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日記のような、書き留めたいこと

今日は気の向くまま書いてみようと思います。いつもnoteの記事やSNSの投稿をするときには書いて、推敲して、考えてを繰り返してから投稿しているので時間をかけてゆっくり仕上げています。というのは私が刹那的な言葉を好まないからで、「言葉」を鍛錬していくことと出てくる言葉を吟味することに楽しさと、選び抜かれた言葉に意味があると思っているので、文章を書くことは好きですが時間をゆっくりかけています。
そんな風に書き上げていくのも楽しいですが、ちょっと違ったこともやってみようと思います。

今回は少し日記風にここ最近の出来事を。
つい一昨日まで、狂ったようにRavelのTziganeという曲を弾いていました。
私の在籍する音楽大学ではセメスターごとに2回ほどクラスコンサートがあります。内輪だけの演奏会ではなく、学校のウェブサイトにも情報が掲載されているので興味のある熱心な聴衆がこぞって聴きにきます。それはもちろん学内の学生や友人も聴きにくるので、まあ変なことはできない。
他の楽器の教授が紛れて聴きにきていたりもするので、重要な演奏機会です。

12月の下旬に1回目のクラスコンサートがあり、2回目が2月。冬休みを挟んだり、師匠が演奏会ツアーでフランクフルトを離れていたり。クラスコンサートの間が短く、準備期間もとても限られていました。さらには私自身も1月の初めにマスタークラスがあったり、少し私の楽器のことで揺り動かされたり。(何度ミュンヘンを往復したかな…遠い目)落ち着いて練習に集中することができない日々でした。ストレスが毎日積み重なり、気がそぞろになったり、ご飯を食べ過ぎてしまったり、逆に食べられなくなったり。日常生活の上に成り立つ音楽や学びがぐらついていた期間でもありました。

ずっとRavelのTziganeは弾こうと思っていました。いろんな人に似合うと思う!と言ってもらうことが多く、私自身も弾きたいなあと思い続けてきました。12月のクラスコンサートが終わってから漠然と次はTziganeにしようか〜と思っていたのですが、思いの外楽譜を見る時間を作れず、結局私が楽譜を読み始めたのはクラスコンサートの3週間前。さらには暗譜(楽譜を見ずに演奏すること)で弾くので、楽譜を読むと同時に記憶していかなければならない。師匠も演奏会で忙しいので、レッスンもわずかな回数のみ。聞きたいことを事前にまとめて、自分の意見を練った上で師匠のレッスンに行くことを意識しなければと言うこと。また、楽譜を再現するだけが演奏家の仕事ではないので、曲を地肉にして熟成させていくことも大切です。むしろ、ここの時間が一番大切で、音楽を作っていく過程において最も比重の大きい場所だと思います。戦略的に自分を追い込むしかない。そう思い、数少ない教授のレッスンで今日は何をするか逆算し、自分の限られた時間をどうやって使い、頭を使って曲を作り上げていくか、知的にかつ感情的に曲を作るにはどうしたら良いか頭を絞りながら毎日の練習に向き合い続けました。

最後の1週間は怒涛でした。ドイツ語の語学試験も控えているため、毎日5時に起きてドイツ語の勉強。大学の練習室で授業前に練習。そこから授業を受けて、帰宅して練習、練習。Ruhezeitや隣人のことも考えると夜遅くまで練習することはできないので、最長19時が限界。しかも、最近仲良くしていた楽器に理解のあった隣人が留学のために引越ししてしまったので(!)、他の部屋の住人たちから文句を言われたらどうしようと不安だったこともあり、すこーし怖気付いていました。夜もドイツ語を勉強して、練習の計画と曲についての研究。そしてまた5時に起きる…etc.
Tziganeは超絶技巧が盛り込まれている曲なので、練習量がものを言います。テクニック的な面は自分の指の限界が来るまで必死に練習。毎度練習が終わる頃には左指の爪は削れて、指先の皮が捲れ上がっていました。そして、弾き続けると指先から飛び散る爪の欠片と指先の皮膚…。
自炊もして片付けもしていると手はガサガサ、ハンドクリームも私は好きではないのでそのまま放置。(楽器にクリームがついてしまうことが気がかりだったり、良くも悪くも滑りが良くなってしまうので、弦を抑える感覚が変わってしまうのがなんとなく嫌なんです…。寝る前とかケアとしてのお手入れでハンドクリームを使いますが、日中はほぼ使ってないです…。これはヴァイオリニストあるある?)女子力とは…?という感じです。
師匠にも、満面の笑みで「指先から血が噴き出るまで練習したら弾ける!」と言われ、実際に私もそう思っていたので血が噴き出ることはなかったにしろ、爪と皮膚の奥の方に血豆(表面に血は出ていないのですが、今の指先は常に赤いです。爪と爪の皮膚の間が真っ赤)が埋もれるくらい酷使。

