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パニック障害って完治するの?元患者が完治についてお話します


はじめに


※【注意 必ずお読みください】

記事の中には、私Kuon(久遠)の過激に見える行動があります。(恐怖突入の項目)

そのまま真似ることは絶対にしないでください。あくまでも治療を受けている過程で行ったものです。

治療中の方は、医師の指示を守ってくださるようお願いいたします。


今回は、【パニック障害って完治するの?】というテーマで記事を書きました。

一般的には、パニック障害が改善した場合「完治」ではなく「寛解」と表現します。

「改善もしやすいが、再発もまたしやすい」という特徴から、寛解という表現になっています。

では、パニック障害。改善はしても、完治はしないのでしょうか?

完治とは、良くなった人の思い込みや、楽観的な展望にすぎないのでしょうか?

結論から言いますと、私は【完治はある!】と考えています。

自身の体験と、森田療法的な視点からお伝えしたいと思います。


1:パニック障害・Kuon(久遠)の治療経過


まずは、私の病歴と治療経過を、ざっとですが説明します。

①14歳の頃、視線が恐くて、人の顔を見られなくなる。卒業アルバムで、クラスメート全員の顔を知った。
自分の心がおかしいことを初めて自覚する

②24歳位 赤面恐怖症になる。会社で人と話すのが苦痛になる

③28歳でパニック障害。さらに全般性不安障害も発症

④2年間病院を変えながら治療するも、症状悪化。自殺企図も起きる

⑤森田療法を実施する病院に入院・森田療法を4カ月受ける

⑥改善して退院。通院治療となるが、再び症状悪化。

受診した帰りの電車内で衝撃的な体験をし、パニック障害を克服

⑧社会復帰を果たす

以上です。現在、治療が終わって20数年。病院・薬も卒業しました。

症状は全くありません。

入院中・退院後の経過

クリニック1件 病院2件を変わりましたが、薬物療法のみの治療。

更に、改善どころか悪化。

いろいろありましたが、最後にたどり着いたのが森田療法でした。

森田療法の概要はこちらに書いてあります。

当時の私は、パニック障害と全般性不安障害が混在していました。

一日中続く、漠然とした不安と胸の不快感。

それに加えて発作(死への恐怖・窒息感・動悸・胸痛)が起きる状態でした。

入院中はそのような中でも、「気分・症状はあるがままに受け入れる」という姿勢で、清掃作業・畑仕事・小旅行・季節のイベントなどのプログラムを受けてきました。

私の症状は心臓や呼吸器の病気に似ていましたが、検査で内科的な異常がないことは確認済みです。

苦痛はあくまでも、私の精神状態で起きているものでした。

この点は、主治医から詳しく説明を受けていました。

だから、「いくら苦しくなっても、これで死ぬことはない」という心構えにつながりました。

何よりも、入院中だから倒れたとしても、すぐに対応してもらえます。

この安心感が後ろ盾になって、つらい状況でも作業活動を休まず続けることができました。

少しずつ、症状にとらわれない姿勢が身に付き、行動ができるようになりました。

そして症状は大幅に改善。
4カ月たったころ、主治医から退院の許可が出ました。

2:再発


自宅に戻り、その後は服薬が終わるまで通院となりました。ところが、順調な暮らしは長くは続きませんでした。

一カ月もすると漠然とした不安・窒息感と胸痛にとらわれ始め、日常生活に支障をきたすようになりました。

また、発作への恐怖が頭から離れなくなりました。再び、恐怖にとらわれるようになったのです。

「今、何とかしないと大変なことになりそうだ」

我慢できなくなった私は、予定を前倒しして、主治医の診察を受けることにしました。

発作が起きそうな状態なのに、電車で片道2時間かかる病院へ向かいました。

電車に乗るのは気が引けましたが、それよりも主治医に相談したい気持ちが強くありました。

今考えると、おかしな話です。症状にとらわれているくせに、「主治医の診察を受けるために電車に乗る」という行動はできているのですから。

やっとの思いで病院へ到着。主治医に経過を話し、どうしたら良いかを相談しました。

すると、主治医からはきつい言葉を頂戴しました。

「Kuon(久遠)さんには、まだ【あるがまま】は難しかったかな」

「まだまだなんですよ。再入院を検討してもいいかもしれないね」

どこか突き放すような言葉が、胸に突き刺さりました。

「・・・再入院、か」
「情けない。治ったなんて、いい気になっていたんだな」

激しい自己嫌悪と絶望感。
追加の薬を受け取り、落胆して帰途につきました。

しかし、主治医から頂戴したきつい言葉。主治医は厳しい印象は無く、いつも受容的で優しい先生でした。なぜあんな言い方をしたのでしょう?

主治医は、あえて私を挑発したようです。

後から考えてみれば、私の行動は矛盾していました。

発作を恐れながらも、電車で2時間かけて診察を受けに行く。この先の生活を恐れながら、今この時、電車に乗ることは実行に移せている。

主治医は、私の矛盾した認識をお見通しだったのです。
だから、「【あるがまま】につながる行動をしなさい」
と、きつめの言葉で促したのでしょう。

そして、私はまんまと主治医の挑発に乗せられます。
結果、衝撃的な体験をすることになります。

3:パニック障害が治った瞬間


病院から自宅までは、電車で2時間かかる道のり。

駅に着いたものの、予期不安で電車に乗れなくなりました。

行きは、「診察を受けたい」という目的で行動できました。

しかし、帰りは行動できない。なぜなら、目的を失っているから。

頭の中は、発作を回避することでいっぱい。

でも、このまま駅にとどまるわけにもいきません。どうする?

