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私という人間について

こんばんははじめまして。海月です。

書いているのがたいてい夜なのでこんばんはとしておきます。

今回は自己紹介なので冒頭の挨拶を省略します。


■ざっくりプロフィール

・HN…海月、akira、ra aki、rakia、kurakira
⇒動物が好きなので、ハンネを考えた中学生の時に特に好きだった生き物「くらげ」にしました。字面も綺麗でちょっと中二マインドにやさしい。
akiraの方は本名を文字っています。あとは並び変えたり複合したり。
ネット歴20年以上でいっぱいハンネがあるくらいには遊んでました。


・年齢…28歳。3月で29歳。
⇒デュエプレイヤー用に例を出せばささぼーさんと同い年。
今現在で半年髪切ってないので、同棲する恋人よりも髪は長いです。
前髪は食べられます。最近は後ろ髪を縛ってます。

・性別…男ですが、回答可能な時はQ(Questioning,Queer)と答えます。
⇒昔から身体的特徴以外で自分の性別を測ることができませんでした。
男という事実も女という仮説も腑に落ちることがなく、「まず人間」という考えが先立ってこの歳まで生きています。
幼少期は戦隊モノやロボットに興味を持たない一方でシルバニアファミリーに憧れたり、かと言ってゲームは滅茶苦茶にやるしすぐに喧嘩しそうになる男らしさがあるかと思えば、料理やお菓子作りやかわいいものが好きで女の子とも会話が合いました。
「らしさ」という言葉を持ち出される時には幼い頃からいつも苛立ちを感じていて、それってなんだろうなーとずっと考えていたのを覚えています。
Qという括りを知ってからはその考え方が一番近いと感じるようになったので、答えられる時はそう答えるようになりました。
女になりたいとも男でありたいとも思ったことはありません。
アンケートの性別欄に男と女以外があるとちょっと安心します。
恋愛や性対象は女性です。

・身長、体重…182cm、57kg
父が背が高いので、遺伝で私も高いです。
体重はどうやっても増えませんが、比較的大食いです。
2貫の回転寿司33皿、すき屋で並盛5杯、マクドナルドでハンバーガーとチキンクリスプ5個ずつとかやったことがあります。
ささぼーさんが173cm、50kgらしいのでいい勝負。
スタイルがいいとよく言われますが、酷い猫背なので格好はつきません。

・出身…関東の山奥です。
⇒360度どこに目を向けても緑が見え、携帯の電波がしばしば入らず、カーナビから存在を消されるような場所が生家。
町内にコンビニ・スーパー・ガソリンスタンドがありません。
進学・就職も地方から動かなかったので、根っからの田舎者です。
2年前から恋人と同棲をするにあたって東京に引っ越してきました。


・好きな食べ物…果物、チョコレート、クレープ、お酒。
⇒ほぼ365日毎日果物を食べています。
チョコレートは虫歯が恐いので控えてますがだいたい毎日食べています。
クレープは食べ物の性質的に機会が少ないですが、口にすると自然とにやけるくらい好きです。
お酒は休日の前と翌日仕事がない時のみ。
ウイスキーが好きで、中でも度数の高いバーボンを好みます。
日本酒と焼酎は×。あいつら日持ちもしないし。


・趣味…漫画、映画、読書、音楽、ボドゲ、料理、節約etc
⇒漫画…収集が好きで1500~2000冊程度実家にあります。

お気に入り

正直挙げ切れない。
最近の少年誌と萌え系は弱いですが、新旧問わずオールジャンルの漫画・漫画家に詳しいと自負しています。
映画化やアニメ化など、メディアミックスする漫画で知らないということはほとんどありません。
原体験は父が買っていた少年マガジンで真島ヒロの『RAVE』にハマり、お正月の映画特番から『ドラゴンボール』を大人買いし、マンガ好きの父が持っていた手塚治虫全集を端からすべて読んでいったこと。
作家の推しを並べようとしたら、名前だけで5行くらいになったのでやめておきます。
『火の鳥』の推しは望郷篇、『ジョジョ』は7→5→2→3→6→1→4の順で好きです。

