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レビュー「大豆田とわ子と三人の元夫」第6話

「第6話 第1章完結・全員集合 地獄の餃子パーティー」

「大豆田とわ子」という固有名詞を冠したタイトルなのに、主役不在のドラマ。
大豆田とわ子社長がいない会社(しろくまハウジング)、大豆田とわ子がいない状態の元夫たち。
それぞれが、「大豆田とわ子に甘えていた」と気づく。
第6話。

◯八作のレストラン「オペレッタ」に集う元夫と3人の女性
乾杯の合図とともにブレーカーが落ち、暗転。
グラスが割れる。
救急車のサイレンが聞こえる。
=かごめが亡くなったサイン。
亡くなるときまで舞台に演出を施す、いたずら好きなかごめだ。
そして割れたグラスをせっせと片付ける八作。

◯地獄の餃子パーティー
3人の女性たちに欠点を指摘される元夫たち。
慎森「自分が好きで何でだめなんですか」
鹿太郎「ロマンチストの何がだめなんですか」
八作「人間関係、サービスは大事だと思います。」
女性陣「じゃあ聞くけどさ、もしあなたがもう一人いたらその人のことどう思う?あなたはあなたと付き合いたいと思う?」

◯しろくまハウジング
アートイベント事業「ラビリンス」を巡って、合理的にコストカットしたい女性社員と、理想的なデザインを追求したい男性社員がせめぎ合い、一触即発の後、妥協点に落ち着く。
もともと、デザイン畑出身のとわ子が社長職に就任したことで生じた内なる葛藤(理想と現実、デザインとコスト)を象徴しているとも言える。

これらは、それぞれを客観に導く視点を提供している。
と同時に、主役が不在になることにより個々の脇役たちの内面にフォーカスし、それぞれをあぶり出す。
視聴者の私達にも「ドラマはドラマ。あなたの人生の主役はあなた自身なんだよ」と言われているようでもある。

◯鹿太郎と美玲、慎森と翼、八作と早良、それぞれの決別
最後の言葉に個性が出る。

慎森と翼の別れの場面。
翼「行ってきます」
なぜか、ドラマ「東京ラブストーリー」のカンチとリカの別れの場面を思い出した。

鹿太郎と美玲の別れの場面。
美玲「お疲れ様でした」
女優が女優を演じている。
美玲(瀧内 公美さん)の演技が美しい。

八作と早良
早良「コンビニに行ってアイス奢ってくれる?」
ドラマ「カルテット」のすずめと別府の場面を思い出した。

慎森、鹿太郎、八作。
元夫3人がそれぞれ独りになる。
添えられたソロギター音が枝垂れるように夜風になびく。

◯かごめが亡くなる
とわ子「ここで待っててって言われたんだけどな」「もうちょっと待ってようかな」「一人で死んじゃったよ」「一人で死なせちゃったよ」

第6話で不在のとわ子だが、再び画面上に現れるときは、視聴者がかごめが亡くなった事実を知るときだ。
ある意味、とわ子は一旦亡くなり、再生したのかもしれない。
洗面所に数珠を置き忘れる、というそそっかしい行為がかごめを象徴していると捉えると、とわ子の中にかごめが統合されたことを意味するのではないか。
もともと、空野みじん子として二人一組で漫画を制作していたことを考えると自然の流れかもしれない。

◯かごめの自宅に「帰宅」するとわ子
冷蔵庫の中の食材で炒め物を作ったとわ子は、それを食べながら漫画を読む。

漫画に刻まれた、女の子の声
 「ストレス発散をしに来るこの屋上は私にとってのオアシスなのだ」

一口一口、一コマ一コマ。
噛みしめながら、焼き付けながら、味わい尽くす。
現れたのは、空野みじん子時代のとわ子とかごめ。
大人になってからの、料理を作っているとわ子とかごめ。
笑い合っている。

(ナレーション)
家に帰ったらまたお腹が空いたので、お茶漬けを食べた。
おいしかったけど、わさびを入れすぎたかもしれない。


この物語は、視聴者と練り上げていく物語なのかなと思った。
制作者側の視点、視聴者の視点、それぞれ放り込みながら視聴者にメッセージを直接投げかける。
決して置き去りにはしない。
でも、甘えさせすぎる説明もない。
視聴者にも自立を促す。

第6話の地獄の餃子パーティーで、こんな場面があった。
元夫たちが女性陣に
「ロマンはご飯(主食)にはならない、スパイスだ」
と言われ、その後、ひるんだ男性軍がキッチン裏の自陣で調味料を持ちながら作戦会議をする。
確かに。主食にはならないかもしれないけれど、個人的にはスパイスのない料理なんて、味気ないよね、と思う。
このドラマにはスパイスがある。
だから見ていて飽きない。






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