No.251/絶対服従でいいのか、悪いかのか・・・
2024.09.07
こんにちは、くのてつです。
早いものでもう9月も1週間・・・。
一体いつそんな時間が過ぎているのかと不思議で仕方ありません。
それだけいろんなことにチャレンジできているのだと思えばありがたいことですね。
これが「やらされている」になると、時間に追われ、仕事に追われ、いろんな面で疲弊していきます。
疲弊するだけでなく、人として授かった大切な機能を使わないという極めて残念な状態にさえなり得ます。
何かと言えば「考えること、思考すること」を使わないということです。
この機能を使わないってもったいないですよね。
組織の中でには、上司や先輩の指示を受けて理由も聞かずに絶対服従する方々いらっしゃいます。
良い悪いの話ではありませんが、「考えること、思考すること」をやめるとこの絶対服従しかできなくなります。
本当にそれでいいのでしょうか。
今日はそんなことを自分なりに考えてみようと思います。
これはあくまで自分のスタンスですが、絶対服従が悪だとは思っていません。
それでいい、それがいいと考えている人を批判する、否定する権利は自分にはありませんから。
逆に、絶対服従なんか受け入れられない、というのであれば自分で考え、思考して行動する必要があります。
それぞれにおいていい面も悪い面もあり、選択する際の考え方も当然違う訳です。
絶対服従を選ぶ場合には、何においても責任を問われることがない、保身を実現できることはいい面と言えるかもしれません。
一方で、経済的、精神的、時間的な余裕は生まれず、ある種天井のある世界で生きることになります。
当然、絶対服従ですから、それに対する批判、意見、愚痴なんかもアウトですね。
これを受け入れる、その方がいいのであれば絶対服従でOKな訳です。
それを選択した人が変なレッテルを貼られるべきではありませんよね。
ただ、自分はこの判断は絶対にできません。
近しい人がその選択をしようとしているのなら止めに入ると思います。
なぜなら、「他人の人生」を生きることになるからです。
自分の意見、主張をしないということは、他人が決定したものの中で生きていくことになります。
そんなもの日本国民全員そうだろ?ってお叱りもいただきそうですが、それとこれとは違います。
決まったことに従うとしても、そのプロセスにおいて自分の考え、思考したことを主張できたかどうかで違うと思います。
つまり、自分で考え、思考して、選択して、判断して、行動するという自分の軸で生きているか、という話です。
当然、そこにはそれ相応の責任が伴いますが、これこそ人として生きることができる醍醐味なのではないか、と思います。
これは無限の可能性があるってことなのでしょうね。
どうせ生きているなら、こっちにチャレンジしてもいいのにな・・・そんなことを考えた次第です。