⇒映画…劇場に行くことは少ないですが、年間200本程度は観ます。

お気に入り

こっちもなかなか決め兼ねますが…
監督として好きというか、名作揃いだと感じるのはスタンリー・キューブリックと岩井俊二。
俳優は池脇千鶴、窪塚洋介、永作博美など。
日本人の映画好きに多い「邦画はつまらない」って風潮とアクション映画信仰はあまり好きではありません。(偏見)

⇒読書…わからない人も多いと思うので好きな作家をあっさり。
山田詠美、よしもとばなな、沢木耕太郎、中山可穂、白石一文、小林恭二、絲山秋子、筒井康隆、村田紗耶香、上原隆…etc
4,50歳くらいの人が読む系統の純文学やエッセイ本が多いです。
月に10冊程度読みますが、記事を書いたりするようになってからは5冊~くらいに減ってしまっています。
自己啓発本や新書は読まないです。

⇒音楽…最近はサブスク頼りになってきましたが、CDアルバムは300枚程度持っています。
菅野よう子、坂本真綾、スガシカオ、the pillows、the band apart、dorlis、Orange pekoe、FIVE NEW OLD、山崎まさよし、堂島孝平、キリンジ、Cymbals、土岐麻子、SMAP、空気公団、eufonius、advantage Lucy、赤い公園、クラムボン、音ゲー曲全般…etc
こっちも挙げ切らない。
母が好きだったことからSMAPが原体験にあり、中学でニコニコ動画を知ったことからアニソンを入口に菅野よう子を通じて音楽の魅力に嵌ります。

⇒ボドゲ…数えたら30個以上ありました。

やっぱりカードゲームが好きですが、だいたい何でも楽しんでやります。
最近はルール覚えるのがちょっと億劫。
勝てないゲームほど楽しめて好きです。

⇒料理…高校の時に居酒屋のキッチンでバイトしてました。
ほぼ手作りの店だったのでいろいろ勉強させてもらいます。
この経験と母が入院で不在がちだったことから、あんまり上手ではないですが食事は9割9分自炊です。
得意なのはじゃがいも料理と鍋物と玉子焼き。好きな料理はカレー。

⇒節約…料理とも関連しますが、3食自炊の生活で浪費する趣味もなく、買い物は相場を覚えて遠くのスーパーも行くので、節約というか貯金が得意です。
参考までに我が家の食費は2人で月1万8千円くらいで、月間総支出は13万円くらい。(家賃9万)
東京もちゃんと安いところ探せば安いね。
もちろん無理はしてませんし、健康診断も異常なしです。
家事をすることに適正があると日々感じているので、常に専業主夫になりたいと考えています。


■ざっくり経歴

・小学校入学まで~
『ポケモン言えるかな』が全部歌えて、ポケモンの進化・技を覚えるレベルまで全部暗記していました。あだ名はポケモン博士。
ポケモン初代をはじめ、スーファミや64やゲームボーイを頭が痛くなるまで手放さず、早くも親に没収されるほどに。
思い出はポケモン赤版で四天王の途中でセーブをしたら兄にボコボコにされたこと。

この時兄の影響で初めてのカードゲーム・ポケカに触るものの、周囲に布教することはできずに兄が飽きたタイミングでやめてしまいました。
お気に入りだったのはガルーラ。

こんなガキの頃から細かいアド稼ぎが好きだったんだな…


・小学校~
スーファミ、64、ゲームキューブ、PS2、ゲームボーイカラー・アドバンスなど。
お年玉やお小遣いのほとんどはゲームに消えて行って、ベイブレード以外の流行りにはたいてい触れていました。
独楽は保育園までだと思っていた。バトルドームも。ドンジャラはやった。

1年生の時に絵柄に興味を持って遊戯王の『暗黒魔竜復活』を1パック買ったところ、「ブラック・デーモンズ・ドラゴン」を引き当てます。

ホイル加工とイラストがカッコよくて、マジで何時間も眺めてた。

翌日学校で誰もわからないのに自慢したことからうまく火が点き、遊戯王ブームが始まります。
同時にトレカライフの始まりで、遊戯王はこの後何度か再開したりやめたりを繰り返して、シンクロが登場したタイミングで完全に手を引きます。
ゲーム三昧でしたが、田舎だったので外でもよく遊んでいました。
秘密基地を作ったり、不良と一緒に悪いことをしたり。
もちろん公園や神社でジャリジャリさせながらカードもしていました。


