見出し画像

大好きなあなたへ。

2021年1月21日。
大切な家族を亡くしました。

年末実家に帰ったとき
「最近凄く体調悪そうで」と
ママが話してくれた。

「東京で頑張ってるから言えなかったけど
これから家に行くからね」と言われて
その時は頭が真っ白で
ママが運転する車の助手席に座った。

叔母の家に着いてチャイムを鳴らした。
目は虚ろで一目見ただけで
どんな状況かわかってしまって。

あぁ、どうしよう。と思いながら
何かしたくてずっと部屋を片付けてた。

「うみちゃん、大丈夫だよ」って
小さな声で言われて
私は後ろを向いたまま
気付かれないように涙を流した。

帰省してる間、毎日毎日会いに行った。
たくさん病気のこと調べて
必要なものを買い込んで持って行った。

「うみちゃん、お金払うからね」

こんな状況でも叔母は弱々しくもありながら

いつもの叔母だった。

「いいよ、いらない。ねぇ、座って。
肌傷付けたらダメだから私が塗るよ」

叔母の手や足は本当に温かくて。
大丈夫、大丈夫と言い聞かせながら
ただただ塗り込む動作を繰り返した。

「ありがとう、毎日使うね
東京はどう?頑張ってる?」
「うん。頑張ってるよ。」
「いつ帰るの?」
「6日には帰るよ。お仕事あるから。」
「凄いねえ。本当に。」
「ううん、凄くないよ。まだまだだもん。」
「CM観たよ。可愛かったなあ。」

