2017年春 シアター300 会話劇との出会い

こんばんは、橋本です。
今日はとある人のnoteに触発されて、演劇始めたての事を話したいなと思います。
そもそも演劇に興味を持ったきかっけはと言われると「多分」高校の文化祭だった、と思います。多分と付けたのはそれ以前も演劇に興味があった節はあったからです。小学校の学芸会とか中学にあった演劇部の公演も楽しんでたなーってうっすら記憶にあるからです。
でも、演劇やって楽しいなーって最初に思ったのは高校2年の夏でした。

高2の文化祭後、いや若いし細いし
…てか10年前ってマジ?

クラス劇のサウンド・オブ・ミュージックで男子の主役のトラップ大佐を声だけやりました。
うちの高校の文化祭劇は演じる人と喋る人を分けるという変わった方式で上演されます。ここで私は迷いなく「声優」を選びました。当時から動きに癖がある自覚があったんです。それでもソロやデュエットをめっちゃ練習してたのを覚えてます。演技が楽しいという経験は間違いなくこの時が初めてでした。でも、この経験が未来の序章になってるなんて思ってもみませんでした。
その後、楽しさ自体は忘れ難かったものの、演劇部は無かったし、そもそも陸上部長距離の主力だった私はそっちに没頭していきます。冬の府駅伝で区間5位(確か112人中)というそれなりに輝かしい実績を作った頃、休みを取って東京の劇団四季までWICKEDを観に行きました。文化祭の時3年生がやっていて、ストーリー自体が気になって観に行った様な気がします。そしてそこでプロの方々が楽しそうに芝居してるのを観て感銘を受けて、当時文芸部にも入っていた私はその体験を小説にしました。
ただ、あくまで私は「観る側」でいるつもりでした。
そして、気がつくと私は長い浪人期に入ります。ちなみに高3の文化祭は主要役オーディションで負けて脇役、どちらかと言うと文芸部と放送委員に明け暮れてました。楽しかったですけどね。
2年というトンネルを抜け、私は神戸大学に入りました。最初は高校時代の未練から陸上をするつもりでした。
しかし、高2の夏の青春が脳裏に焼き付いていたからか、劇団四季の幻想に憧れたか、はたまた偶々ポスターが目についたからか、授業がある校舎の横にあったシアター300ではちの巣座の「今度は愛妻家」を観に行きました。
泣いた、とにかく泣いた。お芝居ってこんなに心を揺さぶられるんだって、形容し難い何かに苛まれました。当時先輩方は2回生は2人という状況で3回生はこの公演で引退という瀬戸際だったので、そういう必死さもあったのかもしれません。ほんとに魂を揺さぶられる様なその芝居の虜になったのでした。
さて、これで私は晴れて演劇を志し…ませんでした。だって心を揺さぶられるだけならこれからも「観客」でいれば良いですし、当時の自分もそう考えてました。
でも、「どんな人」が芝居を作ってるのかに興味が湧きました。芝居作ってる人と友達になれたらいいなー位で体験稽古に行きました。

何故か残ってる体験稽古の写真
左は私、中央は先輩、右は後の盟友キャメロン

あれ…演じるの楽しくね?
なんか、体験稽古に来てる奴ら面白くね?
ダンスとかアクションとか無いなら俺にもできるんじゃね?
一回のつもりが二回、三回となり、気がついたら陸上部に断りの連絡を入れて、はちの巣座に入ることを決めていました。
この時集まった同期は17人、後に各所で活躍するはちの巣座36期誕生の瞬間でした。
なんか平凡ですが、これが私の始まりです。
 

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