・中学校~
部活の先輩にオンラインゲームを教えられます。

今年で18周年らしい…

中1から高校1年くらいまで続けます。もう狂ったようにやっていた。
長時間プレイしているとゲーム中に「〇時間経過しました。休憩しましょう。」みたいなメッセージが出るんですけど、平日にこの警告が6時間、休日は15時間とか表示されるのが普通でした。
特にハマっていたのが、ゲーム内でアイテムを売り買いして稼ぐ「転売」。
特定アイテムの買い占めをしてサーバー内の絶対数を枯渇させて相場を操作したり、結構あくどいこともしていました。
あんまり詳しく書いてもわからない人が多いのであっさり書くと、月当たり2億くらいのゲーム通貨を稼いでいて、やめた時の総資産が軽く見て100億以上でした。
たかがゲーム資産と思うかもしれませんが、この時代、RMT(リアルマネートレード)がまだそれほど社会問題化しておらず、グレーゾーンでした。(少なくとも、完全黒ではないという認識でした。)
この時のウェブマネーが1円分あたりゲーム内通貨2万ほどの相場で取引されていたので、現実換算で50万円相当のゲーム内通貨を抱えていたことになります。
リアルの友人に格安で売ったり、信頼できる相手を探して数十万円分は換金もしました。
そんなあまり胸を張って言えないようなことをしながらも、小学生から主婦まで幅広い知り合いができたことで、色々なことを学んで自分の転換点となった期間であったと思います。

・高校~
今更ですが小学校では成績優秀でした。
中学はゲームにのめり込んでいたこともありますが、勉強をする意義が理解できなかったのでほとんどせず、成績は急落していきます。
テストはどの教科も40点行けばよくて、60点超えると喜ぶくらい。
そのため、高校は地元でも最も学力の低い学校に進学します。
いわゆるヤンキーも多く、毎学期の始まりには必ず誰かが消えていて、卒業時の退学率は10%超、ある時は集団謹慎で男子が20人くらい一気に教室から消えて皆で大笑いしているような学校です。
まあ、そんな学校で始めは少しは不安もありましたが、慣れれば勉強ができない人が多いというだけで、結構楽しく過ごせる場となります。
というか私自身、学校サボったり殴り合いの喧嘩してたりと、中学生の頃からそこそこにグレていたのであんまり人のことも言えませんでした。

この時も私の生活の中心はゲーム。
オンライゲームをやめた頃からは据え置きに移って、中古で評判の良いゲームを買ってきてはひたすらにやっていました。

お気に入り

『女神転生』を筆頭にATLUSの作るゲームに熱中していきます。
他にも年間30本くらいのペースで様々なゲームを遊んでいました。
誰が見てるわけでもないのにゲームの縛りプレイもよくやります。
メジャーなタイトルでやったところだと、

・ドラクエ3で勇者と魔法使い♀の2人旅でどちらも死なずに全クリ
・ドラクエ5で主人公、妻、キラパンの2人と1匹で全員死なずに全クリ
・ドラクエ8で全員素手、買い物禁止、逃走禁止、レベル上げ作業禁止、過剰錬金禁止、アイテム禁止、全員死なずに全クリ(裏ボス含む)
・ドラクエ初代テリワンでファーラット一匹、配合は格闘場2回クリア毎に1回解禁、逃走禁止、アイテム禁止で全クリ(裏ボス含む)
・女神転生ⅢHARDで逃走禁止、合体禁止、アイテム禁止、全員死なずに全クリ(裏ボス含む)
・ペルソナ4EXPERTで買い物禁止、逃走禁止、アイテム禁止、合体1ダンジョン1回、仲間操作はオールAI、全員死なずに全クリ
・ゼルダの伝説時のオカリナGCの「裏」でロックオン禁止、ハート3つ、ダイゴロン刀禁止、妖精・薬禁止、ホバーブーツ入手後は常時装備で全クリ

