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命があればあとはかすり傷 vol.2

「はい、分かりました。」
主治医からの『一生歩けません、一生車いす』宣告を受けた5秒後くらいに、僕が発した言葉。足が動かないのは、事故による一過性の麻痺だと、勝手に前向きに捉えていたんですが、結果は脊髄損傷、下半身完全麻痺。

この絶望的な宣告を、自分でも驚くほど、すんなりと受け入れることができてしまったんです。
障害の受容。受け入れることができた理由は色々とありますが、大きく分けると2つの感謝があります。

①当たり前の事に感謝
3日間の意識不明の状態を脱した時から22日の間で、今までの当たり前の事だと思っていた、喋れること、水を飲めること、匂いを嗅げること、手足が自由に動くこと・・・これら全てがありがたい事なんだと気づき、心から感謝することができたから。

・喉を気管切開していた事で、喋れなかったし、水さえ飲めなかった。
・鼻には管が通っていて匂いも分からない。
・筆談しようとペンを持った時に、人生で初めてペンが重いと感じ、きちんと握れなかった。

②両親への感謝
宣告を受けた後の5秒くらいの間に、不思議な感覚がありました。それは、僕が生まれてから家族と過ごしてきた、約29年間の思い出が、走馬灯のように蘇ってきたんです。
そして、両親に対して僕を生んでくれたこと、育ててきてくれたことに、心から感謝したから。

・五体満足で生んでくれたのに、下半身麻痺になってしまった事に申し訳ないと思った。
・両親に一生分の親不孝をしたと思った。

この世の中で、当たり前の事なんてない。命があるだけでもありがたい。
まさに、父からもらった「命があればあとはかすり傷」という言葉を、きちんと理解する事ができ、そして、これからの人生、僕なりの親孝行をしていこうと心に決めたんです。

vol.3に続く

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