ここまでくると本番は逆に開き直っていました。これだけ追い込んだし、結論自分がやりたいと言って始めた曲であるし、忙しくても舞台に立つと決めたのであればやり遂げることが音楽家としての責務でしょう、という気持ちでした。直前のゲネプロ(実際の舞台で少しだけ音出しをする時間)で、弓が滑ったり指が硬直して音が上手く出なくて真っ青になったのですが、師匠から「大丈夫!練習してきてることがよくわかるし、君なら大丈夫!あとは全て出し切るだけだよ!」という励ましと、心強いピアニストのサポートのおかげで、本番の時には楽しんで演奏することができました。前回のクラスコンサートと同じ場所だったのですが、客席の配置が違ったことで、一番前に座っているお客さんと私の演奏位置が思ったより近く、わおびっくりという感じでしたが、弾き始めればその存在を忘れるくらい音に没頭しました。
1音目で私の世界へ引き摺り込んでやる。私が弾いた音で客席とお客さんの佇まいと空気が変わる瞬間が好きです。その一瞬、ぴりっとした変わり目の瞬間を掴むことと、弾き終わった時の空気が弛緩する瞬間。この全員の時間を私だけのものにしている、なんともわがままな時間。ああ舞台に立てて幸せだなって、指先の痛みや弾け飛んでいく爪の痛みすらも忘れるくらい、純粋に楽しかったです。
ヨーロッパの人の感情表現はとってもシンプルです。良いものには良い!素晴らしい!と純粋な反応が返ってきます。弾き終えた後の拍手の温かさや、声掛けというのも、今日この本番まで追い込んできた自分の時間を優しく肯定してくれているようで、よかった!と満面の笑みで最後の1音を聞き届けてくれたお客さんたちの顔を舞台から見ることができて嬉しかったです。

本番後の指先は毎回かなり悲劇的な状況になっているので、コンサート後帰宅してからはいつもより念入りなケアを。硬くなりすぎても良い音は出ないので、爪の長さもいつも気にしています。
Tziganeは舞台にのせるたびに熟成していく曲になりそう、いろんな角度からアプローチできる曲だなあといろんな学びを得た3週間でした。「戦略的に」「知的に」「計画的に」がキーワードになった今回のクラスコンサート。音楽的にも大胆かつ緻密な計算で、を師匠とモットーにしていたので、自分の新しい可能性を発見した時間でした。

またいろんな方から終演後に声をかけてもらい、感想を聞くことができたのも嬉しかった出来事でした。まだフランクフルトの学生になってから日が浅いので、まだ知らない教授や同期、後輩、先輩がいます。まだ会ったことのなかった新しい人たちから話しかけてもらえたのも励みになりました。(3週間でTziganeを舞台に持ってきたとこっそり言うと、口々にCrazyすぎる!!!と言われたのも笑い話)

比較的、計画的に本番から逆算して練習をするタイプですが、変則的なことや他に神経を尖らせることが多かった1月を経験してみて、生活というか思考の面でも新しい挑戦ができたのでよかったなあと思います。ちゃんと自炊もしてたし、健康的な生活もしてたし、私ってえらい!と褒めつつ、労いつつ、次の演奏会やプロジェクトに向けて再出発。臨戦状態から少しだけ弛緩させて、また目の前にやってくる越えるべき壁への助走をしていきたいと思います。

思ったままに、気が向くまま書くって難しいですね。
どこに着地点を持っていこうか、わからなくなってしまいました、笑
ドイツでの生活は毎日がエピソードに溢れています。もちろん、頭を抱えて唸ることもあるし、嫌なこともショッキングなことも起こりますが、音楽に全力投球できている時間がこの上なく幸せだなあと感じています。
またゆっくり自分のペースでのんびり書いて行けたら良いなあと思います。

今日は妹が参加しているオーケストラの演奏会のラジオ生放送を聴きながらの執筆。慣れないフランス語に格闘しながらも、ウェブサイトからラジオ配信を聞けるのは嬉しい。面白いプログラムだあ〜とうっとり聞き惚れながら、本番を終えてほっと一息ついている束の間の休み時間を満喫しています。

Danke fürs zu lesen:)

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