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「田沼武能 人間讃歌」の写真展がめちゃくちゃ良かった

今回のnoteは予定を変更して、先日行った東京都写真美術館の「田沼武能 人間讃歌」展について書こうと思います。そもそもnoteの執筆予定なんてあって無いようなものですが笑、今回行った写真展については今書かなきゃいけない気がしています!

初の写真展鑑賞

これまで美術館で絵画を見たり、工芸館で工芸品を見たり、博物館で恐竜の化石を見たりしてきました。
その中で個人的に好きなのは「作品のコンテキスト(文脈)」と「自分が鑑賞する余白」がある、絵画とか工芸品でした。
博物館も面白いのですが、なんとなく「事実」として展示されているので、「すげー」とはなるものの、その後の妄想が生まれづらいな、と。

そんな中で「様々な表現方法に触れよう」と思って行った今回の写真展でしたが、正直最初は「写真って、現実に存在しないものは撮れないし、表現方法も限られているから、博物館の感覚に近いかもなー」なんて思っていました。しかし、見事に期待を(もちろん、いい意味で)裏切ってくれて、めっちゃ良かったです!

そこで先日聞いた「中動態」の話の中で、絵画や映画や小説を書く人たちがこぞって「自分が作っているというより、(絵画・映画・小説といった)対象物に作らされている」ということを言っているそうです。

「物語が何を求めているのかを聴き取るのが僕の仕事です」(村上春樹『夢を見るために毎朝僕は目覚めるのです』)

「一旦決めて映画作りだすと、映画作ってるんじゃないですね。映画に作らされるようになるんです。」(宮崎駿『出発点 1979〜1996』)。

中動態で表されるべき「創造」(深い創造)」より

その意味で、写真も「(世の中にないものを新たに創り出す訳では無く、)その場に実在する光をどう捉えるか?」と言う意味で「中動態」に近い感覚なのかなと思いました。

「田沼武能 人間讃歌」写真展

今回行ったのは東京都写真美術館の「田沼武能 人間讃歌」という写真展です。

ロビーのみ撮影OKでした。

展覧会図録の表紙にもなっている写真


エレベーター降りるとこの写真がドーン!です、めちゃくちゃいい!

全く前提知識無く見に行ったのですが、すごく良かったです。
戦後の昭和から、平成、令和という時代を写真を通して「世界の子どもたち、人間のドラマ」を撮影したということです。
個人的に「人物が写っている写真」が好きですが、どれもめちゃくちゃ人間味にあふれていて、戦後の悲惨さだけではなく、かと言って快楽的なだけでもなく、「あーここに生活している人がいる〜」と妄想できる、そんな写真が沢山ありました。
カメラ目線の写真もたくさんあって、つられて笑顔になってしまいそうなそんな写真がたくさんです。以前書いたこのnoteに通ずるところがありそうです。

「そうそう、これこれ」という風景

今回のテーマは「人間讃歌」ということでしたが、まさにタイトル通りだなと思いました。様々な状況があるけど、そこには人が生活していて、そのひとりひとりの人生がある、その人と人との関わり合いで日々が編まれていく。ぎゅーーーとココロを掴まれるような、そんな感覚を持ちました。

この写真展を見て「あー自分の目指しているのは、こういう世界観だな〜」と感じました。

ここで思い出したのが昨年行った長浜・木之本で観たこの写真。

長浜市木之本の江北図書館で展示されていた写真

なんで笑っているのか分からないけど、この写真ホント好きです。
お皿もたくさんで、人もたくさん。「地蔵縁日」ってあるから、縁日の打ち上げかなぁ?今日だけは子どもも夜更かししていいし、お母さんたちも一緒に飲んじゃおうかな、片付けは明日やればいいよね?みたいな妄想が膨らみます😊 

こういう写真を見ているだけで幸せです。理不尽なことは極力少なくして、ひとりひとりが自分の人生を楽しめるような、こういった風景が日常にあふれている感じにしたい。

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