ちなみに禁止事項破った場合はその場でセーブせずに電源を落とします。
2時間セーブしてないデータを泣きそうになりながら消すとか、鬼のような縛りもやっていたのでメンタルは相当強いです。
デュエプレのランクマでストレス溜めない理由かも。
この時になると平日に8時間ゲームをやって睡眠4時間程度の生活を送るようになります。
とはいえ、学校生活も生徒会をやったり、新たな恋人ができたりと、それなりに充実した日々を過ごしていました。


・浪人時代~
先ほど書いた通りのレベルの高校だったので、大学受験をする人は一人もいません。
3割推薦で大学、3割短大か専門、3割就職、1割進路未定という環境でした。
私もこの内のどれにしようかとぼんやり考えていた五月の三者面談中、ふと今までの人生で一度もまともに勉強をしていないことに気付きます。
「このままだと一生何もしないでロクでもなく終わるのでは」と思ったところから、一切のゲームを絶って受験勉強を始めることにしました。
高3夏の私の学力がどんなものかと言うと、「五段活用」の意味がわからず、英語の「be動詞」が何を指すかもわからないほど。
結果的に2年浪人して、国公立大学へ進学することとなりました。

某大学の模試結果。20位以内だと優秀者として解説の冊子に名前と学校名が載った。
数少ない努力の証明として手元に残しています。

当然ハナから2年も浪人する気は当然なかったので、1年目で運悪く滑り止め含めて全敗した時にはショックから放浪しています。
自転車で38日間、関東の実家から名古屋まで総移動距離2000キロほどの一人旅をしました。

旅先でお世話になった人のところで食べた牛乳1Lのバケツプリン。
撮り方が雑な上に15年前の携帯で撮った10年前の写真だから粗い。


・大学~
二浪は周囲にほとんどおらずに浮くかと思いましたが、たまに年寄り扱いされる程度で楽しく過ごせます。
演劇部に入り、ガチ目なところだったので日々忙しくしていました。
この後書きますが、デュエマを真剣に遊ぶようになったのもこの頃。
受験で学ぶことの面白さに気付いてからは学業にも真剣に向き合っていたので、遊びに学びに創作に、本当に時間が足りない日々でした。
大学生にはいつだって戻れるなら戻りたいです。


・社会人~
IT企業に進み、色んなことをやります。
ただ、配属された部署がパワハラの教典のような酷いパワハラ環境だったので、何を頑張っていたかということはあまり覚えていません。
どう乗り切ろうかと苦悶したり、今日は平和であるようにと祈ったりしていた記憶が強いです。
何度も上司を殴って辞めてやろうと考えましたが、同じ立場にいたお世話になった先輩に止められて抑え続けます。
2年と少し勤めた頃、恋人との同棲が決まったため、いよいよ限界を迎えていたその先輩と共に退職しました。
今振り返っても、やっぱりあのパワハラ上司と、都合のいい言い訳をばかりして見て見ぬふりをしていた責任者の部長は一発殴ってやればよかったと思います。

・社会人二期~
東京に出てきて転職をします。
今の職場は多少の不満がありますが、前の会社に比べれば本当に天国と地獄くらいの差があるくらいのいい職場です。
不安もありながらも日々まあまあ充実しています。

■デュエル・マスターズの思い出

・出会い

小学生の時は学校が終わるとよく3,4人くらいで友人の家に行って、その時々の流行りで適当に遊ぶという日々でした。

デュエル・マスターズには2003年の5弾(サバイバーが登場した弾)が発売したくらいの頃に、友達の家で私以外の友達が遊んでたことからカードを貸してもらって遊ぶようになります。

最初のデッキは友達がくれた40枚の青黒赤の3色ノートリデッキ。

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切り札。弱いとは言え、小学生で光物タダでくれた友達太っ腹だったな…

デュエマ以前に流行ってた遊戯王ではクラスで負け知らずでした。

カードゲームで置いて行かれるわけにはいかないな~と負けず嫌いが発動し、自分でも少しずつ買うようになります。

なかなか光物が当たらなかったのですが、当時のデュエマは1パック買うとだいたい光物か進化クリーチャーのどっちかくらい当たったので、そんなにハズレた気がしませんでした。

