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イベントは”不要”なのか?について本気出して考えてみた

新型コロナウイルスの感染拡大防止のために2度目の緊急事態宣言がだされ、まだまだ自粛モードが続きます。テレワークの活用などで労働環境変化にうまく対応できた業界がある一方、インバウンドや航空、ライブハウス、飲食等今なお大きな影響を受け青息吐息の業界も。

筆者が事業を展開しているイベント業界も大きな影響受けている業界のひとつで、”イベントなど不要”と言わんばかりに多数のイベントが中止においこまれています。

果たしてイベントをやる意義とは何なのか。自分がなぜこんなにイベントに惹かれイベント業界に関わっているのかの理由を見直しながら考えてみました。

1.イベント業界に関わることになったきっかけ

物事がついたときからイベントは私の心の中で重要な位置を占めてきました。

1番古いイベントの記憶は幼稚園の縁日。普段通ってる幼稚園が色とりどりにライトアップされ飾り付けられなんて美しいのだろうと息を飲みました。いつもの幼稚園なのにその日は全く違う場所に見え、運営する大人もどこか楽しげでした。そんな非日常が味わえる「イベント」というものに、心を奪われたのを今でも覚えています。

体育祭、文化祭、夏祭り。あらゆるイベントが好きで、大事な思い出がたくさんあります。だから「イベント」と聞くだけで、たとえ小さなイベントでも私ワクワクドキドキして楽しい気持ちになるんです。

また中学生の時には、当時大学生だった兄からイベントのディレクターのアルバイトの話を聞いて”大学生になったらイベントのアルバイトをする!”という夢ができました。

兄が語るイベントのアルバイトでの体験は、今まで聞いたどんな仕事の話よりも刺激的で、話してる時の兄がすごく楽しそうでキラキラしていたからです。

2.イベント業界で働き始める

大学に入り、私の夢は幸いにもすぐに叶いました。初現場は18歳の時。新発売のシャンプーのサンプリング。商品のロゴが入った特注の浴衣に袖を通し、初めて道ゆく人に声をかけた時のワクワクは私の原点です。

それからというもの大学時代はイベントのバイトにあけくれ、卒業までほぼ週4で現場に入っていました。(そのおかげで留年しかけました。笑)

大学生の時の友達はほとんどがイベントのバイトでできた友達だったし、礼儀や生きる指針、働くとはどういう事なのかなど、私は全部イベントや、イベントの仕事を通じて出会った人から学んできました。

イベントの仕事に関わり出して10年余り。最初はアルバイトからはいったこの業界ですが紆余曲折あり、今はイベント業界で人材を派遣する会社を起業し代表をつとめています(起業についての話はこちらのnoteをご覧ください)

大学時代のバイト先は今ではクライアントになり、バイト仲間は私の会社で働いてくれるようになりました。

私は本当に飽き性であまりひとつのことが続いた試しがないのですが、イベントは数少ないずっと興味をもっていられる事のひとつです。

憧れだった東京モーターショーで仕事をした日。起業して初めて注文が取れた日。クライアントに褒めていただいた日。クレームを頂いて悔しくて泣いてしまった日。

人生の1/3くらいの時間、毎日イベントの事を考えて来ましたが、思い返してもワクワクとドキドキに満ちあふれていました。私にとってはイベントは楽しいだけのものや、ただのお金を稼ぐための手段ではなく、たくさんの大事なものが詰まった宝箱のようなものです。

3.仕事にかけるプライド

私がイベントの仕事を始めた頃は、時代のせいもあり”表舞台に立つ人には代わりがいないのだから現場に入るときは体調管理を万全に。這ってでも現場にきなさい。親の死に目にも会えない覚悟でやれ”くらいのことは言われました。(今はさすがにそんな事ないと思います。笑)

華やかな反面、超実力主義の厳しい業界です。ちょっとした身だしなみの乱れや挨拶が十分でなかったりなどで、クレームがはいり仕事が始まる前に帰宅させられたという話も。

人気のある人は数ヶ月先、下手したら1年くらい先まで仕事が入ってるのに、そうでない人は数えるほどしか現場に入れないのが当たり前。実力次第で、同じ時間働いても下手したら給料は数倍くらいの開きがあります。でもそんなシビアな世界で一緒に働いてきた、仕事にプライドを持って生き抜いてきた人達が私は大好きです。

だから私は祖母の訃報を聞いた時も、現場を全うしてから故郷に帰りました。身体中に蕁麻疹がでて顔まで腫れてしまった時も、毎朝アイスノンで30分ほど顔を冷やしてから出勤。現場に穴を開けた事がないのをいつも誇りに思っていました。

モデルは撮影の時、汗をかかない。極寒の現場で水着でも寒さを感じないという話があり、そんなの嘘だろうと思っていました。でも、当時の私も現場が終了して帰宅したら蕁麻疹が出てくるのに、現場に立っている時は一切蕁麻疹が出ず自分でもとても不思議でした。

古い考え方だなぁと思う人もいるかもしれません。ただ、イベントでは失敗が許されない、いい意味での緊張感がありプロ意識の高い人が多いです。

4.コロナ禍で業界への支援を求める署名活動で叩かれる

このようにイベント愛に溢れる私は、コロナ禍において感染拡大防止のためにイベントが続々と中止になった時、なんとかこの業界で働く人を守りたいと思い2020年3月にイベント業界への補償を求める署名活動を行いました。

しかし、反応は散々でした。

応援してくださるひともいましたが

“自分の商売のことばかりで他人の命はどうでもいいんですね”

とか言われるのはまだマシな方で

”イベント業界なんて水商売みたいなものだ。普段、楽して金儲けしてるのだからこんな時くらい我慢しろ!”

