見出し画像

リコリス・リコイル~君の心臓〈セカイ〉を撃ち抜くエモい令和の弾丸。2022年7月~9月 #3:スタンドバイミー

 優れたキャラクター造詣。

 ヒロイン千束の魅力が物語を牽引する。どこまでも明るく楽しく振舞い表情ゆたか。そして銃の天才であり文句なく有能。ちょっとしたルーズさ、お間抜けさで親近感を出すのも忘れない。正に今の若い世代の理想の陽キャである。

1話より。たきなとはじめて出会ったときの極上の笑顔。

 日常シーンの天真爛漫な笑顔と戦闘シーンの彼女の怜悧な横顔の落差に皆が心を鷲掴みにされる。

上ととても同じキャラクターとは思えない。銃弾を華麗に避ける。

 きれいごとの嫌われる時代である。彼女の「命大事に」は「人の時間を奪うのが嫌」という個人的信念。不殺の誓いを押しつけがましくなく説く。なぜなら「期限付きの貰った命」であるから「誰かを殺して生き延びることはこれを戒める」のだ。
 千束は特権者である。ある意味恵まれてさえいる。天才であり先生を父として持ち好きな喫茶店を営んで自由に仕事をしている。余命と死の自覚というハンデがあるゆえ全く嫌味に映らない。
 少女とは思えぬ透徹した死生観をふんわり語る。飄々として軽やかだ。

「貴様」「アホ」など普段は愛らしいのだが結構汚い言葉遣いも魅力。印象的な「ちょいちょい」など、いわゆる女言葉を排し、ポンポンとテンポのいいセリフが飛び出す。脚を投げ出して態度悪く座ることもある。実に格好のいい生き様を貫こうとするイケメンな少女でもある。

女の子座りはじめ女の子の所作がほとんどないところが魅力の新世代ヒロイン、千束。

 光が強いほど影は濃い。彼女は嘘をつく。本心を誰にも言わず見せない健気なヒロイン。注射が怖い=避けられないものが怖い=死が怖い、と連想させる。死に対して恬淡とした態度は実は仮面ではないかと思わせる。

 9話、人工心臓を壊され余命二か月にされた際、仲間やたきなの前では相変わらず明るく振舞うが、苛立ちを隠せず煽り運転の車に発砲する。

決して本心を見せない性格を象徴するシーン。ほんの少し心に触れた感あり。

顔は見せない。本当は、まったく違う性格を死と相対して陶冶することで築き上げ、誰にもわからないようにしているのではないかと疑う。

 彼女の行動は一貫して終活をしているようにさえみえた。くるみに「いつかたきなを連れて行ってあげて」(海外に)というのはたきなだけは自分の人生を送らせてやりたいという気持ちのあらわれではないか。

 一方、たきなは挫折したエリートとして造詣される。仲間との意思疎通ができない、どこか己を恃み仲間を信頼していない雰囲気を漂わす、フキに「独断専行、命令無視、使い物にならないリコリス」と指弾される。

1話。表情に乏しいゆえ、その変化が魅力的に映る。定番だが丁寧で徹底的である。

 DA、リコリスの価値観の体現者ですぐに銃を抜く。だが、意外に正直でもある。
 DAのエリートになり、噴水付きの素敵な寮に住むのが人生の目標とわりと簡単に千束にぶちまける。千束と関わることで、冷たく見える彼女がどんどんと人間らしく愛らしくなっていく。
 今までの狭い価値観による目標を投げ捨てて、千束のために動くようなキャラクターへと変貌を遂げる。
 終盤戦ではかつての仲間たちとのチームワークも見せる。陽と陰、嘘つきと正直、変わらない者と変わる者、対比が見事なコンビネーションが様々なシチュエーションで描かれる。

 今の時代、やや古典的ですらある相棒ものがこうまで訴求したのは、やはりコロナ下での人間関係が希薄になったため、若い世代が濃密な一対一の関係に憧れを抱くようになったからかもしれない。

最初のリコリコの印象は少女版「あぶない刑事」だった。軽妙で、スタイリッシュな昭和の相棒。オープニングのリコリコ店員を一人一人紹介しているシーンは「あぶない刑事」のオマージュ?

