赤と青と
ドイツに戻る直前に、髪の毛を赤く染めた。
イヤリングカラーに鮮やかな赤を入れてもらい、美容師さんのアイデアによって毛先もグラデーションのように赤く染めてもらった。
家族には某漫画の炎のような登場人物の名前を連呼されているけれど、私はとても気に入っている。
美容院に行くのは1年ぶり。冬に帰った時には近所の1000円カット(今は値段の関係でそうは呼ばないと思うけれど)で重たい髪の毛を軽くしてもらったくらいで、ちゃんと染め直して綺麗に整えてもらうのは久しぶりだった。
美容院に行くのが苦手で、新しいところは開拓せず母に連れられていった美容院に、母と同じ美容師さんを指名して、妹からは散々「値段が高い」とぶうぶう言われているけれど、ここであれば億劫にならないと思っているのでなんとか今回はギリギリのタイミングだったけれども予約することができた。
黒髪で、昔はぱっつん前髪のまるこちゃんを貫き通していたけれど、美容師さんに染めてみたいと言って明るくしてもらった時に、明るい髪色の方が少し垢抜けることを知ってから染める時はちょっぴり派手目にしてもらっている。
それが加速したのは大学に入ってから。「誰も弾いたことのない曲を弾きたい」「現代音楽が面白い」と周りの同級生から少し道を外れ始めると同時に、舞台衣装に対しての見方が急速に変わった。Aラインのドレスで細い肩紐で、全体にスパンコールとラメがまぶしてあるようなドレスが定番だった時代。残念ながら私の体型は全体的に貧相で、肩幅はあるけれども肉付きがどうも悪く、細い肩紐のドレスで下に向かって広がっていく”流行りの”ドレスを舞台で着てしまうと、もはやドレスが楽器を持って歩いているようにしか見えない。さらには貧相な体型が余計に強調されてしまい、最初の印象が「なんか細っちょろくて、演奏に期待できなさそう」となりがち。音で評価するのが音楽とはいえ、舞台に立つ時にはどうしても最初に入ってくる情報は「視覚」になる。そこでマイナス評価をもらってしまうのはどれだけ音が良くても、マイナス始まりでは伸びない。それがどうしても悔しかった。
そこで戦略を変え、アシメトリーな衣装や貧相な体型を少し隠すようなデザイン性のある衣装を探すことにした。次第に衣装のレパートリーが増え、前衛的なデザインをショッピングに行く時に探すのが一つの趣味というか楽しみになった。
それが次第に私服にも反映され始め、少し変わったデザインや形の洋服を好んで着るようになっていった。
そうして次に気になり始めたのが髪色だった。ちょっと派手な色にしてみたい、とポツリとこぼした要望を美容師さんは聞き逃さなくて、「次の演奏会で真っ赤なパンツドレスとアシメトリーな黒いワンピースを合わせるのだけど…」と話したところ、イヤリングカラーを入れることを提案してもらった。せっかくなら衣装と揃えて赤くする?と真っ赤な髪が一房入った。
ガラリと印象が変わり、少し派手な感じだけれどもけばけばしくない感じ。でも舞台に立つと赤い衣装と髪色がリンクしていて、舞台を自分の雰囲気に持っていける。
何かのピースがハマった気がした。私は音楽家だけれども、舞台に立つ”舞台人”でもある。視覚から聴覚まで相手に印象付けるには、全身で自分を表現するべきなのかも。その結論に辿り着いたら、何かがストンと腑に落ちた。
そうなればあとは早い。
髪が長くなり、プリンのようになってきたタイミングで億劫ながらも、「舞台で自分を表現するために髪を綺麗にする」という目的を達成するために美容院に行こう。私が納得できて正しいと思える理由を見つけた気がして、前に比べて美容院に行く時間に対して少しだけ前向きになれた。
その反面赤色の髪の毛にしておきながら、好きな色は?と聞かれると即答で「青」と答える。
青色のペンや、ブルーブラック色のペンを愛用しているし、ノートの色や手に取る雑貨などは青色系、寒色系が占めている。
ちょっとマニアックな話にはなるけれど、楽譜の出版社でヘンレ社がある。私はこの出版社の楽譜がお気に入り。青色の表紙で、使い込むほど良い感じにくたびれて廃れることによって、最初の青色が少しずつ薄まっていくのが好き。もちろん作曲家や作品によってはヘンレ社を選べなくて別の出版社の楽譜を使うこともあるけれど、大体ヘンレ社の版を探してから他の出版社を比較検討する。
洋服も形が少しアシメトリーだったり。ひと癖あるようなものを好むけれど、色味はモノトーンや青色などの寒色系が占めている。
アクセントに赤色が入ることもあるけれど、それは半分私服で半分は音楽のための服。つまりは仕事服でもあるので、完全な私服ではないから、少し別のカテゴリーになるけれど、基本的に私のクローゼットは赤色と青色で二分されている。
音楽家としての自分を見せるときは赤、一個人としての(いわゆるオフ)時間は青。色が私の世界を少しだけ分けてくれている。
音楽家はどうしても私生活と仕事の境界線が曖昧になって、すぐにお互いの領域を侵略してしまう。「休みの日は何をしていますか?」という質問はずっと苦手だし、究極の質問になってしまうからゲンナリしてしまう。