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進化ってだけで正義だった。

1弾と3弾と5弾は弱いって友達に散々言われたので、ほとんど2弾と4弾と、直後に出る6弾ばっかり買ってた気がします。

進化は嬉しいけど、遊戯王では光ってるレアというレアリティが光ってないのがデュエマではちょっと不満でした。

そんな中で10数パック買った頃にようやくレアカードを当てることができます。

一番最初のドローは「聖霊王アルカディアス」。

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デュエプレでSRになれてよかったね

4弾が「アルカディアス」と「バロム」の二枚看板になっていたので、VRなことが信じられなくて2日くらい何度も見返したのをよく覚えています。

え、なんで!?エラー!?ってマジで考えてました。

でも嬉しくて、かっこよくて、何回もカードボックスから取り出してみてました。

学校で「アルカディアスあたったよ~」って話すと友達もめちゃくちゃに喜んでくれて、お祝い?に私が欲しがってたデッキ40枚と「アルカディアス」1枚を交換してくれると言うじゃないですか。

せっかく来てくれた相棒は惜しかったですが、なんて気前がいい友達だろうと思い、その日の放課後に速攻で友達の家に行って憧れのデッキと交換します。

そのデッキが『黒単ワーム』。

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今思えばぜんっぜん黒単である意味はなかったんですけど、当時は単色でデッキを組むのがなんかかっこよくて強そうでした。

たぶん半分以上はこいつのせい。

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ちなみにデュエマをやめるまでに5文明全部作ります。

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『黒単ワーム』は憧れてただけあってやっぱり強くて、ずっと愛用していました。

結局あの交換がどっちの得だったかは今もわかりませんが、家に帰ってから『黒単ワーム』を一人で何回も回して嬉しかったのを覚えています。

そんな感じで少しずつ手持ちも揃って、クラスや学校でも”デュエマの強いヤツ”で通っていくようになりました。

ところが、ここで少しデュエマとの付き合い方が変わる、ある発見を私はしてしまいます。

デュエマのパックで、レアカードのサーチができることに気付いてしまったのです。

現在はほとんどのカードゲームでレアカードはパックの最後尾以外(5枚入りなら3,4枚目あたり)に封入されるように対策されましたが、当時(2004年頃)は光り物が必ず一番後ろに入っていました。

そして、これはパックの後ろからカードとカードを擦ることで指感覚から判断可能だったのです。

少しすると小さな社会問題となり、そもそも店頭で客が直接パックを手に取らずに購入する方式が一般化しますね。

手元にあった聖拳編1弾の未開封パック

こんな感じで指を動かすと、4枚目と5枚目の摩擦感がレアカードとそうでない場合とではホイル加工のためにわずかに違いました。

誰でもできるということではなかったのですが、私はこの感覚に運悪く長けていたようで、陳列された大量のパックからベリーレア以上のカードのパックだけを引き抜いて買うということができてしまったのです。 (実はこれ以前に遊戯王でもかなりやっていて、その技がデュエマで応用できることに気づいたという過程です)

悪いことをしている自覚は少しありましたが、当時はこの技術もあまり認知されておらず、お店の人からも特段咎められることはありませんでした。

私も子どもだったことから欲には勝てず、これで相当な数のレアカードを当てていきます。

あまり細かくは覚えていないのですが、当時少なくとも私の周りでは人気の高かった「紅神龍ジャガルザー」を10枚以上持っていたりと、さほど多額のお金を使わずに多量のカード資産を有していました。

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デュエプレで出た時、皆喜んでた。

サーチに気付いてから数週間経つ頃には、週末になると友達と自転車で方々のコンビニ・文具店・ショッピングモールに繰り出し、私がかたっぱしからサーチをしてお店のレアカードの入ったパックを全部抜いていくという所業をするまでに至ります。

いつしかろくに知らない先輩も乞食のように付いてくる始末で、私も色々失敗したな~と感じるようになってきていました。

自分も周りも拝金的になっていって、だんだんデュエマに対しても冷めた思いが募っていきます。

ある日、3人の友達とサーチをしに行った最後のお店で友達一人の分だけ外してしまい、一方で自分がSRを当てて険悪になったことを引き金に、それ以降デュエマを小学校時代にやった記憶はありません。

