疑ってみるシリーズ Part1
疑ってみる。
「疑ってみる」
ということは、信じないということではないと私は思う。
赤ちゃんの頃、何の不安もなく、
ただただお母さんを信じて生きてきた??
そうかな
目が覚めて
お母さんがいなくて
不安になって泣いて
その声を聞いてお母さんが駆けつけてきてくれて
ほっとして泣き止む
それはお母さんや自分自身を信用していないのとは違う
でも
お母さんが絶対来る
近くにいる
それが当たり前で、本能の中で確信があるのだとしたら?
泣きもせず
当たり前のようにその存在を待って
上から覗き込むお母さんの顔を見て
にこっと笑う、
愛されているということが当たり前の
ただただ満たされた赤ちゃんというのも
存在するのかもしれない
(泣く泣かないの話ではないです)
私が初めて何かを疑ったのは(最古の自覚として)
小学1年生の時
戦争の本を読んで
どうして人間はこんな世界に足を踏み込んでしまったのだろう?
と、考えた時からでした
疑う先。というのは
大人とか、他人とか、外国とか、社会とか
そういうところではなくて
「自分自身」
これまで自分が信じて疑わなかったもの、考えてもみなかったことが目の前に広がった時
自分の常識が一度崩れ去りました
日本は今はこんなに平和なのに
こんな想いをしてきた人がいたの?
私はこんなに普通にご飯が食べられるのに
芋の取り合いで殺される人がいたの?
日本はこんなに平和なのに
世界には今もこんな本の世界にあるような想いをしている人がいるの?
そして私は先生や母とたくさん話をしました
心で感じたことを文章にして
たくさんの人に読んでもらったりもしました
中学校のときには国語の先生ととことん話をして
先生のお父さんが、戦時中、疎開の最中に魚雷にやられて船が転覆しそうになった話が本になったことを教えていただき
その出版された本を読んだり、他にもたくさんの本を紹介してもらって
先生の協力の元、詩集を作ってもらったりもしました
その時の私は
「もしも私が槍の先を誰かに向けなさいと言われたのなら
私はその槍を自分自身の胸に向けるでしょう
もしも私が銃で誰かを打たなくてはならなくなったのなら
その銃口を自分の頭に向けるでしょう
もしも私が核爆弾を落としなさいと言われたのなら
私はその核を胸に抱き、海へと深く沈みましょう」
とか、そのような詩を書いていました
中学生、極端ですね。正義感もいっぱいです。
今ならどうでしょうね。
それで解決するのなら、子供が守れるのなら、そうするでしょうけれど
他の方法を模索したいと思います。
そうやって私は
いくつもの疑ってみる。
を繰り返して、今ここにいます。
疑う先は、いつだって自分自身
それは時々、眼から鱗のすっきり快感を生み出すこともありますが
苦しくて、痛くて、怖くて、変わりたくなくて、知りたくもなくて
そんなおどろおどろしい時間を過ごさないといけないこともあります
それはまた、
わたしはわたしで良い
と真逆のようでいて
実はイコールなんです
そういう
海月食堂にたどり着くまで、そしてたどり着いてから、
それから海月食堂の今から未来への一歩一歩までの
「疑ってみるシリーズ」を文章にしていきたいと思うのですが
だいぶ長くなりそうなので
Noteという場を借りてみようかなと思います。
読みたい人がいるのかわからないけれど、記憶の、記録として。
明日も良い日でありますように🌙
写真
生まれたてのたまと立ち会ってくれた17人のひとびと。
大病院でのお産は怖くて痛い。の思い込みを覆した日。
phot by @junkomaguid
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