No.6/礼節が人をつくる
こんにちは。
子どもたちの伴走者”くのてつ”です。
年末年始を使って映画を数本観ました。普段は流し観することが多いので久々にじっくり観たのですが、素敵な映画に出逢いました。
警察系、スパイ系、軍隊系などは興味を持って観るタイプなのですが、今回はその要素よりもある言葉にグッと引き込まれたというのが正直なところです。
このキングスマンで一躍有名になった言葉のようですが、調べてみると中世イングランドの神学者ウィリアムという方が唱えたものだとか。オックスフォード大学を創設した人らしいので偉人ですね。
この言葉を聞ききながら考えさせられたのは言うまでもありません。普段の自分の在り方を考えると「心が抜けている」状態が散見されるからです。つまりは「礼節を軽んじている」とも言えますね。
例えば、あいさつ。相手の目を見て元気にあいさつしましょう、なんて子どもたちには伝えるのに、自分はどうか・・・。家族や職場の同僚に自分が伝えていることをやっているのか、と問えば答えは「No」ですね。
玄関の靴、デスク周り、自分の使っているモノの取り扱い、エレベーターのボタンの押し方、ドアの開け方、閉め方・・・など、挙げればキリがありません。その1つ1つに自分の内面が出てしまっている。その立ち振る舞いが自分の人間性を表している。
そう考えると、自分の未熟さを痛感させれますね。あれも出来ていない、これも出来ていない。自分って何てダメなやつなんだ、と。そうやって負のスパイラルにハマるのはナンセンスなので、「出来てない=伸びしろ」と捉えて何ができるか考えてみました。
「礼節を軽んじている=心がこもっていない=心が抜ける」のはなぜか、そう問い立てをしてみるといくつか思い当たることがあります。
1:そもそも人の集中力には限界がある
2:そもそも邪念がある生き物だ
3:気が散る要素がたくさんある
なるほど。こう書き出してみて気づくのは「対処可能だ」ということです。
それぞれを見てみると、例えばですが「短時間集中型のスキームを作る」とか「物理的にモノを減らす」的なこともできます。心が抜けない状態は訓練で何とかできそうですね。
そう考えるているとシンプルにこれを意識して続けることが一番の訓練方法ではないかと、の想いに辿り着きました。
結局、ここなのだろうなと納得しました。何気ない日常の中で、当たり前に行われること。そこに人間性、人間力が出る。練習していないことが試合でできないように、日々意識、訓練していないことはできません。
さあ、今から挨拶と所作を意識して日々精進します。
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