それが叔母とした最後の会話だった。

叔母の家を出て
ずっと泣きながら「何で、どうして」と
ずっとうわ言のように繰り返した。
普段泣いたりしないママも一緒に泣いていた。

心配な気持ちを抱えたまま東京に戻って
毎日ママに状態を確認したり

返事は無かったけど
毎日毎日叔母にメールした。

「今日はお仕事で凄く田舎に来た。
明日も朝早いけど頑張るね。」
「体暖かくして寝てね。」
「東京も寒いけど名古屋もすっごく寒いねえ」

本当にたわいない連絡をただただ繰り返した。

そして1月21日。
その日は久しぶりのオフで
前日まで怒涛の日々でクタクタだったのに
たまたま早く起きた。

ママ 着信1件

怖かった。
なんだろう、かけたくないな。

お姉ちゃんからLINEがきてた。

「〇〇ちゃん危篤。
ママと〇〇おばちゃんは病院に行ってるよ」

震える手でお姉ちゃんに電話した。

あぁ、どうしようどうしよう。
まずマネージャーさんに連絡して、
今日の予定キャンセルして、
なんて考えながら涙がずっととまらなかった。

急いで荷物を纏めて
ボサボサの頭で何もしていない顔にマスクを付けて家を出た。

タクシーに乗って新幹線に飛び乗って
ずっとずっとただただ祈るように
名古屋までの時間を過ごした。

実家に着いた。
お姉ちゃんが誰かと電話をしていた。
声は冷静だけど涙を流してる。
もうその顔を見てすぐわかってしまった。

「うみ、〇〇ちゃん亡くなったよ」

私が実家に着いた時間に亡くなった。
待っていてくれたかのように。

病院の駐車場にお姉ちゃんの車で向かった。

ママとおばちゃんが歩いてきた。

ママは見たこともないくらい痩せてしまって
泣き腫らした目をしていて。
そのまま葬儀場に向かった。

淡々と手続きの話をされて
ここは私がしっかりしなきゃ、ママを支えなきゃと手続きを済ませた。

叔母ちゃんは
たった2週間前に会ったのに。
話したのに。
凄く痩せてしまっていて。
でもまだ少し温かかった。
顔を見ながらずっとただただ涙を流してた。

仮通夜、ママと2人。
ううん、叔母ちゃんも入れて3人で話をした。

私は普段叔母ちゃんを
【〇〇ちゃん】と名前で呼んでいました。
凄く近い存在で第2のお母さんでした。

ママと大喧嘩して家を飛び出したとき
〇〇ちゃん家に泊まり込んだことも
何回も何回もあった。

〇〇ちゃんは何も言わずに
私を迎え入れてくれたし、
そんな〇〇ちゃんと大喧嘩したこともある。

ほんのちょっとのすれ違いだったのに

「二度と連絡してこないで!
顔も見たくない!」

何でこんなにひどいことが言えたんだろう。

半月に1度は甘いもの持って行って
いろいろな話をしたりしていたのにな。

大喧嘩して1年行かなかったけど
〇〇ちゃんも私になんてことを言ってしまったんだとずっとずっと後悔していたみたいで

クリスマスプレゼントのハンカチを持って
仲直りしに行ったんだ。

ずっとそのハンカチ
使ってくれていたんだって。

病院に荷物を運ぶときも
「うみちゃんがくれたもの大事だから持ってきて」と言ってくれていたみたいで

結局使えなかったけど
使いたいから全部持って行ってくれていて

なんだかその気持ちも
本当に胸が締め付けられるように痛かった。

いつも私が遊びに行くと
美味しいパンケーキ焼いてくれた。
もう食べられないんだなあ。

ママと喧嘩しても
行く場所無くなっちゃったなあ。

何でもない話が楽しくて大笑いして
そんな時間をもう過ごせないんだなあ。

冷たくなった手に触れたり
顔を見ながら
蝋燭と線香を絶やさないように
ずっとずっとそんなことをママと話してた。

ママもずっとずっと涙を流していて
今まで知らなかったママがそこにいた。

お通夜・告別式
本当に小さく家族だけで行った。

私は最後に〇〇ちゃんとした会話が
忘れられなくて。
年始に東京に戻ってから
〇〇ちゃんに見せなきゃと思いながら
お仕事してたんだ。

きっと〇〇ちゃんは仲が良かったママが心配なんだろうなって思ったから
だからずっとママを私が支えていく。

今までもずっと女手一つで育ててくれたママを大事にしてきたつもりだったけど
離れていても私が支えていくんだって決めたの。

だから安心してね。
最後までママの心配をしていてくれていたから
大丈夫だからね。私がいるから。

でも、ね。
そんなしっかりしたフリはできても
こうやって毎日毎日思い出して
毎日毎日気付いたら涙が伝うんだ。

もう繋がらない電話にもかけたりしちゃって。

この前〇〇ちゃん家に行って思った。

いつも定位置かのように座っていたソファーはガランとしていて。
そこにはいなくて、でもいるような気がして。

痛かったよね、辛かったよね。

〇〇ちゃんは最後まで誰かを心配して
大事な人のためを思って怒って
「痛い」「辛い」とも言わなかった。

本当に心から優しく素敵な人。

ずっとずっと私の第2のお母さん。

思い出すのは苦しそうな顔をした〇〇ちゃんじゃなくて

「うみちゃん」と優しく呼ぶ
可愛い笑顔をした〇〇ちゃんです。

〇〇ちゃんから学んだことが
たくさんたくさんありました。

私をいつも娘のように
想ってくれてありがとう。
私もお母さんだと思ってるよ。

今でもメールは消せないし
辛い時に何度も読み返すし、
繋がらない番号に
3日に1回は電話しちゃうけど

〇〇ちゃんが
「可愛かったなあ」って言ってくれたから
何があっても
毎日お仕事を頑張るって決めました。

絶対どこかで見ていてくれてる。

痛くて苦しい思いをたくさんしたよね。
たくさんたくさん辛かったよね。
どうかゆっくり休んでね。

〇〇ちゃんに心配かけさせないように
私がこれからもママを守って
〇〇ちゃんのように
たくさんの人に優しくなれる人であるよ。

本当にありがとう。だいすきだよ。

2021.03.20 倉橋うみ




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?