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経験すること、身を守ること

ちょっとした、私の思い出話。(いつの間にか思い出に変化した)


ドイツの南、ミュンヘンに修業へと出かけた時のこと。
ちょうど同じタイミングでメッセ(国際見本市)の開催と重なってしまい、街中のホテルが値上がり。一介の音大生が泊まるようなお値段では無くなってしまって途方に暮れていました。留学中の先輩に連絡をとり、転がり込ませてもらおうかと進めていたものの、コロナのことや先輩自身も忙しいということもあって断念。
必死に検索を繰り返し、少しでも安価で安全な場所・講習会の会場へアクセスの良いところをネットの海で探していました。そこに偶然見つけた、お手頃な値段のペンションホテルを発見。(これでも十分なお値段します…。時期が悪いと本当に価格がおかしくなって悩まされました…。)この値段なら…なんとか。講習会の会場にもSバーンで数駅という距離。駅にも近い立地。他の場所に比べると良いのか、と思い予約を決めました。今年の2月から営業を開始したばかりということで口コミも少ないけれど英語対応可能であればなんとかなるだろう、そう思っていました。

しかし、到着してみてびっくり。
住所の札はあるけれど、入り口を見つけられない。え、どこ。楽器を背負い、iPadやら楽譜を詰め込んだバッグを下げ、スーツケースを引いて歩き回るのはかなりキツイ。加えて、アパートとレストランが立ち並ぶ比較的静かな場所と人通りの少ない通りも相まって、悪目立ちしているような視線も感じていました。やっとこさ見つけたのは裏口のような暗ーい入り口。動きの少し鈍い人感センサーで点く明かりを頼りにフロントを探すも見つからない。エレベーターは動かないとの張り紙を発見したので、仕方なく階段の上り下りを繰り返しながらひたすらに探す。支払いは予約の時に済ませていたので、お金だけ奪われて泊まる場所がないという詐欺だったら最悪と、流石に焦りを感じて、予約サイトから問い合わせフォームを探し出し、英語電話に挑戦。電波がなんとなく弱く、聞き取りにくい英語のおじさんにつながり、状況を説明したところ、チェックインは16時からだから部屋はないとの回答。いや、私のこの状態で待つことは無理だろう。どうにかこうにか交渉を続けて40分後に部屋を用意してもらうことにして、少しだけホッと息をつきました。
普段なら平日の木曜日で何も問題ないと思われたのですが、重なる時には一度にいろんなことが重なる。キリストの昇天日ということでドイツ全体が祝日…!ドイツ(ヨーロッパ)では日曜日と祝日はほぼ全てのお店がしまってしまうのです。日本のようにコンビニがあちらこちらにあるわけではありません。スーパーマーケットも全て閉まります。つまり、何もないところで40分待てということ。おまけにペットボトルの水も持っていなかった私は、それまでの運動量でだいぶ体力を消耗していました。カフェもないし、レストランはあるけれど全て夜から。突然街に放り投げられて、さらに途方に暮れる事態へと逆戻りとなってしまいました。

見つけたベンチでぼけっとしても仕方がない。中心街に行こう。そうしたら水や何か買えるかもしれない。気力を振り絞って移動を決意した私。楽器と楽譜、スーツケースを引きながら、電車に乗り、中心街へ。石畳の道をスーツケース付きで歩くのは根性が必要です。日本の歩道って優秀なのね…とおかしな方に思考が傾きながら、有名観光地の横をひたすら歩き続けること20分ほど。屋外でビールを飲んで休日を満喫するドイツ人たちの横をよろよろしながら通りすぎ、ありとあらゆるスーパーマーケットがしまっていることに絶望をくりかえし、最後見つけたペットボトルの水は1Lで4ユーロ…背に腹は変えられぬと日本語を呟きながら水を買い、またホテルにチェックインのため戻るという、気が遠くなることをしていました。

さまざまなことにゴリゴリと削られ、ペンションホテルに戻ったものの、やはりオーナーの姿は見つけられないし、フロントの場所はわからないしと2回目の電話。また何かあったら怒鳴ろうかしらとかふらふらの頭でぼんやり思いながら、コール音を聞き続けました。
やっと姿を確認したオーナーと薄暗い階段の下で立ったまま、チェックイン作業をして部屋に通されたのは、一番最初に辿り着いてから3時間以上経ってからでした。

長めの期間滞在するときは、いかに心地の良い居場所をつくれるか・自分で自分のゴキゲンを取るために部屋を作るところから始めます。パッキングを解き、物の定位置を決めて洋服も全て確認します。しかし、どうしても今回の部屋で自分の荷物を広げることに違和感と抵抗感がありました。完璧な部屋は存在しないし、壁があってドアがあり、屋根がある空間を提供してもらえている状況に感謝することを忘れてはならないことも理解しています。でもどうしてもスーツケースを開けたくない。部屋に案内された時に、目に飛び込んできたのはベッドでも窓でもなく、洗面台でした。そして、シャワールームと呼ぶべきなのか、壁をくり抜いた中に付けられたシャワー。部屋とシャワールームはカーテンで仕切られているだけ。洗面所・お風呂場の中にベッドが置かれている、という感じでしょうか。目が点になりました。
_いやでも、まずペンションが存在していて、部屋も存在していて、チェックインもなんとかできた。ドアも窓もベッドもあって洗面台もシャワーも目の前にある。一般的な水準はクリアしているよね_と自分に言い聞かせながら部屋の中をぐるぐる。禁煙ルームでと予約しているけど、明らかにタバコの匂いが漂っているけれど、部屋は部屋だよなあ。これもまた一つの経験か、と一区切りをつけ重い腰を上げてパッキングを解き始めました。