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こんな弱くても、SRってだけで子どもには価値があったんだ…

多色カードが出る前だったので9弾が最後でしたね。

中学の頃にもう一度ブームが来ましたが、当時オンラインゲームにどっぷり浸かっていた私は今更カードで遊ぼうとはなりませんでした。

この時持っていたカードも全部あげてしまって、ほとんど手元に残らなくなります。(本気で後悔しています。現役プレイヤーの人は引退しても残しておくことを勧めます。)

未だにあげた傍からカードショップで「クラウゼ」2枚900円で売ったヤツのことは思い出すと殴りたくなります。

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実際よくこのネタでどついた


・再会

一度やめてからはすっかりデュエマのことは忘れた人生を過ごします。

「今〇〇ってカードが強いんだよ~」って噂すら耳に入らないほどに、本当に欠片ほども興味を持ちませんでした。

邂逅を果たしたのは大学3年の冬。

サークルで年末の大掃除をしていたところ、倉庫から2個のデッキケースが出てきます。

ちゃんとスリーブに入ってましたが、構築済みをちょこっとだけ改造した『赤緑速攻』と『青黒ハンデス』でした。

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周りもみんな幼少期にデュエマをやっていたので、童心に返ってこの2個のデッキで5時間くらい遊びます。

私は多色カードも知りませんでしたが、『赤緑速攻』でバンバン攻めるのが快感でめちゃくちゃに楽しみました。

その日はまたデュエマを再開することになるとは思いませんでしたが、年が明けて大学が始まると、示し合わせたように実家に帰った人たちが皆カードを持って帰ってきていました。

10数年分の知らないカードは私に新鮮で、時間があれば部室に行って共有プールになったカードを漁り、デッキを考えるようになります。

一番最初に形にしたのは『薫風スペース・チャージ』。

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組んですぐの試合で「ザウラク」からの「コートニー」「ピーマン」で4ハンデス4ドローを決めて部室で歓声が上がります。

何の知識もないで作った割にはよくできてたなあ、と今振り返っても思います。

ちなみに周りの友人が使ってたデッキはこんな感じ。

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皆思い出のデッキと、大学生のバイト財力を活かして購入した最新弾のデッキで遊んでいました。

『薫風スペース・チャージ』も回れば勝てるくらいの強さで、毎日夜遅くまでやっていたのがいい思い出です。

少しするとデュエマのシーズンも変わって、ドラゴン・サーガというシリーズが始まります。

ドラゴンメインの収録カードたちがヒロイックで、当時1万円近くしたレアカードを狙って友人たちがこぞってパックを買い出し、だんだんと仲間内の対戦環境もガチ化していきました。

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私はあくまで皆の余りカードを貸してもらって遊ぶというスタンスを貫いていたので、環境外のカードでどうにか戦う道を日々模索することになります。(たまーに付き合いで買ったカードは全部寄贈していました)

よく使ってたフィニッシャーはこのあたり。

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どれも当時から100円200円で買えたようなストレージに溜まってるカードでしたが、場に出れば決して弱いことはなく、『青緑ビッグマナ』でそこそこ戦えるくらいに活躍してくれます。

特に「A・アイアンズ」は出たら5枚ドローという、遊戯王をやっていたプレイヤーからすれば破格のアドバンテージを得るところが大好きでした。

余り物で勝ってやろうという気持ちはどんどん強くなり、この頃からデュエマのwikiやvaultを端から読んで勉強し始めます。

そうした背景から行きつくのが、『ハイランダーボルコン』です。

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私にとって一番愛着があるイラスト

あくまで余ってるカードを使わせてもらっている中で、「強いのに1枚しかない」みたいなカードを一番有効に活用できるデッキでした。

私はデュエプレで『除去コントロール』というデッキの扱いには少しだけ自信を持っていますが、それにはこの経験が強く活きているのだと思います。

『ボルコン』は現在に至るまで調整を続けて愛用しており、当時も『刃鬼』『レッドゾーン』『ベアフガン』『5色コントロール』『暴発ミルザム』といった友人たちの強デッキと渡り合うことができました。

