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振り返り「大豆田とわ子と三人の元夫」

大豆田とわ子と3人の元夫はどんなドラマだったのか。

実は今、泥棒だって寝ているであろう時間に私は書いている。
なぜなら、起きてしまったから(笑)
変なテンションの人が書く、ちょっと怪しいブログ。
今日もこんな感じです。
良かったらどうぞお立ち寄りくだしゃんせ〜〜


成長と自立

人間と人間の相互作用で刺激し合い、成長していく物語だった。

とわ子は、1人の人間として歩んでいく。社長としての覚悟も決め、より自信に満ち溢れた顔になっていた。かごめに言われたから社長を続けるのではなく自分で決めたから、に変わった。母やかごめの死を受容したことも大きい。

かごめは、「お父さんでもありお母さんでもありおじさんおばさんでもあり…」という色んな見守り役であったとわ子から自立して漫画家を目指すことを決めた。

八作は、ここぞ、という場面で思いを伝えるようになった。早良に対しても、とわ子に対しても自分の言葉で気持ちを伝えることができるようになった。

慎森は、とわ子に対して皮肉を交じえることなく真正面から本気のプロポーズをした。「挨拶」「お土産」「雑談」などそれまで無駄に思えていたこともできるようになった。

唄は西園寺くん(元彼氏)への依存と関係を断ち切り、医者を目指すことに決めた。

鹿太郎は、、ごめんなさい、分からない(笑)。器が大きくなったのかな!?
今度は鹿太郎に焦点を当てて見たいと思う。


さまざまな視点(他者視点、主観と客観)

善悪や正誤で単純に片付けられない問題を、いろいろな視点で考えるドラマだった。
同じ時、同じものを見ていても、認知の仕方や感じ方は人それぞれ。

しろくまハウジング社員のように、考え方の違いで軋轢を生むこともあるだろう。
かごめの言動一つとっても、快に感じる人もいれば、不快に感じる人もいる。
そんなふうに、時にしんどくて辛くて、時に嬉しくて、それらを大判風呂敷で全部ひっくるめたら、ああやっぱり面白いんだな、これが。

また、自分中心の見方だったところから、少しだけ引きの視点になって遠景を捉えるように、主観から客観になると、冷静に自分を見ることができる。
新たな自分に出会う、発見でもある。
改めて、そんなことを教えてくれたドラマだった。

なぜ、ドラマを見るのか?

これまで、第1話〜第10話までネタバレありのレビューを書いてきた。
当初はまとめて1つの記事で書こうと思っていたが、内容が濃すぎるドラマだったので、1話ごとの記事にした。

ブログを書く中で思考が整理されていき、新たな気付き(妄想含む)が生まれ、よりキャラクターとドラマそのものが好きになっていくのが自分でも分かった。

気になるシーンや好きなシーンは何度も見る。
流しっぱなしでBGMのように聞いたりもする。

映像の技法はきちんと学んだことがないけれど、明るさや質感、カメラの位置でどのようなことを表現したいのか、想像してみる。
制作者の意図を汲みたい、覗きたいというより、ここではキャラクターの心理を深く理解したいという思いからだ。

ただのドラマでしょ?
物語でしょ?
という人もいるかもしれない。

でも、ドラマを見て
「そうそう、こういうことあるある」
「あちゃー、そうなる?なんで?」
「あー、明日からまた頑張ろう」
と、自分の人生に重ねて共感したり、あるいは絶対にできない経験を疑似体験させてくれる。
つまり、生活に彩りを与えてくれる。


そういえば、このドラマに感化されて直近で私に起きた変化といえば…
最近壊れた照明器具を買い直したのだが、自分で取り外し、新しい照明器具を付けたこと。
ワイン(一番安価なもの)を買ってきてたまにちびちび飲んでいること。

最後に、このドラマを制作した方々に直接お礼は言えなし届かないと思うけれど、大好きなドラマになったので、私なりの感謝も込めて花束を贈るつもりでブログを書きました。
ありがとうございました!!

そして、また時々見ます。



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