに飛びして私の記憶も曖昧だし、そのまま文章にしても支離滅裂になるだけだ。だからここでは色々と付け加えたり捻じ曲げたりしてむしろ積極的に作り物にしていくつもりである。だからこの文章の文責はすべて私にあるということをはっきりさせておく。
私「テクスト論的なものはもう流行らないんでしょうね。そういう傾向はゼロ年代からでしょうか」
Yさん「そうだねえ。僕なんかはテクストを塩で揉むみたいにして、揉んで揉んで、そこから何が出てくるかを見るのが批評だと思っていたけどねえ」
私「じゃあ、どんな感じなんですか、良し悪しは別にして」
Yさん「どういう角度で切り出すか、その視点やアイデアで勝負という感じだよね。そうしたアイデアを複数組み合わせて」
私「ああ、確かにそういう評論の方がいまっぽいかもしれないですね。テクストを内在的に読んでいくというよりは、いま注目されているトピックと関連づけていくという感じの。そういう形でアクチュアリティを確保しないと、もう批評として成り立たないんでしょうか」
Yさん「今は文芸批評でも文学だけ論じてるわけではないものね」
私「現実問題として、文学だけ論じていても読者がついてこないし、本にもならないということはあるんじゃないですか。実際、ここ10年くらい批評家として書き続けている人は、文学以外に自分のフィールドを持っている気がするんですよね。それは社会人として関わっている現場だったり、音楽や映画だったり。そういう二本足じゃないとなかなか続けられない」
Yさん「僕が新人だった頃は、賞をもらったら半年以内に次の長編評論を書かなければならなかった。プレッシャーがすごかったけど、鍛えられたよね。書評もたくさん書かされた」
私「今上手に書評をかける人はネットにたくさんいるし、雑誌もそういう人をピックアップすればいいわけですからね。批評家の出番は相対的に減っている」
Yさん「そうだね。評論家を育てたいんなら文芸誌は書評一本あたりの字数を増やしたらいいんじゃないかな。見開きでは書けることは限られてるし」
私「最近は批評は暴力だという見方もあるらしいし、批評家は大変ですね」


11月26日

 この2ウイークスチャレンジを始めてあらためてエッセイってなんだろうと考えるようになった。これを始めたのは、紅坂紫さんの毎日800字エッセイ(https://yukarikousaka.tumblr.com/)を読んで、いいなと思ったのと、最近スランプ気味で小説が書けないので、少しでも文章を書けば気持ちがはれるのではないかと思ったからだ。1日まったく文章を書かないと、体の中に澱が溜まったみたいに暗い気持ちになる。エッセイを書くと、わずかながら雲間から日がさしたような感じがする。
 とはいえ、これまでエッセイを意識的に読んできたわけではない。だからエッセイの魅力が何かといったことは考えたことはなかった。エッセイというと、身辺雑記というイメージがあるが、本来はessayer(フランス語で「試みる」)、つまり自分の考えをかりそめに書いてみた文章という意味だ。試しなのだから、躊躇や口ごもりがあっても構わないし、最終的な結論がなくてもいい。ある意味ではジャンルともいえないような曖昧なジャンルだ。
 じゃあ自分がこれまで好んで読んだエッセイといえば何があるだろう。
 まず思い浮かぶのが武田百合子と坂口三千代のエッセイ。二人とも武田泰淳、坂口安吾という文豪の妻だが、それぞれ魅力的なエッセイ本を残している。坂口三千代の『クラクラ日記』は夫との馴れ初めと生活を綴ったもので、安吾という破天荒な人間と一緒に暮らすのがどれほど大変かをまざまざと考えさせて笑えるし、泣ける。武田百合子の『遊覧日記』もナチュラルな狂気で東京のすたれた盛り場を巡っていく地味なんだかパンクなんだかわからない傑作だ。どちらも10代で読んで夢中になった。同じく二十歳前後でハマったのが種村季弘の魔術やヴァンパイアや錬金術についての衒学的エッセイ。自分は澁澤龍彦より断然種村の方が好きだった。いかにもスタイリッシュな澁澤に対して、種村はドイツ的ねちっこさで畳みかけ、重いグルーヴを作り出す。
 それから精神科医の中井久夫。自分は文章家というとまず中井を連想する。中井の文章は平易で誰でも抵抗なく読めるようなものなのだが、そこから膨大な教養に裏打ちされた人間の精神への透徹した眼差しが感じられて陶然となる。ただ一時期あまりに繰り返し読みすぎたせいで、最近はちょっと手が伸びなくなってしまった。
 最近読んだ中で出色だったのは、上間陽子『海をあげる』、松本俊彦『誰がために医師はいる』、わかしょ文庫『うろん紀行』の3冊だ。『海をあげる』は話題の本のひとつだが、心にすっと入ってくる自然さと共に、重く激しい熱を持った一冊だ。『誰がために医師はいる』の著者は依存症治療の専門家だが、若き日を綴った自叙伝めいた部分が素晴らしい。『うろん紀行』は最近書評を書いた。先日著者にお目にかかって嬉しかった。
 こうして振り返ると自分も多少はエッセイを読んできたんだなと思う。もっともこの連載は今挙げたような名エッセイには及びもつかない、冗長で無意味でどうでもいいようなものになるだろう。まあ、試み(不調から抜け出すための)なのでよしとしよう。
 


