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おばあちゃん、さようなら、ありがとう。

先ほど、実家の父から父方の祖母が亡くなったと連絡が入った。

100歳と半年だった。

誕生日を迎えたあとから状態はあまりよくないとは聞いていた。だから、なんとなくは予想はしてた。

だけど、実際にそうだと分かるとやっぱり…。

もっとも、最後に会った数年前でも、自分どころか子供である父のことも忘れていた状態だったし、その頃もこの日のことを思わなくはなかった。

そんなふうにじぶんらのことは覚えてはいなくても、なんだかんだで、からだは元気だったとずっと聞いていたから、まだ大丈夫だろうと思っていた。

でも、ずっと、なんてない。

とうとう、この日が来てしまった。

緊急事態宣言が再び発令して間もない、この東京で、今日、その知らせを受けた。

葬儀や葬式をすると聞いたけど、立ち会うために東京から広島に帰ることは、当然のようにできるわけもなく。(岡山にいる祖母の親類も県外だから立ち会えないらしい)

ただ、ただ、東京の空の下でお別れを言うだけだ。

うちは共稼ぎだったから、おばあちゃん子であり、おじいちゃん子だった。(唐突に書き出してみる)

どちらかというと、おばあちゃん子寄りでキリンレモンが好きだと言ったら、キリンレモンばかり買ってくれたり、ほかにも会えばいつもなんかしらお菓子くれたり、おこづかいもよくもらっていた。

今にしてみれば、孫に超甘々なおばあちゃんだったと思うし、大きくなってから母から聞いたところによると静かな嫁と姑戦争があったと聞いて少しおばあちゃんへの見方が変わりはした。

(もっとも、おばあちゃんの方は母をどう思ってたかは聞いたことはない。聞けるはずもない)

それでも大好きだった。

(おじいちゃんの方は基本はやさしいけど、怒りっぽい人だったからなあ)

じぶんが大きくなって親元を離れても、帰省するたびに
「東京からわざわざのう。よう帰って来たねえ」って言っておこづかいやお菓子をくれてた。

だけど、おじいちゃんがなくなった頃からか、ちょっとずつ、ちょっとずつ元気がなくなって。

お客さんとおしゃべりするためだけにずっと開けてたような、クリーニング店もたたんでからは忘れっぽくなって。

晩ごはんとかをさらに焦がしがちになって。

晩ごはんさえ食べたかどうか忘れるようになって。

お菓子をもらったりすることもなくなって。

見ているのかどうか分からない大音量のテレビをうんうんとただうなづきながら見るだけの日々を過ごすようになって。

そうしたら、いつしか施設通いをするようになったって親から聞いて。

そして今度はずっと施設にいるようになって。

ある時、帰省したときに親と一緒に施設に行って会ってみたらもうじぶんのことは覚えてなくて。

そして、今も続くこんな、人と会えない日々が続くようになって、帰省することもままならなくなって。

今年の誕生日を迎えたあとのこと、近くにいながらもやっとで会えるような、そんな父や妹から祖母の具合が最近あんまりよくないって言われて。

そして、今日、亡くなったと連絡を受けた。

実感がないからか、ずっと離れていたからか、いつかはと思っていたからか、今は涙は出てきてはいない。

だけど、やっぱりさびしいな、、と思いながら、なぜかこうして空の写真を貼り付けて、なぜかnoteを書いている。

直接はもう会えないけれど、おばあちゃん、100歳までようがんばったね。

今までありがとう。生きててくれてありがとう。

輪廻転生とか、天国とかを信じてるとかでもないけど、、

バイバイ、またね。


蛇足追記:

今日の日本テレビのZIP!、うまいもんジャーニーのコーナーで、なぜか実家である広島のアンテナショップに行ってた。

しかも、亡くなった時刻頃の放送。

まぁ、いつもその時間だし、広島なのもただの偶然だろうけど…。

(いつもはフジのめざましTV)

ここは完全に蛇足です(笑)。

それでも、ここまで読んでくださってありがとうございました。


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