修業に出かけると、自分の感覚が極限まで研ぎ澄まされます。この道はなんか危ないかも、雰囲気が悪いかも、と「身を守る」ということに対して敏感になります。音楽の感覚を広げる時間でもあり、感性を解放することが主だけれども、ひとりで生きていくことにも貪欲にそして鋭くなっていきます。

多分、この時少しだけ感覚に狂いが生じていたのだと思います。同時多発的にいろんなことが起き、マスタークラスへの不安と期待もあり、どこか自分のもやっとしたことに対して見て見ぬふりをしていたのだと思います。部屋が用意されているだけで感謝だよなあととにかく自分に言い聞かせていたのです。

先生にマスタークラスの会場で数年ぶりに再会し、レッスンを聴いてから帰宅して少し満たされた気持ちになっていました。さて、明日に備えて休もうとした時のこと。くり抜かれてかなり謎なつくりのシャワールームで、事件。

_お湯が出ない。

待てどくらせどお湯が出てこない。チョロチョロと水が出てくるだけのシャワーヘッドを片手に絶望。30分以上格闘したものの、自分の体調を考えて水を浴びるのは危険だと判断。まじかあ、と思わず呟きながら再びおじさんに電話をすることを決め、ベッドへ。タバコとなんとも言えない匂いが混じったお布団に驚愕し、自分の寝袋を慌てて引っ張り出して就寝。
日本にいる両親になんて言おう、送り出してもらっているのにホテルの環境が…とは言いにくいな…、でもマスタークラスにも支障が出るかもと思考がぐるぐると巡っていました。

次の日の朝、再びオーナーのおじさんに電話をしシャワーを直しておく約束を取り付けたものの、テキトーな感じであしらわれてしまい結局何度も電話をしまくり状況を繰り返し説明。部屋を替えてほしいと伝えても、それは〜と曖昧になってしまうのに少しずつ腹を煮え繰り返しながらも負けじと話をし続けて、次の日の夕方におじさんに見てもらうことに。何が原因だったかさっぱりわからないまま、おじさんの力技によって出るようになった(?)温水シャワー。チョロチョロとシャワーヘッドの4分の1ほどしかでない、という状況まで少し改善したことに少し安心。春の気配があるといっても、夜はかなり冷え込む季節。そんな中、自分の体調を整えて、毎日の音楽生活に全力で取り組む、自分の気持ちを落とさないように自分でコントロールすることの難しさを思い知らされる経験でした。

生活を重ねるほどに気がついていく、自分の状況。
外に出るとゴミ箱からゴミが大量に溢れていたり、瓶が叩きつけられるガシャーンという音が夜中に鳴り響いていたり、タバコの煙たい空気で充満している道…
マスタークラスでは夜遅くなることもあります。遅くまでレッスンを聴き、そこからコンサートへと街へ繰り出すことも。そうなると、自分の拠点とする場所に安全に帰ることができるのか?ということも常に考えます。また、朝も早い時間からレッスンのために会場で練習を始めることもあるため、朝の時間にどのくらいの人がいて安全に駅から電車に乗って会場まで行けるか?ということも自分の身を守るために考えます。
異国の地にいて、自分が「外国人」であること。また、非常に言葉を選ぶのが難しいですが、自分が「女性」であること。
あ、何かこの雰囲気は良くない。ちょっと怖いかも。といった「身を守る」ということに対して本能のままで行動することは母国の日常では考えられないかもしれない。しかし、ここは自分が異国の人間で、文化も言葉も違う土地。
何か「違和感」がある、という自分の生存本能に従うことの重要さを思い、この場所から離れることを考え始めました。

日本にいる両親にヘルプを求めて、よくビジネス出張でミュンヘンを訪れる父に新しい宿泊場所のアドバイスや治安について聞き、自分のレッスンに集中しながら次の手を考える。
最終的には父に手配をお願いすることにし、父が常宿として利用しているホテルへと移ることに。

これも旅の醍醐味だよ、と思う人もいるかもしれません。でも、私にとってこの旅は「修業」。耐えることではなく、自分の能力の最大値を試し次へと繋げていく、いわば出張のようなもの。常にベストな自分の身体のコンディションとメンタルでいないと、目の前のチャンスを全力で掴むことはできません。
自分の内側に耳を傾け、何を潜在的に感じているのか何をしたいのか、何を一番に考えるべきなのか。
それは母国の日本でも同じことなのだろう、いつでもアンテナを張って些細な変化やわずかな戸惑いも見逃さないように、ということを改めて実感した修業の1ページでした。

Danke!

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