11月25日

 毎日エッセイ2ウィークスチャレンジ、二日目にしてまさかの種切れである。さしあたり何も思いつかない。空っぽの頭を絞ってみても、出てくるのは「北千住」という言葉くらい。実は今日は生まれて初めて北千住を訪れたのだ。あるお芝居を見てきたのだが、これは自分が何を見たのか全く言語化できないので(たぶん数日かかると思う)、今日は書けない。すると本日したことは、北千住に行って、帰ってきた、ただそれだけである。
 そうだね、それじゃあ、北千住について書くしかないね。
 北千住というと一般にどのようなイメージなのだろうか。僕は北千住が足立区であることさえ知らなかった。僕の前に現れたファースト北千住は大きなマルイのビルがあり、小料理屋のような店がたくさんあった。素晴らしく天気が良く、透明な冬の日差しが街を静かに照らしていた。しかし天気は北千住とは関係ないだろう。たぶん関東一円似たような天候だったはずだ。
 自分にとって北千住を訪れて良かったのは、荒川を見られたことだ。東京の西境に住んで神奈川に通勤しているので、相模川や多摩川であればわりと日常的にみる機会はある。しかし荒川とじっくりと向き合ったのは久しぶりだった。きっと二十数年ぶりだろう。大学を出たばかりのころ、終電を逃して、都心から当時住んでいた西葛西の部屋まで歩いた記憶がある。荒川を渡るために真夜中の堤防沿いをずっと移動した。河面は暗く、まばらに瞬く街の灯は冷たかった。荒川といえばまず思い出すのはそのどこか孤独な情景だ。
 だけど今日出会った荒川は、明るくどこまでも伸びやかな空間とひとつになっていた。やっぱり大きな河はいい、無条件でいい、と思った。背の高い秋草が土手一面に茂り、人影はほとんどなく、空はどこまでも青かった。川べりを歩いているのがあまりに気持ちよく、お芝居の時間に遅れそうになったほどだ。この河は実は東京市街を洪水から守るために大規模に開削された人工河川である。完成は1930年。だから隅田川のように江戸の文化的記憶を背負った水辺とは異なり、永井荷風や岡本かの子の作品では、無骨で索漠たる新開地的空間として出てくる。だけど荒川の良さはそういうところだと思う。だだっぴろく、シンプルで、余計な情緒をまとわりつかせていない。河はただ河であり、空は空でしかない。半時間ほどの短い間であったけれど、とても充実したひとときだったと思う。
 というわけで、僕にとって北千住は荒川の街だ。いつか自分も海か河の近くで暮らしたいな。


11月24日

 昨日は午前中に東京流通センターで開催された文学フリマ(文芸同人誌の即売会)を訪れ、2時間ほど過ごしたのち、今度は横浜に移動して、神奈川近代文学館で行われていた連句の会を鑑賞するという文学漬けの1日だった。コロナ禍以降、ほとんど人が集まるところに行っていなかったので、すっかり人ごみにあてられてしまった。

 文学フリマは何年振りになるのだろうか。しばらくのあいだ、タイミングが合わなくて行っていなかったし、コロナで何回か開催を取りやめたはずだ。開場前に着いたのだが、入り口前にはすでに長い長い行列ができていて、みんなこの日を待っていたのだなという気持ちになる。そして会場に入ると、数百のブースと売り子の人たちの前にさまざまな印刷物が並んでいるのを見て、圧倒され、ちょっと悪酔いしたような感じになる。中国にいたとき、古い市場に行くと、薄暗いコンクリートの空間に、木の台に載せられた豚の生肉や魚や少し傷みかけた野菜などが限りなく並んでいて圧迫されたものだけど、それにちょっと似ていて、ここには床に垂れた血や、脂に濡れた骨や、貝や魚の発する生臭い匂いはないとしても、印刷された紙の束からはやはり血や内臓に属する普段は人前に出さないような欲望やこだわりの気配が立ち上ってきて、こいつはやばいと思ってしまう。自分を棚にあげるつもりは全くないまま言うけれど、創作や表現というのはどうしたってエゴや妄執と骨がらみで、世のまともなおとなたちはそうしたものには深入りせず、会社でせっせとエクセルのマス目を埋めたり、酎ハイ片手に同僚と愚痴ったり、休日にはファミリーカーでキャンプ場に出かけたりして生まれてしまったことの意味と無意味を昇華しているのに、自分も含めてこの人たちは、おのれの臓腑やら脳髄やらをこうして卓上にずらりと並べてみせ、あまつさえおひとついかがと流し目まで送ってくるのだから、ああ、怖ろしい、なんという危険な祭りなんだと嬉しくなってしまう。実際、プロの手によっておしゃれに装丁され、書店の棚につんと澄ました顔で並ぶ新刊と比べると、同人誌というものには生々しい気配があり、売り手の方も買ってほしい、読んでほしい、あわよくばSNSで褒めてほしいという我欲と、でもやっぱり恥ずかしいというためらいがオーラとなって身体を縁取っている。そうして半刻も経って文フリの空気に慣れてくると、こちらも裸で温泉につかっているような大洋的感情が溢れ出してきて、この文字の宴に集うものはみな我と同じうから、いわば兄弟姉妹、なので、知り合いに会うたびに、やあやあどうもどうも、新作どうですかまだですか楽しみですね、みたいに同胞愛をちぎっては投げちぎっては投げしているうちに、すっかり出来上がって(アルコールは一滴も飲んでない!)浮かれ気分で帰途につくというのが文フリのお決まりのコースなのだが、今年もやっぱり同じであった。本当に楽しかった。

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