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ドラマ「隣の家族は青く見える」の感想

数年前に放送された、ドラマ。久しぶりに見てみた。

いろんな家族の様子が描かれていて、それぞれの家族が様々な悩みを抱えていていた。

ある夫婦はとても仲がよくて、子供がとても欲しい夫婦。

ある家族は、両親と2人の子供がいて、夫は自らの意思で仕事を辞め、妻はそれを快く思ってなく、そして世間体をとにかく気にしてる。

あるカップルはひょんなことで一緒に住み始めた男性同士のゲイカップル。

あるカップルは女性は子供が欲しくないけど、男性は実は前妻との子供を引き取りたいと思ってたりする。

それぞれの家族は、同じコーポラティブハウスに住んでいる。

これはそれぞれの家族が意見を出し合って作り上げていく新しい形の集合住宅のことで、家族同士の関係も普通の隣同士の付き合いより近しいものになれる、そんな住まいの形だそう。(文字で説明するより、ドラマ見た方が早い気がする笑)

ドラマ上でのコーポラティブハウスは真ん中に共有スペース(庭みたいなもの)を設けていて、入り口を入るとまず共有スペースがあり、それを通ってそれぞれの家にへ入っていくという構造。(これも家族同士で話し合って決めている)

なので、共有スペースをうまく使っていくことで、ほかの家族との交流が楽しめる一方で、関係が悪くなってしまうと居づらい空間にもなる。

そんな様子がドラマでは何度も描かれている。

もちろん、共有スペースはあくまでスパイスとしてで、普段はそれぞれの家族の様子が中心。

それぞれの家族で特有ないろんな問題が起こって、話し合ったり、喧嘩したり、仲直りしたり、ひとりじゃないのにひとりで抱えて悩んだり等々。

それらを乗り越えて、絆を深めていく。

ざっくり、ほんとにざっくり言えばそんな作品。

だけど、いろんなことに気付かせてくれる良作だと改めて思いました。

(実はリアルタイムで見てた)


「みんな違って、みんないい」


誰かが言った言葉でこんなのがあったかと思う。(うろ覚え)

子どもをつくるということ、パートナーを持つということ(結婚もパートナーシップ制度も)。

自分がそうだったからって、そう思うからって、相手が同じ考えだと決めつけちゃいけない。押し付けるのはもっといけない。

知らないことにただ怖がるんじゃなくて、ただ拒絶するんじゃなくて、まずはそれを知ることから始めよう。

そんなことをドラマを通して教えてくれている、そんな作品だと思う。

じぶんにとっては、渉と朔のゲイカップルがしっかり描かれているのに当時は一番衝撃を受けた。

ひと昔前では、オネエ言葉、女性の格好、そんなゲイを描くことが多かったように思う。まるでゲイの代名詞みたいに。

でも、それだけじゃない。渉たちのような人たちだけでもない。ゲイにもいろんな人がいる。(もちろんゲイに限らないのは言うまでもなく)

彼らにもいろんな悩みがあり、四苦八苦しつつも乗り越えていくんだけども、ほかの家族も同様に乗り越えていく。時に家族内で、時に家族を超え、お互いに助け合い、話し合いながら。

もしかしたら、この作品は社会の縮図かもしれない。そして、乗り越えて、最終的には理想的とも言える形で作品を終えている。

こんなにうまくいくなんて、そうそうありえない。

そういう感想も聞こえてきそう。たしかにその通りかもしれない。

じぶんだって、確かにそう何度も思った。

でも、こんなに皆がみんなうまくはいかないだろうって思っても、あくまで理想にしか思えなくても、目指していくのは決して悪くないんじゃないかなとも思った。

そう思えた時、ちょっと嬉しくなってちょっと泣けた。(ひとつの問題を乗り越えたりするのを見るたびにそうだった気がする笑)

そして、主人公夫婦(奈々と大器)のラスト。

もしかしたら、賛否両論だったかもしれない。だけど、その終わり方でよかったのだとじぶんは思う。

ドラマは終わりを迎えたけど、彼らにはその先があるし・・・ね。


少し長くなってしまいましたが、ここまで読んでくださってありがとうございました!

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