見出し画像

「成長しなきゃ」という強迫観念から距離を置いてみた

「ゲームで遊ぶことが出来なくなった」

このような話を時々周りの人にしてきました。続けて、こうも言っていました。

「自分は今、ゲームをしていていいのだろうか…という気持ちになる。その時間を勉強したり本読んだりした方が良いのでは…?と思うとできなくなった」

そのような「何かをやることによって成長しなきゃいけない」という強迫観念のようなものから距離を置いてみた話をします。

元々は違ったはず

振り返ると昔はゲームにかける時間は多かった方だと思います。

大学生の頃は講義の合間にゲームセンターに行って、その日の講義が終わったらまたゲームセンターに行って…みたいな時間の過ごし方をするくらい、音楽ゲームにハマっていました。家庭用ゲームやソシャゲもよくやっていました。

ただ、気づいたらゲームセンターに行かなくなり、あれだけやりたくて買ったNintendo Switchがただの置物になっていて、気になるゲームを買っても少し遊んだらやらなくなる、ソシャゲをダウンロードしてもすぐにやらなくなるといったことが頻発するようになりました。

いつからこうなったのか

ゲームに限らず、こういった余暇の活動が少しずつ遠のいたのは社会人になってからだと思います。平日の1/3が仕事の時間となり、1/3が睡眠時間に使っていると考えると、残りの1/3の使い方を重要視するようになりました。

平日の夜や休日の時間の使い方は自由なので本来は何をしても良いのですが、1週間の多くの時間を仕事に使うことになるので、「仕事がもっと出来るようになりたい」だとか、そのような成長志向があると自然と業務に関連したことに時間を使いがちです。

そのような傾向が直近の2年半ほど自分は顕著だったと思っています。理由としては、業務内容が変わり、これまで経験のない領域(マネジメント)にチャレンジすることになったからです。

やったことがない領域。元々の経験値もゼロなので、日々の業務をこなしていくだけで経験値が貯まっていき、仕事をしていれば自然と成長していきます。

その一方で、やったことがなくても役割としての期待値は一定あるため、自分が出来ることと期待値のギャップを埋める必要性を感じていました。

そのようなことを感じた時に仕事以外の時間の多くを、仕事に関係することに使うようになりました。マネジメントの本を多く読んだり、今後の計画を考えたり…自然と「もっと成長しなければいけない」と思うようになっていきました。

人生は短い

そのような経験をして得られるものはとても多かったです。簡単にですが下記にまとめています。

ただ、ふと振り返ると仕事を中心とした人生の過ごし方になっていることに気づきました。

もちろんそれはそれで人生の選択としては良いのかもしれませんが、そういった道を自ら選んだというよりは「目の前のことを頑張っていたら気づいたらそうなっていた」というものでした。

そう思ったときに「このままの生き方で自分は本当にいいのか…?」と思うようになりました。思っているよりも人生は短い中で、気づいたらこのまま突っ走ってしまいそうな勢いだと思いました。

「成長」から試しに距離を置いてみる

転機が訪れたのは、転職をして仕事内容が元々やっていたことに変わり、更に働き方も変わったことでした。転職理由は今回の話とはまた別の話なので割愛しますが、以下にまとめているので気になる人は読んでみてください。

通勤時間がなくなったことで、これまでよりも時間が生まれ、様々なことが出来るようになりました。ざっくりと1ヶ月目を振り返ってるので、気になる人は読んでみてください。

せっかくの機会だし…と思い、以下のルールを自分の中で決めてやってみました。

  • やりたいこと、やってみたいことをやる

  • 仕事に関係することはやらない(自分の好きなプログラミングやプロダクト開発もやらない。興味がある本があれば読んでみる程度)

その中でもやってみたいと思いつつ、ずっと出来ていなかったゲームを久々にやってみました。選んだのは「ポケットモンスター バイオレット」。記憶にあるポケモンシリーズで最後に遊んだのは、おそらく「ポケットモンスター ブラック・ホワイト」だったので、めちゃくちゃ久しぶりでした。

ストーリークリアまで進められましたが、昔と比べてシステムが色々と変わっていたり、知らぬ間にフェアリータイプが増えていたり、タイプ相性が分からなくなっていたりと、新しい発見が多くてとても楽しかったです。

料理もこれまでやっていましたが、更に色々と作るようになりました。レアチーズケーキを初めて作りましたが、ケーキ作りにおける「簡単」という言葉は「簡単」ではないんだということが分かりました。お店のケーキはすごいです。

距離を置いてみた感想

頑張りすぎなくても良いんだと思えるようになった

気持ち的な話にはなりますが、少し楽になったと思います。何かやらなきゃという気持ちが常にあり、それに基づいて行動を決めていたので、そこから離れることが出来ました。

また、自分のこれまでの行動を振り返った時に「頑張りすぎてたのでは…?」と思えるようになりました。昔だと当たり前のことだったので普通だと思っていましたが、そうではなかったっぽいです。そりゃ成長するよね…とも思いました。

やっぱりソフトウェア開発が好きだと思った

元々個人でもWebサービスやモバイルアプリを作っていたので、日頃からアイディアを探したり考えたりするのは好きでしたし、技術的な話題についても見かけるとつい記事を読んだりしていたので、それは変わらずでした。

あえて手を出さないようにしていましたが、仕事以外でも開発したいなーという気持ちはずっとあったので、少しずつ手を出していこうと思っています。

ということで、さっそく関心があったSAMLに入門してみたり、久々に作りたいものが見つかったので手を動かしていきます。


成長を諦めたわけではない

こうした内容を書くと仕事に関係することの成長を諦めたように見えてしまいますが、そんなことはないです。

仕事の中で得られることは多くあり、これまではそれに加えて平日の夜や休日に勉強したり情報収集したりしていたので、成長する度合いが高かったです。それらの上乗せ分がなくなりますが成長すること自体は変わらないですし、もっと出来るようになりたいという気持ちも変わっていないです。

あくまで人生の時間の使い方を変えることで、これまでよりも豊かな人生を歩めるか試してみようと思っているだけです。

じゃあ仕事に生きることが悪いことなのかというと、そんなことはないです。人生の時間を、仕事に費やしても構わないという情熱や使命感、目的があるのであればそれも一つの選択だと思います。

また、頑張らなければいけないタイミングというのはどこかで訪れるので、短期的に頑張ることも大切です。ただ、頑張りたいことなのか、頑張り続けたいことなのかを考えて、時間の配分は常々意識したほうが良いんだろうなと思います。気づいたら頑張り続けてしまう人は特にです。

おわりに

まだ距離を置き始めてから少ししか経っていませんが、昔よりも時間を雑に扱えるようになったと思います。そのため、成長に繋がらない行動の後ろめたさのようなものは少しずつ感じにくくなってきました。そういった意味ではとても気楽になっています。

ただ、この状態をずっと保ちたいかというとまだ分かっていません。多くの時間をこれだけのことに費やしたいと思えるようになったら、またその時にでも考えてみようと思います。

最後に、「限りある時間の使い方」という書籍の文章の一部を紹介します。全ての時間を活かそうとするのではなく、無駄にすることも大事だと思いました。

余暇を「無駄に」過ごすことこそ、余暇を無駄にしないための唯一の方法ではないだろうか。  何の役にも立たないことに時間を使い、その体験を純粋に楽しむこと。将来に備えて自分を高めるのではなく、ただ何もしないで休むこと。  一度きりの人生を存分に生きるためには、将来に向けた学びや鍛錬をいったん忘れる時間が必要だ。怠けることは単に許容されるだけでなく、人としての責任だといっていい。

「限りある時間の使い方」  P146

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?