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雑記日記:方言に戸惑うひとへ

4月になり、通勤電車がぎゅうぎゅうの満員になりました。新生活が始まったひとも多いのでしょう。名古屋駅でスマホと案内表示を見比べて立ち止まってるひとの多いこと。ほんとにこの駅は動線が何にも考えられてないんだなぁと気づくのに3ヶ月、行きたい場所への最短距離を把握するのに1年はかかると思います。頑張れ。

うっすら警戒していた夫の転勤もなく、私は今年も相変わらずの生活を続けていくことになりそうです。今の家が気に入ってるからあんまり引っ越したくないのよね。

4月というと思い出すのは18歳の春、栃木の田んぼに囲まれた家から遠く離れ、ひとりで神戸に移り住んだ日。大学の寮はオンボロかつ激狭で、その日出会ったルームメイトと布団を並べて寝た夜。今ではテッパンネタで笑い話にしていますが、ひとり分のスペースが「1畳+勉強机+戸棚」というあの環境はなかなかに凄かった。

大学では友人にも恵まれホームシックになることも無く、愉快で賑やかな毎日を過ごしました。そのなかで唯一、とても難しく感じていたのが方言でした。

栃木の南部出身なので、私のもともとの方言はU字工事さんのあのかんじをマイルドにしたもので、語尾と栃木弁の語彙さえ気をつければそれほど目立つようなものではなく、誰かに訛りを揶揄されたわけではありません。悩みのタネはそちらではなく、関西弁の感染力の強さのほうです。

大学には関西圏から通うひとのほうが圧倒的に多く、友人はみなナチュラルな関西弁を操ります。それを毎日聞いていると、当たり前のようにつられます。イントネーションも語尾も、全部塗り替えられます。意識しないで話すと、中途半端に関西弁を真似ているような、相手からすると気持ち悪い関西弁を話してしまいます。そしてそれを指摘されたり、時には揶揄されるのです。

しかし移り住んで1か月もしないうちに、私のなかにあった栃木弁の話法はもう戻せないほどに崩れてしまっていました。例えばマクドナルドがマックかマクドかというような語彙の違いは、意識すれば使うほうを選択できますが、語尾がついつい関西弁のソレになってしまう。それなのにイントネーションが言葉によってバラバラで、何が正解なのかもわからなくなる。そして謎の方言を話す奴が出来上がってしまったわけです。

しかし私は早々とそれを受け入れることにしました。だって仕方が無い。口をついて出るままに、垂れ流すしかないのです。相手に変だと思われても、言葉を話さないわけにはいかないのですから。

一方で、故郷を捨てたような複雑な気持ちも時々沸き起こります。ドラマやマンガで地元に帰ったら方言が出るみたいなシーンがありますが、私は栃木に帰っても謎の方言のままです。もう一生、栃木弁を話すことはできないのだ、そして関西弁もキレイに話せない、どこにも所属していないような疎外感。神戸に住んでいる間はずっと、そういう小さな暗いものを内に秘めつつ、初めて会うひとには不快感を与えないように気をつけながら話すようにしていました。

夫の仕事の都合で名古屋に引っ越してからは、むしろあまり考えずに話せるようになった気がします。職場にたまたま名古屋弁のひとがいない環境なので新たな方言を習得することもなく、周りも私のことを神戸に長く住んでいたから関西弁のひと、という程度の認識で済んでいるのでしょう。ここ数年はひとりで考え込む時間が多くとれたからか、少しだけ栃木弁も戻ってきた気がします。それもそれで不思議だけれど。

この春に遠方へ転居して方言に戸惑うひとへ、私から言えるのは『そのうち慣れるから大丈夫だよ』ということです。私の変な関西弁を揶揄した友人も、話すうちに変であることに慣れてくれました。もし『現地の方言には染まりたくない!』と確固たる意思をもっていても、耳から入ってくる言葉から少なからず影響は受けてしまうものだと思います。今の話し方は変だったなーと瞬間的に恥ずかしくなっても、次第にそれすら慣れてくるものです。

そして、もしあなたの地元に中途半端な方言を話すひとがいても、私のように悩んでいるかもしれないと寛容に対応してもらえたらと思います。


東山動植物園の満開の桜。
名古屋に来られたかたは
来年はぜひ見に行ってください。


皆さんの新生活が楽しいものとなりますように。
今回も読んでいただきありがとうございました!!

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