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よく聞く言葉だが敢えて言いたい、いじめる奴が悪いに決まってる

先日私が大好きなドラマ「3年B組金八先生」をDVDで見ていたときに「いじめ」について改めて考えるきっかけがありました。金八先生第5シリーズの卒業後のストーリーですが、元3Bの生徒が進学先の高校でいじめにあっていたのです。

中学生の頃はクラスの中でも明るくリーダーシップを発揮していたキャラクターだっただけに、胸が苦しくなりましたが、現実にもそういうことはあるかもしれません。

いじめられている理由は外見についてのようでしたが、少年の頃はその外見が大きな影響を生み出すのも事実です。その子は元3Bの仲間たちにも相談することができませんでしたが、金八先生が見抜き、みんなの前で涙ながらに告白しました。

私も高校生の頃は友達が非常に少なかったですが、幸いいじめは受けていませんでした。(身長がある程度あったのでなんとかなっていたような気がします)

金八先生を見ていて思うのが「いじめられるきっかけは何なのか」ということです。中学生の頃は友達がいたのに、高校生になったらいじめられてしまうというのは、やはり環境で人間は変わるのかもしれません。

「いじめ」は私が学生の頃も私の曾祖父の頃にもあって、残念ながら現代にも確実に存在しています。様々なものが進歩した現代ですが、いじめについては一向に無くなりません。子供たちも「いじめは良くないよね」なんてことは当然わかっているはずですが、無くならないのです。その原因は「環境と人間の性質」が関係しています。

環境というのは「家庭内環境」のことです。世の中には残念ながら「いじめられる方にも原因がある」という考え方をしている人がいます。確かに「問題のある子供」はいつの時代にもいるでしょう。しかし「いじめても良い理由」には絶対にならないのです。

そういう考え方をしている親の元で育った子供は「いじめられてる奴も悪い」という間違えた感性を持ち学校に通うのです。そしていじめが起きているときに「あいつは変だからしょうがない」という発想になってしまうのです。
私たちは自分が身を置いている環境によって「優しくも卑劣にも」なっていきます。

そして「いじめをする人間の性質」ですが、人間は群れを作って生きています。社会も巨大すぎてピンときませんが群れなのです。群れの中にいる生き物にとって重要なのが「自分のポジション」です。

少しでも他人よりも上の存在でいたいという感性は理解できますよね。「人の上に立ちたい」という欲求は、言い換えると「人を下げておきたい」ということでもあります。つまり「自分よりも弱い人がいてほしい」ということです。ここに「いじめの大きな原因」があります。

弱いもの(いじめの標的)を作っておくことで、自分のポジションを確保することができます。その本能的な自己防衛反応がいきすぎた結果、いじめは始まるのです。

それでも「いじめで苦しむ人間を減らす」というのは社会全体の共通意識です。どうすれば「いじめに悩む人」を減らすことができるのかを考える必要があります。

まず「いじめをしている人」は「何故いじめをするのか」を自分に聞いてみてください。根本的にいじめをしていても良いことはありません。時間の無駄なんです。やってる方もやられてる方も心が荒んでいき、ただ時間を浪費しているだけなんて虚しく感じないでしょうか。

「自分自身の為」にいじめなんて下らないことはやめてください。どうしても「気に入らない、むかつく」という感情があるなら、その人を意識しないで「自分の夢」や「自分の仲間」について考えるようにしましょう。そうしていれば自然と「いじめなんてやってる場合ではない」と思うはずです。

そして「いじめられている人」ですが、今どれだけ辛い想いをしているのかは私には想像するしかありません。しかし確実に言えることもあります。それは「時間は止まらず流れていき、いじめられている状況は変えることができる」ということです。

私は高校時代は友人はほとんどいませんでしたが、大学に入ると自分でも不思議なくらい友達ができました。そんなものなんです。人間は「環境が変わると大きく変わる」可能性を持っています。

もしも今「いじめられている」という人がいるなら、一生続くものではありません。とても辛いと思います。しかし、いじめなんて下劣な行為をする人間に負けてほしくないです。

いじめをする人間というのは間違いなく「頭が悪い」です。自分の時間を無駄にして、「いじめをしていた」なんて人に言えるわけのない黒歴史を作っているのですから馬鹿なんです。
大勢から何かされている場合は、みんな頭が悪いんだと割り切りましょう。

実際に暴力を受けているとしたら即警察に相談です。学校の先生や親にも当然頼るべきです。絶対に「自分で乗り越える」なんて思わないでください。

生き物は「ある程度の知能があるといじめをする」と言われる通り、これは我々の悲しく愚かな性なのかもしれません。ただ私たちには「理性」という武器があります。

いじめを根絶するのは途方もなく大変なことかもしれませんが、いじめを憎む気持ちと他人への優しさは忘れないで生きましょう。

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