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No.12/フィジカルリテラシーを高める

こんにちは。
子どもたちの伴走者”くのてつ”です。

久しぶり知人が運営する体操教室にお邪魔して、THE学校体育を味わってきました。サイズは小学生ものですが、とび箱を跳んで、鉄棒で回って、ガッツリ倒立練習して。というか、させられた?笑

ドイツでは体操が生涯スポーツとして楽しむ方が多いと聞きますが、その一端を感じたような気がします。体を操る、その名の通り自分の体と向き合いながら、感覚を研ぎ澄ましたいい時間でした。

そんな時間の中からの気づき、というか自分の活動における備忘録として問い立てをさせてもらいます。

なぜドイツでは体操が生涯スポーツなのか?

歴史、文化的な背景を掘り下げると長くなるので割愛しますが、SV (スポーツフェライン)の存在が外せないですね。地域に馴染んでいるって在り方が素敵です。

ここからは自分が体操に触れていて感じることです。

学校体育という領域では中学まで器械運動をやった、という記憶があるレベル。当時は完全に自分の感覚でやっていたので、特に意識してカラダをどうの・・・ということはありませんでした。多くの方がそうかな、と思います。

これが歳を重ねて、相応にパフォーマンスが落ちてくると繊細なカラダの感覚に気づけるようになります。この繊細な感覚を感じやすいのが体操の技ではないかな、と感じる訳です。定量化できないのですが、体操特有の感覚というか、その他スポーツでは気付けない小さな気づきがある感じでしょうか。

この感覚が歳を重ねても体操が楽しい、魅力に感じる要素なのではないかと思ったり。

引退する必要がない

日本では競技を終えると引退して、そのスポーツに関わらなくなることが往々にしてあります。トップでやっていた選手は異なりますが、大多数は中学の夏、高校の夏あたりで競技を引退します。

問題なのは競技の引退=そのスポーツの引退になっていること。実際に私もそうなのですが、もうあんなキツくしんどい時間は嫌だ・・・なんて感じてしまう訳です。

つまり勝利至上主義の勝ちを求めすぎるが故に、もうお腹いっぱいという状況になり得る、ということでしょう。そもそも競技生活中はもちろん、その後のスポーツへの携わり方にも弊害出るなんて馬鹿らしすぎます。

幼い頃からSVで楽しんできた体操を続けることはごく自然なことかもしれません。

だからフィジカルリテラシーが高まる

プロになれなければ競技をしてはいけない。そんな決まりはありません。レベルが高くないと競技をしてはいけない。そんな決まりもありません。そう思うのは前述した勝利至上主義が蔓延ったことが要因でしょう。

カズ選手のように50代でプロサッカー選手でもいい。でもほぼ100%近くの人にはそれは無理ですが、そのレベルでの楽しみ方がある訳です。競技でもいいしレクレーションでもいいのです。

そんたスポーツを楽しむ、という根本的なこと、本質的なことを見誤っているのではないでしょうか。一生涯スポーツを楽しめるなんて最高です。いつだって誰だって楽しめばいいのです。

自分はそんなスポーツを一緒に楽しめる伴走者として、子どもからご高齢の方までサポートしていきます。


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