どんなデッキとも戦えて、どんなデッキにも負け得るという性質が、デュエマを最大限に楽しませてくれたと思います。

その後1年くらいは部室環境でデュエマを皆で遊んでいましたが、卒業が近づくにつれて皆だんだんと離れていき、「蒼き団長ドギラゴン剣」が登場したあたりで完全に途絶えます。

最終的に使っていたのは「パーフェクト・アース」を入れた『バーラ天門』、『緑単鬼龍院刃』、『デュエにゃんループ』などで、回れば友人たちの金満デッキにも勝てるようなファンデッキを作っていました。


・復帰

社会人になって2年が経ち、ちょうど仕事をやめた頃です。

当分は引きこもって日に3,4本映画を見て、週に5冊くらいの本を読む生活をしていました。

そんなことをたまたま電話してきた大学の友人に話したところ、「ちょうどやってた頃のカードがリメイクされるからデュエマ復帰しようぜ」と誘われ、ルーティンな生活を変えるためにも話に乗ります。

クロニクルデッキ『デッドディザスター』と『ブレードオーガ』の発売時期でした。

大学でやっていた頃と比べるとまた数段階カードパワーが上昇していて、数々のカードが新鮮に映ります。

特に強力なメタカードが多数登場していたことが衝撃的で、パワーカードまみれの環境に多彩なメタカードを操って抗うところに面白さを見出します。

本気で目を疑った

環境山は一通り揃える友人だったので、互いにあまり好まなかったループ系のデッキと速攻以外はほとんどのデッキに触れていました。

私が引っ越すまでのだいたい超天篇2弾~謎のブラックボックスパックのGR全盛期を経験し、主に地元のカードショップの公認大会に毎週出るような感じで環境を追いながらもまったり楽しみます。

CS(ガチ勢向け大会)も数回出場しましたが、ベスト16が1回ってくらいでたいした実績はありません。

何分田舎だったので都市部でしか開催のないCSは出場も大変でした。もっと気軽に行けたらなあ…

ガチ対戦でよく使っていたのは『アナカラーデッドダムド』『赤青覇道』『シータバーンメア』『ドロマーハンデス』など。

Tier1を素直に使うってことはほとんどありませんでした。

絵柄やサプライにこだわるのも紙の良さだなって思います


・デュエプレ

同棲開始に向けていよいよ東京の物件を探し始めた年末にリリースされます。

当時は通信障害と私の端末スペックの問題もあって満足に遊べませんでしたが、それでもいつでもデュエマができるってことで熱中します。

ランクマッチのシステムをよく理解してなかったボルメテウスカップにプラチナ1の星4で放置して年明けを迎えるという愚行を行うものの、アルカディアスカップ以降は毎期マスターまで上げています。

というかマスターまで上げればもう満足だったので、まったく上を見ずにゆっくりやっていました。

最初にレジェンドタッチしたのが4弾環境で『シータメイデン』を使った頃です。

まだ『シータメイデン』が全然メジャーじゃない頃だったので、自分のメタ読みと構築で勝てたことが誇らしかったです。

それからはレジェタッチもすることなく、まったりなデュエプレ生活に戻ります。

転機となったのは昨年、2020年の年末。

ちょうどこれを書く1年前です。

年末年始の休みで暇を持て余す中で、ふと趣味や自分の知見があることについて何かを書こうと思いました。

元々趣味で書き物は色々としていて、そちらが行き詰っていたところで発散先を見つけたかったのだと思います。

最初はデュエマについて書こうと考えましたが、紙の現役プレイヤーではなかったので、やはりいつでも遊べるデュエプレにしようと決めます。

デュエマやデュエプレの書き物を読むことはほとんどなかったのですが、思い立ってからいくつかの閲覧数がついているものを読む中で、「これならいける」と確信を持ちました。

年末から練り始めて、1月1日に初投稿を行います。

同時に、デュエプレの情報を取りまとめる掲示板や攻略サイトなどに自分が納得するものがなかったので、若年層の情報発信の場となっているTwitterでの活動を始めることとしました。

