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父方の祖母の一周忌で思うこと

今日は今回の帰省のメインミッションである、祖母の一周忌。

昔通っていた保育園、その敷地内にある御堂で一周忌の法要が執り行われた。ひと通りの読経が終わったあとの、住職さんによる説法がなかなか興味深かった。(毎回そうではある)

特に「故人によって法事に参列させて頂いてる」という視点はなるほどと納得させられた。法事があることで、帰省ができたし、久しぶりに従兄弟や親戚にも会えたことは本当にありがたいことだと改めて感じた。

そして法事のあとは場所を変えて会食。普段話せない従兄弟たちと久しぶりに話せたのは楽しかったし、嬉しかった。仕事の話になるともごもごしてしまうけど、今は致し方ないことだ。だけど、変にツッコまれなかったのはありがたかった。

あと、いづれ広島に帰ってくるのかどうかを聞かれたときは(帰省という意味ではなく)正直、戸惑ってしまった。それでもそう言ってくれるのはやはり嬉しくもあった。

今のじぶんは「これをやってる」って言えるものはないし、「こうして生きてきた」と胸を張れるものはなく、それで思い悩むことも多い。だけれど、「生きていて、悩みが何も無い人は居ない」と今日の説法でも言われたように、みんなきっと何かを抱えてたり悩んでたりする。じぶんだけが悩んでるわけじゃないことは忘れないようにしたい。

今回のじぶんの中でのMVPは従兄弟のAくんだ。39歳で孫ができて、テキーラなどお酒が大好きで(会食のときに飲んだわけではない笑)、ハーレーを乗りこなすというのはカルチャーショックしかない。住んでいる世界線が違うとすら思っても不思議ではない……。

そして、じぶんとはまた違う意味でなかなか波乱万丈の人生を歩んできてもいる彼が、なんだかカッコよくも見えた(と同時に危なかっしくも見えた)。かつて弟が彼の方が兄だったら良かったと言った(らしい)のも、今更ながらにうなずけることも多い(複雑な気持ちには当然なった)。

とはいえ、じぶんはじぶんだ。彼のようにはなれないし、弟に慕われる兄になれはしないだろうけど、それはそれ。彼のいいと思うところは取り入れて、これからもそれでもじぶんらしく生きていきたいと思う。ほかの親戚以上に久しぶりだったのもあり、そんな風に思うほどの再会だったのだ。

そんな法事、そして会食の1日は過ぎた。親戚付き合いは家系によってそれぞれだろうし、うちでもいろいろトラブルはあったようだ。それでも、今でもこうして和気あいあいと集まれるのはありがたいと思う。少なくともじぶんは楽しい会食だったし、いろいろ話せたのが嬉しかった。

ご時世的にも、それぞれの年齢的にも、いろんな意味でも、またこうして同じように集まれるかどうかはわからない。だけど、今回集まれたことに今はめいっぱい感謝して、またの再会を楽しみにしたい。



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