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20240603

1行目を書き出せば、日記は書き終えることができる。それがわかっているのに、なかなか書きはじめることができない日々を過ごしていた。書いていないあいだにも、「したこと」は溜まっていく。たとえば、角川シネマコレクションのYouTubeチャンネルで黒沢清監督の『蛇の道』(1998年)を見たり、ジョナサン・グレイザー監督の新作『関心領域』を劇場へ見に行ったり。それぞれに対して感想はあるにもかかわらず、書けなかった。書きたい気持ちをなぜか抑え込んでしまった、低調な毎日。

『関心領域』はかなりの話題作で、深夜に上映が終わる日曜の最終回でも、客席はほとんどいっぱいだった。アウシュヴィッツ強制収容所に隣接する邸宅で暮らした所長、ルドルフ・ヘスとその一家の生活を、まるで「隠し撮り」をしているかのように、定点カメラで追っていく。人物との距離感が絶妙。感情移入はほとんどできない一方で、過度に突き放すこともしない。

緻密な音のつくり込みには驚く。一家の豊かな日常の背後で聞こえる、轟音や銃声、悲鳴に怒号にうめき声……壁1枚向こう側は大量虐殺の現場だ。それを直接見せることなく、観客に想像させる。劇場を出たあとは、いつもの街のなにげない騒音から、むごたらしい暴力を連想してしまう。中央線の列車が遠くで高架を走る音を聞けば、収容者を送り込む汽車のイメージがそこに重なる。あるいは、効率的な人体破壊を実現する、謎の装置の動作音……。

「The Zone of Interest(関心領域)」という言葉はそもそも、ポーランド南部につくられたアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所の周辺地域を指して使った、ナチス親衛隊による用語らしい。それを知らない現代の観客からすると、自分たちの「関心」が及ぶ範囲とその外側との隔たりを強烈に意識させられる、ひとつのきっかけとなるタイトルだ。言葉の輪郭が書き換えられ、80年前の日常が現在と同期する。

映画の最後には、現在の強制収容所の様子が映し出される。原因不明の嘔吐をもよおしながら、ひとり階段を下っていくヘス。彼が暗がりの奥に幻視する「未来の光景」として、そのシーンは挿入されていた。登場人物と観客の視点が一致するのは、映画の中で唯一そこだけだ。博物館となった収容所では、オープン前の清掃がおこなわれている。ヘスは、自分のしていることがどういうことだかわかっている。掃き清めることも、洗い流すことも決してできない、人間の歴史の暗部へ下りていく彼の姿を見送って、スクリーンは暗転する。

ポーランドの町の少女が強制労働者への「差し入れ」をする夜のシーンは、モノクロームのサーモグラフィーで表現される。暗がりの中を光る、少女とりんご。彼女はある日、労働現場に残された缶の中に、幾重にも折りたたまれた楽譜を見つける。絶望的な状況にあっても、創作をやめず、誰かにそれを伝え残したいと考える者がいた(映画で説明されることはないが、実際に収容者だったヨセフ・ウルフが書き残した曲だという)。少女は自宅で昼間、それをこっそりピアノで奏でる。歌詞は字幕でのみ示される。歌声にならなかった歌が、この世界には無数に存在している。

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