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使命について

ふとした瞬間に、心の奥底に、自らの使命があることに気付くことがないだろうか。心の叫びだったり、心の奥底に眠っている何ものかだ。

おそらく人は、自分の経験を基に生き方を決めたり、あるいはハンドリングしていると思う。けど、そこには思い込みや洗脳、経験の少なさによる後悔といったものもあるだろう。人は何かの縁によりそれに気付くわけだが、なぜ「気付く」のかといえば、心の奥底に何かがあるからだと思う。「琴線に触れる」とも言うのかもしれない。

「心の奥底にある何ものか」に突き動かされ、考えたり行動する。それが「使命感にかられて」とか単に「使命」と言うのではないか。

はたしてプーチンやヒトラーや習近平はどんな使命感を持っているのだろうか。なかなか理解するのは難しい。
大戦時の日本の首脳はどんな使命感を持っていただろうか。あるいは使命感を塞ぎ込み、同調圧力に流されていた可能性だって無くはない。

人はなぜ生まれてきたのか、という問いはしばしばあるが、「幸せになるため」とか「遊ぶため」という答えでいいと私は思っている。 たまたま、偶然生まれてきてしまった、ということでいいと思っている。

私には自分の使命が「いじめを無くすこと」「戦争を無くすこと」だと想う瞬間がたびたび訪れる。そう想うと同時に自分の今の仕事をやめたくなる。
この想いはおそらく万人に共通している、と思っているし、そう思いたい。
じゃあ、みんながみんなそう想っているのだとしたら、そのことをもっとみんなで共有し合って、仕事を変えていけば(起業や新規事業開設)、少しずつ世の中よくなるはず。

ちょっと話は戻って、「心の奥底にあるもの」を構成するものは、おそらく教育・教育だ。

教育・哲学についてもっと勉強したい。と同時に行動を起こしていきたい。使命を果たすために。幸福になるたまに。

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