音楽の世界で生きると決めた時から、日常の全ての出来事は音楽につながっていると思うようになることが増えた。天気、ご飯、ニュース、何気ない会話からパソコンのキーボードを打つことまで、自分が毎秒出会う出来事全てが音楽に直結していくと四六時中考えている。ウィンドウショッピングをすれば、「あの洋服は本番衣装になるだろうか?」「どんな曲と合わせたら良いだろう?」「腕まわりが動かしやすいのかな?」。本を読めば「この主人公の気持ちはあの曲とリンクするかもしれない」「この感情を理解するにはどうしたら良いのだろうか」。スポーツをしたとしても「この動きは演奏に役立つのか?」「あの瞬発力を表現するには?」と全て音楽につながってくるし、繋げようと思考回路が形成される。
そうなれば境界線はないに等しくなるし、寝ても覚めても音楽に溢れている。
一定の期間はそれでも大丈夫だったし、その膨大な量のインプット量が必要な時期でもあった。
ただ、ある一線を超えてしまうと自分の思考を自分でコントロールできない瞬間が訪れる。アドレナリン過多のような、いつでも臨戦体制の状況でいるのはとても疲れる。
それを特に実感したのは一人で生活を回すようになったからだ。
今までは半強制的に一旦「終わる」時間があった。誰かと過ごせば、会話や思考は自分1人のものだけではなくなるし、家族や近しい人であれば尚更、共有することや相手のことを一緒に考えることもある。
反対に一人で過ごすことが増えれば、誰にも虐げられることなく延々に考え続けられるし、考えていること自体がだんだん楽しくなってくる。
境界線が曖昧になって、はたと気がついた時にはキャパオーバーの一歩手前になってしまう。
だからこそ、音楽以外のことをするときには「青」色のものが多いようにする。青が目に入ればスイッチをオフにできたり、すっと沈静化していけるように自分を少しずつマインドコントロールしていく。
青色のものに囲まれている時には少しだけ肩の力を抜いてもいいんだよ、今はオフの時間だよと覚え込ませていけば、どうしようもなく焦る毎日に走り回る臨戦体制の心と体は次第に「青」によって落ち着きを取り戻していくようになる。
逆に舞台に上がる時やシャキッと力を入れる時には「赤」色を身につける。
衣装の赤を見れば「さあ、音楽」「さあ、仕事」と切り替える。赤くなった髪の毛を綺麗にまとめたら自然とスイッチが入って、背筋が伸びる。
赤色を身に纏って、楽器を背負って飛び出していく。そして、青色はいつでも私を鎮めてくれる存在として待っていてくれている。
そうやってまた先にある音を捕まえに、私は走っていくのだと思う。
こぼれ話:
むらさき色も私のお気に入り。これはオンとオフのちょうど中間に位置する色となっている。
大学生時代に友人2人と一緒に活動していた室内楽グループの名前が、"Trio Lila"だった。Lilaはドイツ語でむらさき色を意味する。
それ以来むらさき色は私にとって大切な色になったし、何かと目に入ってくる色になった。友人2人との時間は半分仕事で、半分楽しみ。仕事仲間としての線引きもあったし、その反面プライベートでもじっくり話せる仲間でもあったから、私にとって”赤”でも”青”でもない時間だった。
赤と青を混ぜればむらさき色になるし、赤と青の比率によっても色の深みや鮮やかさは変化していく。そのむらさき色は、私がTrio Lilaの友人2人と過ごした学生時代の最後の時間をまさに象徴する色だった。赤が多い時もあるし、青が多い時もある。それでも混ざり合って出来あがる、”むらさき”という色であることには変わらなかった。
今振り返れば、あの時間はとても貴重だったのだと思う。欲しいと思っても簡単に手に入るものではなかったし、年齢を重ねれば重ねるほどお互いに背負うものが多くなっていつまでも同じであり続けられない。
”むらさき”色の時間はひとつの思い出。
今の私のスマホケースは2台ともむらさき色。もしかしたら、長く使おうと思っている物の色はむらさき色を知らず知らずのうちに選んでいるのかもしれないし、何か思い出に浸る時の色はむらさき色なのかもしれない。
今は、それぞれ全く違う場所に住んでいる3人。道が分かれていても音楽とむらさき色の思い出で結ばれている気がしているし、そして、むらさき色は私の支えになっている。
ZUKUNFT? ZUKUNFT? ZUKUNFT? ….Okay, dann geh' ich schon mal vor.
「未来?未来?未来?…了解、それじゃあ、私は先に行ってるね。」
(大学からもらったシールの言葉がお気に入り。旅のお供のスーツケースに貼っています。)
And this essay inspierd by 「赤と青のガウン」彬子女王
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