元々音楽情報を集めるアカウントだったのを使い回したので、利用開始日だけは2018年2月とちょっと古いです。

記事の方は先の1弾環境振り返りの時点ではあまりリアクションを得られなかったのですが、その後すぐに環境考察を書くとこちらは想定以上に反響を得られました。

そこからはニーズ把握のためにあれこれと試していく中でだんだんと活動スタイルが固まり、3か月経ったくらいから今の形に定まっていきます。

ランクマの方は相変わらずマイペースでしたが、実績なく考察を続けていくことで信憑性を問われることに様々な思いを抱くようになり、活動から5か月ほど経った頃に力を入れるようにもなりました。

ありていに言えば本気を出します。

それまでの最高レートはBA4thの優先参加権のために上げた1620くらいで、その前は前述の初めてレジェンドタッチした時の1580くらい、その次はマスター止めの1500です。

今思うと、やはりスペル・デル・フィンカップの初めての挑戦で1710まで上げて好成績で最終入りできたのは運が良かったのでしょう。

ですが、ここから自信もついて、最終に残ろうと狙った月にはある程度最終入りできるようになりました。

キング・アルカディアスカップのAD『ラッカマルコ』、ゼロ・フェニックスカップ・ロマノフカップのND『4c除去コン』と、計4回残れてそれなりに満足しています。

考案したというほどではなくチューニングを行ったという程度ですが、広められたデッキは『サファイア入りリースドリメ』、『ラッカマルコ』、『4c除去コン』、最終には残れていませんが早期から使っていた『ドロマー天門』など。

自分が公開したデッキを他の人が真似てくれて、強いと言ったり面白いと言ったりしてくれたことは本当に嬉しかったです。

特に『ラッカマルコ』は普及させられたことに加えて、BA5thでたかし屋さんが記事をきっかけに使用して優勝して下さったこと、何よりデュエプレを通じて知り合えた大事な友人と協力して結果を残せたことが嬉しくて、非常に思い出深いデッキとなっています。

最近はデュエプレ以外のことが忙しくて再びランクマは控え気味ですが、その内生活に余裕ができたら再度力を入れていきたいです。

また、2021/8からはJOKERというチームにも加えていただきました。

デュエプレのチームとしては最古参らしいことを知らなかったのは秘密。

一人でデュエプレを続けていても楽しめていたとは思いますが、入ったことでその形が多様に変わったと感じています。

どんな面白いことができるかなーというのは常に考えているので、今後もチームの力を借りながら色々とやっていきたいです。

デュエプレはサービス終了まで続けていくつもりです。というかここに楔を打っておきます。


おわりに・なぜこれを書いたか

元々活動を始めた時は素性を隠して無機物のようにやっていく方針でした。

ただ不思議かな、botのように活動をしていても楽しくなく、何より活動自体あまり反響を得られませんでした。

最初は情報発信に特化させた機械のようなやり方がベストだと思っていたんですけどね。

試しに人間性を少し出してみるとその方がやりやすく、リアクションも得られることに気付いてからは結構好き勝手にやるようになっています。

こうした経緯があったので当初自己紹介をすることはなく、”ある日突然湧いた、人かもわからない人”としてやっていたのですが、途中から年内にフォロワーが2021人を超えたら1年の節目にこうして自分のことをまとめて著そうと考えるようになりました。

きちんと挨拶をしておきたかったって気持ちがあったのと、様々な成果物を発表する自分がどんな人間であるかを、責務として目を通して下さる皆さんに伝えたかったのです。

また、それほど真っすぐ生きてきた人間じゃない身として、「こういう人もいるんだよ」ってことを残しておきたかったこともあります。

「本当に迷っている人や思い悩む人を救うのは、100の慰めの言葉よりも時間と他人の経験談」、というのが私の信条です。

上手く生きられなくても何かをしたいと考え続けている私の経験が、暇つぶし程度でもいいから誰かの役に立ってり、あるいは本当に僅かでも誰かの生に寄り添えればそれが何よりだと考えます。


普通に書いたら3万字近くいったのですが、さすがに語りが過ぎると思ったので削りに削って半分以下にしました。

これでも引くくらい長いですけどね。

私としては自分でも珍しくまとまりのないと感じる文章となりましたが、ここまで読んで下さった人がいれば、ありがとうございます。

たくさんの人と関わりを持つことできて、日々とても嬉しく感じています。

今後ともどうぞよろしくお願いします。

それではまた。

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