 顔の見えないたくさんの人と繋がるよりたった一人の掛け替えのない友と出会いたい、という気持ちは理解できる。

 この愛らしい二人は、わざとぶちゃむくれた変顔を披露したり、また睨みつけるなど実に表情が豊かである。最大の見せ場は歪む表情だ。
 
 12話吉松の身勝手なアラン機関の理想を語り千束の心を踏みにじって、追い詰める吉松に激怒し、また吉松の人工心臓を奪って生き延びても仕方ない、とする千束に押しとどめられながら身体を震わせ「心臓が逃げる」(パワーワードとされた。狂犬たきなというワードがSNSに飛び交った)と絶叫し顔を歪ませるたきなの姿は本作を代表する圧巻の名シーンとなった。

死を受け入れている千束と大事な千束の死をあくまで拒否するたきなの真剣な鬩ぎ合い。

 また演出の話に戻り恐縮だが、このクライマックスでたきなを押さえつける千束の顔はほとんど描かれない。絶望に歪む彼女の顔を見ているのはたきなだけなのだ。可愛いだけの女の子を断固拒否する。その姿勢は実に清々しい。

 二人に立ち塞がるのはテロリスト真島。最初はジョーカーのエピゴーネン、狂暴な快楽主義のテロリストかとおもった。正直いって辟易した。またこういうのか。美少女に倒されるからこういう惜しくない悪役なんだな、としか思えなかった。

神話におけるトリックスター。価値を転倒させる。ディストピアを引っかき回せ。

 容赦なくリコリスを銃殺し、千束の顔をぶん殴る。これで話の深みを期待するのは無理だろうと油断した。
 
「バランスとらねぇとな」が口癖の彼こそ、この偽りの平和、ディストピアに対するバランスをとるためのアンサー。性差も年齢も超えたライバルとして造詣された。
 テロによってリコリスの存在を暴露し、人民に覚醒を促す。ある意味、古典的正統派な革命家。暴力で世界を変えたい夢見る男。ロマンチスト。自由と銃をかけ暴力でもって平和の価値を知らしめよと説く。
 
 だが、この狂暴な男が少女である千束を対等以上の敵と認め、あまつさえ共闘したい、同志になれ、と誘う。彼は公正でさえある。少女を生意気な女と貶めることをしない。おそらく彼は同性愛者であろう。敵である少女たちに一切性的な眼差し振る舞いをしない。百合に挟まる男ではない。少女に容赦の無い暴力という敬意をもって接し全力で戦う筋の通った敵役。
 
 彼は孤独でもあった。志を共にする同志を千束以外に求められなかった。千束にはたきながいるが彼にはいない。一抹の寂しささえ感じる。ただ真島の造詣がなければリコリコのバランスはとれず、完成された作品にはならなかったとさえ言える。

 千束の師にして喫茶リコリコの店長ミカ。呑気な父さんを思わせる大男。千束の望むまま、喫茶店リコリコを開き、命を救う仕事をしたいという願いに応え非殺傷弾を与える。
 千束の使命も「千束が決めることだ」とある意味丸投げである。ミカはほんの少しの柔らかい声音で千束だけでなく弟子、フキやサクラたちにも優しい眼差しを注ぐ。だが彼は「弱い男」であった。
 千束を最強の暗殺者にするために吉松が助けたということを千束に告げることはできなかった。眩しい千束の光を消せなかった。

「自慢の娘」ついに父親として己の存在を認めたミカ。

「言った方がよかったか」と問う。彼はもっともよく涙を流す。あまりに人間的な彼はしかし、かつては冷酷な傭兵だった。千束のことも兵器としか見ていなかった。しかし千束を育てることで変わる。父娘の物語の軸となる。