結局は、恐い電車に乗るしかないのです。

再び目的ができました。「家に帰る」「帰るために電車に乗る」


観念して、夕暮れ時で混んだ電車に乗り込みました。

予期不安は発作に変わります。冷や汗が流れ、じんわりこみ上げてくる恐怖。

動悸・窒息感・胸痛が起き始める。

恐怖から逃れようと誘惑にかられる。カバンには、病院で受け取った薬がある。

「これ、イッキ飲みしちゃおうかな」と思う自分。

「また薬漬けかよ。せっかく減薬したのに。それでいいの?」と、とがめる自分。

そんな時にふと、診察で言われた主治医の言葉を思い出します。

「Kuon(久遠)さんには、まだ【あるがまま】は難しかったかな」

この時、悔しいという感情がわきました。「そんなことは無い!」

主治医の言葉を否定したくて、覚悟を決めました。

「薬は、飲まない。このままだ」
「入院中に何度も聞いた恐怖突入。やるなら今!」


森田療法の言葉・恐怖突入とは

森田療法の用語に、「恐怖突入」という言葉があります。

症状によって起きる恐怖・苦痛・不快感にから逃げず、積極的に受け入れて向き合う行動のことです。

具体的には、電車に乗るのが恐いなら、あえて電車に乗るという行動です。


衝撃的な体験・本当の【あるがまま】

こみあった車内で、つり革をつかんだ両手を額に当てて、目を閉じる。

どんどん激しくなる動悸・胸の痛み・窒息感・恐怖。

不思議なことに、客観的に自分を見ている冷静な気持ちもありました。

「苦しいけど、逃げないで続けるんだ」

恐怖・苦痛が極限に達した瞬間。衝撃的なことが起きます。

一瞬にして、不安・恐怖・苦痛が消失しました。

濃い霧が瞬時に晴れていくかのように、サーッと症状が消えていく。

これまで感じた経験のない、安心感・爽快感に満たされていきます。

この時、はっきりと自覚しました。

「今、初めて本当のあるがままができた」

この体験をきっかけに、予期不安は出なくなりました。
恐怖の対象だった発作を恐れなくなったからです。
私にとって発作は、もはや正体のバレているお化け屋敷のオバケのようなものでした。

その後も、窒息感や胸の不快感は残りましたが、日常生活には何の支障もありません。

社会復帰に向けての準備や、趣味の合氣道の再開で忙しく過ごす毎日の中、徐々に薄れていきました。

そして現在。私の心からパニック・全般性不安障害は、完全に消えています。


4:今後「再発する可能性は無い」と確信


その理由はあやふやな感覚ではなく、明確なものです。
一定期間、無症状だったという経過からの判断でもありません。
説明できる根拠があります。

Kuon(久遠)が【今後の再発は無い】と言い切る根拠

私は今後、再発はしないと確信しています。
理由は2つあります。

①     症状が恐くなくなった
②     症状があっても行動する生活習慣が身についている

①②に関してお話したい内容は、以下の通りです。

症状が起きる最大の原因は、恐怖です。

電車での体験後、症状に対する意識が変化しました。

もしも仮に、明日発作を起こしたとしても、私は仕事に行くし、筋トレのためにジムに行く。合氣道の稽古もします。念のため、内科的な疾患の検査は受けますが、何も無ければ普通に生活します。

自分がそう行動できることに、疑いはありません。

なぜなら、森田療法で積み重ねた、「気分・症状はあるがままに受け入れ、やるべきことをやる」という行動が、習慣化されているからです。

もしも、「症状が起きないことが完治」という考え方でいたら、とっくに再発し、再入院していた可能性もあります。

【あるがまま】の思考・行動ができている限り、生活に支障をきたすような症状は出てきませんでした。

あっても、ごく軽い不安・胸の違和感など、症状の前段階のような程度のモノです。

結果、すぐに消えてしまうことばかりでした。

私が思う完治とは、「治ったから終わり・完」ではありません。

【あるがまま】の思考・行動を習慣として続けていく。それを生活習慣として継続できるようになる。

私はこれが、パニック障害の完治だと考えています。

今回のまとめ



今回のまとめです。

パニック発作の主な原因は、発作を恐れる恐怖がもとになっている。

身体の病気とは別であることを、きちんと認識する。
どんなに酷くても死ぬことは無い。

目的を持った行動をする。行動するときに、症状によって行動を制限しない。回避行動を取らない。

症状が恐くなくなると、予期不安が無くなる。
予期不安が無くなると、発作は起きなくなる。

症状の有無で、改善の度合いを判断しない。それでは、症状に対する恐怖を解決できない。

改善の度合いは、目的に向けた行動で判断する。

完治とは、症状が出なくなったことだけではない。

恐怖を乗り越えた行動を習慣化する。そして継続できればパニック障害は克服できる。

以上のことから、元患者 Kuon(久遠)は、パニック障害の完治はあり得ると考えています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

同じ病気に悩む方々に、少しでも参考になれれば幸いです。



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