“イベントなんてなくなっても何も困らないし、イベント会社なんて潰れてもいい”

などの心ない言葉の刃を突きつけられることもありました。

こういう人達に、イベントに対して注いでいる愛や、仕事へのプライドを見ても同じ言葉が言えるのか聞きたいです。

先日、不要不急の極みという言葉を使って大炎上した想像力にかける議員の方がいましたが、人によって見える世界は変わります。

あなたにとって不要なものは誰かにとっての生きがいかもしれないという想像力をちょっとでも働かせることができたら、“不要不急”なんて言葉を簡単に使えないんじゃないでしょうか。

例えば、私は恥ずかしながら芸術や音楽に対して造詣が深くありません。だから私個人ににとっては芸術や音楽は緊急性を要するものでも、人生にとって必ず必要なものとは言えません。けれども私はそれを生き甲斐にしている人、生業にしている人、情熱を捧げている人、そんな人達の素晴らしい仕事によって心が救われている人がいるのを知ってます。

だから彼らの仕事を“不要不急”なんて言わない。感染リスクが高い場合、自粛はもちろん必要だと思います。でも“不要不急”な仕事なんてない。きっと誰かにとっては“必要至急”だから。

5.イベントでの感染拡大防止対策

もし感染リスクが他の業態にくらべて著しく高いのであればイベントを中止すべきだという意見も理解できるのです。

けれど、現在実施されているイベントでは、会場に入場する際は必ず検温と消毒。入場者数もコンピューターできっちり管理されています。また事前に個人情報を登録しないと入場できないので、万が一感染が起こった場合でも速やかに接触者が追えます。

ここまでやってる商業施設は他でなかなかないのではないでしょうか?正直にいうと、スーパーやショッピングモールなどより感染対策はきっちりされています。

それなのに「イベント」というだけで現状を知らずに一概に中止すべきだと主張する方がいます。イメージだけで判断せず、現状やデータを確認してから議論をするべきだと思います。

6.人を絶望させる簡単な方法

人は自分が一生懸命にやってることが無意味だと感じた時に絶望を感じるそうです。

「シーシュポスの神話」というアルベール・カミュの随筆では、神を欺いたことで、シーシュポスが神々から受けた罰「大きな岩を山頂に押して運ぶのが、何回やっても山頂に運び終えたその瞬間に岩は転がり落ちてしまい絶望する」が描かれています。

イベント当日は数日間のことです。でも準備は大体半年から1年前に開始、長いイベントだと2年の準備期間をかけます。きたるイベント当日にむけて、日々石を積み上げていってるのです。

それを中止するというのは、せっかく苦労して積み上げた石を完成間近で中止し、ひとつひとつ石を元に戻していくというような心の折れる作業なのです。実際、中止の連絡をするのが心苦しくて仕方ないという業界関係者の声を多くききました。

だから感染対策などは十分行った上で、イベント業界も含めどの業界もできる限り営業を継続して欲しいというのが私の考えです。


最後に:イベントの必要性とは

私のようにイベント業界に関わる人についてはもちろんイベントは必要ですが、そうでない人にとってのイベントの必要性とは何でしょうか。

世論をみていると、コロナ禍でイベントがなくなったことで「新しいものとの出会いが激減した」「目標や節目がなくなった」など議論されています。

日本には古くから“ハレ”と“ケ”という考え方があります。“ケ(日常)”を営むうちに、陰鬱な気持ちが溜まったり、迷い、よくない事(病気や死など)が起こったりして“ケ(日常)”が順調にいかなくなることを、“ケガレ(気枯れ)”と言います。この溜まった“ケガレ”を清めケジメをつけるものとして“ハレ”(儀礼、祭り)があり、“ハレ”と“ケ”の繰り返しで人生は成り立っているというものです。

これを現代の言葉で言い換えれば、日常を過ごして行くうちに疲れやストレス、よくないことが溜まっていく。これを発散させ、日常を健やかに過ごすためにイベントがある。となります。

生きるのに必要なものを考えたときに、「最低限の食べるものと、医療、ライフラインだけ有れば良い」というのは暴論です。実際、現代日本において餓死する人は稀なのに対して、毎年2万人近くの人が自殺で命を落としています。高度に発達した現代社会では、心の栄養がないと簡単に死んでしまいます。

人は何のために生きて死んでいくのでしょうか?人生を振り返った時、きっと様々なイベントが心に残ってる人や、何かしらのイベントを目標に生きている人って多いと思うのです。だから、私はイベントはイベント業界に携わる人にとってだけではなく、皆にとって“必要”だと思うのです。

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