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生きにくい世界に/生きにくい私たちが/声をあげるという/希望

戦後日本で一番静かな正月

2020年が終わっていく。あと半日もすれば、日本には戦争以来、もっとも「静かな正月」がやってくる。除夜の鐘をつくこともためらわれ、初詣も制限され、家族同士で集うことさえもできない。帰省も出来ない人々が数年に一度レベルの寒波に凍えて、大雪に不安を抱えながらの年明けになる。

私は36年生きてるけど、ここまで「暗い年明け」を感じたことは一度もなかった。たとえ、ほぼアル中同然になって借金地獄で今にも自殺しそうになってた時期でも、正月は家に帰って、つかの間の人心地を味わえていた。でも、今回の年明けは、先を全く見通せず、2021年はどんな年になるのか想像もつかない。なんとも言えない「息苦しさ」がどうしてもつきまとう。

2020年という災厄の年

数百年後の学生は歴史の授業で間違いなく「2020年に全世界で新型コロナウイルス感染症が流行した」と教えられるだろう。そのくらい、今年は歴史的な1年だった。

でも、私の日常はどうか、といえば、淡々と進んでいった。もともと、2019年から在宅勤務だったので通勤もなく、ほとんど家から出ない生活はそれほど難しくなかったし、仕事の内容に大きな変化もなかった。むしろ、新型コロナウイルスの流行で発見したことや、深まった絆というのもある。なので、社会的な混乱はすぐそばにあるのに、自分の生活がなんとなく切り離されているような、安全なような不安なような、そういうふわふさわは今でも続いている。

歴史の教科書に歴史的な事件が起きたときの「庶民」の反応は、あまり描かれない。それがなぜかちょっと疑問に思っていたのだけど、コロナの影響が日に日に深刻化する中でも、殆どの人達は「日常」をやめないことを知った。どんな大きな事件が起きても「多くの人」は特にとりとめもなく日常を続けていて、特に記録に残すべきことが起きないのだ。だから、「庶民」は一見歴史を動かさないし、無関係に見える。世界は、「英雄」のみが動かすかのように見える。

でも、今の世の中には「英雄」はいない。みんなが「大衆」になったこの世界では、たとえアメリカの大統領や国連事務総長がコロナ対策を叫んでも、それを真剣に受け止める人もいれば、そうでない人もいる。英雄を殺しきったこの世の中でだれか英雄がでてきて、この自体を一気に解決してくれる、なんてことはありえない。結局、なにもできないし、なにもしないような「庶民の日常」がゆっくりと、それでも確実に動く方へ、歴史は動き、事態は刻々と移り変わってゆくのだ。

2021年がどういう年になるかは、私たち、ひとりひとりの日常のあり方が決めるのだろう。働いていても、寝ていても、働かなくても、あるいは遊んでいても、その一つ一つの「日常」が一粒の水滴のようなものでも、それは確実に2021年という歴史の方向性を定める「働き」になるんだろう。だから、2021年という年を「どうしたいか」を考えるのは、とてもとても、この暗くて息苦しい年末だからこそ、大事なことなのだと思う

わりとネガティブな1年でした

長々しく前置き書いたが、2020年の私は、わりと鬱々と日常を過ごしていたように思う。6月から、レシートを出来る限りノートに貼り付けていてその合間にその日に感じたことや考えたことの断片のメモなどもしているのだけど、割とネガティブなコメントが多い。

特に、妻のあおに対してイライラする、というメモが結構残っている。特に、あおの過食が止まらず、深夜に腹が減ったと叩き起こされて買い出しに行ったときのレシートのメモには激怒のマークがついている。

また、今年も夢遊病的な症状で行方不明になることが何度もあったし、救急車で運ばれたり、入院することや複数回あった。そのたびに自分の時間はどんどんなくなり、仕事もできなくなり、ストレスはうなぎのぼりになった。特に、1ヶ月に2回も救急搬送された時期のメモはもはや呪詛に近いなぐり書きだった。一方で、それだけ夢遊病的な問題が起きたりしたことは、あおが精神的に不安定になったということでもある。これは重苦しい社会の情勢もあるし、あるいは私がイライラしてることを、あおが敏感に受け止めて、混乱してしまったのもあるのだろう。大変申し訳無い事をした、という反省しかない。

自分自身で言えば、スケジュール管理が相変わらず全くできず、本業も副業もこんがらかって、全然思うように進んでいない。自分自身の情けなさにイライラするし、その原因を色々トラブルを起こすあおに責任転嫁したりもした。まぁ、実際のところはADHDからくるものとか、うまく手順を管理できないとか、やる気のむらがすごいとか、そういう仕事をする上でダメ人間っぷりが年々明らかになっているだけなのだが。ひどい夫もいたもんである。

こういう仕事のできなさから、各所に不義理に不義理を重ねていて、仕事に関しては考えるだけで頭痛やめまいがする、という大変ストレスな状態に陥っている。金銭面では言えばどういうわけか常に自転車操業で、いつクラッシュしてもおかしくない。そういう不安を抱えている。客観的に見て、ひどいもんだ。

ただ、在宅医療につながれたことで少しは日常や仕事に取り組める時間も増えてきたし、私が車が運転できるようになったことで外出するハードルも下がった。また、懸念だったあおの薬の副作用からくる過食が薬を変えたことで一気に収まり、急増していた体重も減少しはじめた。仕事に関しては、来年から大きく雇用のかたちも含めて変えるかもしれない。色々書いているものから大きく転がりそうな話もある。なにもかにもが悪いままに終わる、というわけでもない。

「生きにくさ」という救い

なにより、2020年は1月から、何人か会いたい人がいる。もちろん、コロナの状況次第でもあるので、オンラインだけになるかもしれない。それでも、1対1での縁を作る、というのはとても貴重なことだし、歳を経るごとに難しくなっていくことでもある。そういう機会があるというのは、それ自体が嬉しいことだ。そして、その大半は私自身が「障害者」として生きてきた経験やテクニックを話すことになるはずだ。

2020年は誰も彼もが「生きにくい」と感じた年だろうけども、私の周りの「障害者」という人たちは、意外と変わってない、というかむしろイキイキしてきた人も多い。様々なことがオンラインで進むので、外に出ることが難しい方がコミュニケーションを取る機会が増えた、とか、堂々と引き込もれる、とか、これまでの「生きにくさ」が一瞬で逆転して「生きやすい」世界になった、というわけだ。もちろん、別なところでは生きにくさが増えた人も多いだろうけど、世界がひっくり返ったら、そこにはすでに「別な生き方」をしていた人がいた、というのは、一種の「救い」でもあり、希望でもあるとおもう。

2021年はたぶん、まだまだ世界は振られたサイコロのように転がっていくんだろう。でも、その中で、どこが天井になっても、底になっても、すでにそこで生きている人がいるはずだ。そこから新しい社会に適応するための「学び」を得られるんじゃないか。それが「多様性」の本当の強みだと思う。

だから、私は2021年は「生きにくさ」を語ろうと思う。生きにくいからこそ学んだ「生きやすさ」を伝えていきたいと思う。そして、他の人の「生きにくさ」を学び、この「生きにくい世の中」でのサバイバルスキルを高めていきたいと思う。それが私の「2021年の庶民の日常」であれば、よい。

皆様、「生きて」いきましょう。できれば、光の指す方を目指しながら。

妻のあおががてんかん再発とか体調の悪化とかで仕事をやめることになりました。障害者の自分で妻一人養うことはかなり厳しいのでコンテンツがオモシロかったらサポートしていただけると全裸で土下座マシンになります。