 ミカは「弱い男」を隠そうとしない。「娘」千束と「恋人」吉松の間に揺れる。引き金を引けない。ミカこそ、「もういい加減にマッチョな世界観から解放されていいのだよ」という新しい時代のキャラクターである。
 ポリコレと笑わば笑え。男の面子だとか意地だとか意味不明の代物のために女たちが苦しみ死ぬことを肯定する物語の如何に多かったか。そんなマチズモが言論の自由か、命掛けで守るに値するのか。ダサいから廃れるのが時代の趨勢というものではないのか。時勢の赴くところに逆らってマッチョを決めるのに意味はあるのか。
 
 弱い男、優柔不断な父だからこそ千束は自律し他者と関わり、死と向き合い、危ういほど明るい性格となった。強すぎる毒親DAと対象的に。だが、命の問題は親がでてきて始末をつける。子供は知らない世界に大人を導いてくれる、選択を尊重する、というが、理屈などはどうだっていいのである。
 ミカははじめて父親になる。娘を愛するから。リコリコのもっとも利己的な感情を爆発させるキャラとして魅力的に描いた。
 ミカこそは二人をはらはらしながら見守る視聴者の代弁者でもある。

 黒幕である吉松は正に紳士然とした「足長おじさん」だが仕えるアラン機関の理想を信じる狂信者。この吉松に千束は無垢で純粋な憧れを抱きつつげる。人工心臓を与え助けてくれた「救世主さん」と信じる。

 それゆえ千束は不殺の誓いを立てる。自らも人の命を救う「救世主」となると。浅草観光でみせたように「聖観世音菩薩」になると。しかし、吉松が望んだのは千束が縦横無尽に活躍する一殺多生の暗殺者となることだった。あまりに悲しい誤解。「通過儀礼」として千束の命を縮め、過酷な試練を千束に課していく。彼はミカの恋人でもあり、千束のもう一人の父親でもある。

自らを殺させて心臓を与えようとするシンジ。娘千束との生き方価値観を巡る真剣勝負なのだ。しかし自分の生き方を決めた千束に対しては劣勢だ。自立した娘に置いて行かれる父親そのものだ。

 シンジは黒幕として狂信者であり毒親ぶりを遺憾なく見せつける。使命を世界から与えられた千束を幸せにすることを心から願い、千束とミカを愛している。愛ゆえに自らの姿、真実を偽り欺瞞のうちに千束を変えようと試みる。
 彼は1話で呟く。「無知である方が人は幸福なんだよ。ハッカー」と。吉松は単なる黒幕を超え、リコリコの世界観のメタファーそのものですらある。千束の命を掌握する彼はこのディストピアそのもなのだ。

 みずきは婚活に狂奔するコメディリリーフだが、千束の姉としてもっとも千束に寄り添う。
 スーパーハッカー、ウォールナットのくるみはいささかデウスエクスマキナ的ではあるが、楽しい万能感を与える。無知を嫌悪する、辛辣な幼女としてテーマに鋭く切り込む存在でもある。
 千束のかつての口の悪い相棒であり、たきなにDAから出ていけと凄むフキは誰よりも仲間思いの優秀な指揮官である。まだまだ魅力あるキャラクターはたくさん存在するが、このあたりでとどめよう。
 
 リコリコのキャラクターたちに共通しているのはみな利己的なこと。自己の理や欲望に忠実である。また、その動かし方は、台詞でなく行動で魅せて伝えようとする点である。一から十まで長口舌で説明しようとしない。「行動しましたよ、どんな気持ちかは想像次第、解釈は皆様でどうぞ」
 この一見不親切そうなかつては古典的王道のやり方はかえって新鮮であり視聴者に訴えたのではないか。

この記事が参加している募集

#アニメ感想文

12,576件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?