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スーパーカブ……新たなる日常を疾走する。2021年4月~6月 

 もはや日常アニメは存立危機事態であろう。よつばと!を憎む、というコラムでは、よつばちゃんを取り巻くあのリベラルで裕福な雰囲気に耐えられない、と評論された。余裕をもたらす豊かさはもはや憎悪の対象となりつつある。
 この衰退する日本、格差社会でもはや日常アニメは存在できないのだろうか。いや、ある。マシンを相棒としてどこまでも走る、そのかけがいのない日常をかみしめる、この世の広さを知るために走る物語を。

 主人公の小熊は失踪した母親に捨てられ公団住宅に住み、母親の残した僅かな金で切り詰めた生活を送り、奨学金で学校に通う。彼女の色のない生活、この闇の深さを新進スタジオ櫂がよく描いている。美しい山梨の自然と対照的な彼女の色の無い生活。親もいない、お金もない、友達もいない、将来の夢もない、趣味もない……ないないの女の子と自嘲する小熊。

 しかし、一万円でいわくつきの殺人スーパーカブを手に入れた時、彼女の日常は変わる。隣町まで行く、遠出する、スーパーカブを駆って初めのアルバイト……小熊の生活範囲は一気に広がる。礼子という郵便局中古の魔改造カブを走らせる友人もできる。外で弁当を食べたりする。

駐輪場で戦士の昼食。カブ乗り専用の食堂だ。

 礼子の話も一話ある。富士山にカブで登るという無謀極まりない挑戦を行いボロボロになる。そんな礼子に親愛の情をこめて馬鹿だなあ、と返す。修学旅行に遅れなんとカブで追いつて怒られる、などなど、明らかに青春の一頁を楽しむようになる。礼と共にカブを改造し装備を一つずつ整える。ひとつひとつできないことができるようになる。マシンと向き合い成長する。礼子は言う。「どこにでも行けるわよ。だってカブだもん」次第にカブを使いこなす小熊は、「カブなら朝飯前だよね」なにやら一端の古強者の如きセリフを口にするのが可笑しく可愛いらしい。

 彼女はもともと毅然とした芯の強さをもっている。夜逃げと同級生に揶揄されても毅然と反論する。スーパーカブと共に走るようになってからも、ログハウスに一人暮らしする富裕層の礼子や愛情深い両親と共に暮らす中産階級の椎に嫉妬はおろか一片の卑屈ささえない。
 
 実は彼女は最初から持っている女なのだ。玉磨かざれば光り無し。スーパーカブによって彼女は磨かれた。くすんだ日常を楽しみ逞しく生きる強い少女たちの物語。甘さもなく適度に間隔を保った彼女たちの関係は爽やかだ。

 二輪は走り続けなければ自立しない。スーパーカブこそ自立と自律のメタファーだ。彼女たちは、この格差社会、衰え行く「ないないの国」日本の日常を楽しみ駆け抜ける。颯爽と。どこまでも。

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