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夢を捨てた後の心の穴を埋めてくれたもう1つのエンタメ【短期連載/第5回】

会社員・個人事業主ほか、職種やジャンルの垣根を飛び越え縦横無尽に行き来する飯島裕之。そんな男が2021年内の目標に掲げた、中学生時代に折り合いをつけて諦めた夢である『プロレスデビュー』。 

実現となるXデーまでの間、ずっと伏せてきた過去の体験から現在の挑戦に至るまでの心境変化。そして未来への覚悟までを語りつくします。第5回目の今回は『捨てた夢を穴埋めするための処方箋』を振り返ります。(第4回目の内容はこちら

このエッセイは、中学生時代に折り合いをつけて諦めた夢である『プロレスデビュー』を20年経った今、再び拾うことを決めるまでの経緯や想いを綴ることで「挑戦する人に寄り添い背中を押すこと」も1つの目的としています。

であれば『夢を諦めてから今再び拾う決心をした空白の20年間』についても正直に綴る必要があると思っています。

「プロレスラーになる」という夢を抱いた中学生活を終え、高校に進学してからは自分の中の『プロレスデビューしたい熱』は徐々に下がっていきました。雑誌やTVで好きな選手の試合や動向をチェックするくらいです。時々試合やイベントにも行ったかな?とかく、自分がプレイヤーを目指すことには折り合いをつけて、観ることを続けてた感じ。

今思うと…随分と簡単に諦められるじゃないか。宣言していないと恥もかかないし、走り出していないと怪我もしないし誰にも迷惑はかからないですから当然かもしれません。


ただ厄介なことに、プロレスデビューの道は諦めても、プロレスによって引き出されてしまった元々自分自身が秘めていた内面である『声援を浴びたい!モテたい!目立ちたい!』という欲求はそう簡単に変わるものではありません。

高校進学してからの新たな環境や新たな出会いもイマイチ心の底から楽しめず…そんな時に出会ったのが『ブレイクダンス(正式にはブレイキンって言うんだけど、伝わりやすいので便宜上ブレイクダンスと書いてます)』という表現の形でした。

結果的に、以後30歳になるまで15年ほどダンスを続けることになるわけですが、諦めたプロレスリングというジャンルとどこか似通っている部分があったからだと思います。

・対峙した相手と戦う
・個人戦タッグ戦チーム戦がある
・ジャッジも意識しないといけない
・お客さんも意識しないといけない
・全方位360度から観られる
・相手の攻撃を受け止めた上で返す
・音楽とも密接な関係にある
・アクロバットやマット運動の要素も多い
・スタイル・信念での勝負でもある 
・ある程度はなんでもアリ(正解不正解がない)
・記録(数値)ではなく記憶(感情)で競うエンタメの側面がある

プロレスとブレイクダンスの共通点を僕なりに挙げると、ざっとこんな感じです。

余談ではありますが、元々がアンダーグラウンドのカウンターカルチャーのため、僕がブレイクダンスを始めた当初はまだまだ認知度が低く、駅やデパ地下、公園などのストリートで練習してても不良のたむろと同じ括りと見なされ『世間の粗大ゴミ扱い』でした。

少しでも良いイメージを持ってもらおうと、駅などの練習場所を使う場合は、来た時よりも綺麗にして帰ろう!という意識で他人がポイ捨てするゴミを片付けたりしていました。認めれれるためにみんなで必死だったな。

普通に生きてたら遭遇しないようなトラブルも嫌って程に経験しましたが、沢山の才能あるダンサーの功績によって、現在は正式にオリンピックの種目にもなっていますし小中学校での必修科目にもなっています。

飯島裕之という人間の軸を作ったと言っても過言ではなく、ダンスを通じて様々な経験をして来たわけですが、本来飽き性の自分が1つのモノゴトを15年という長い歳月続けられたのは何故だろうか?

そう思い返してみた時に思ったのは、素直にときめいた心(僕の場合はプロレス)に向き合うことで自分自身の好みを把握できた結果『好きでも得意でもない事に時間を費やす』という地雷を踏む可能性をある程度下げられたからかもしれません。

『好きの反対は嫌い』だし『得意の反対は苦手』。そんな事は今更改まって言うまでもありませんが、好き嫌いや得意不得意ってある程度何かしらにのめり込まないと自分で気づけなかったり因数分解できなかったりします。

それに、『好き・嫌い』や『得意・不得意』を自分の中で把握出来ていると大事な場面で取捨選択できるので結構大事です。それ故、随分とがってましたけど。

でもでも、どう頑張っても『楽しめない事で頑張ってる人』は『心から楽しんでいる人』には敵わない。なぜなら後者は努力とも頑張ってるとも思ってなくて、ゲームに夢中になる感覚で取り組んでるから。

また、情熱は他人から煽れれて湧き出ものではなく自分自身の内側から勝手に湧き上がるものとも言えます。気持ちの乗り具合次第で、積極的に考え行動するので『得られる学び・知識・経験の量』が、ただボーッと過ごす人と比較した時に雲泥の差になります。


例えば僕の場合は、マット運動は得意でしたが球技はめちゃくちゃ苦手です。自分自身のパフォーマンスがチーム全体に影響してしまう団体競技より個人競技の方が好きです。なので、父親や同級生に連れて行ってもらった野球やサッカー観戦に楽しさを全く見出せませんでした。

かといって個人競技ではあるけれど、コンマ何秒のタイムを縮めることに全力を注ぐ短距離走や水泳も、ミリ単位で飛距離を競う走り幅跳びや砲丸投げも、隙をついて相手を一撃で仕留めにいく空手も柔道も、僕にはアマチュアならではの数字や勝敗だけをシビアに競う競技もあまり得意ではないのです。(くれぐれもそういった競技やジャンルを否定しているわけではありません)

僕は、ダンスを専門学校として選択することも職業として選択することもしませんでしたが、それでも続けることで得られたものは計り知れないし経験は今でも財産となって活きています。


自分の中では好きで得意だったのは間違いないですが、ところがどっこいブレイクダンスも競合ひしめく厳しい世界です。情けない話ですが、チームメイトのように日本一になったりソロコンテストで優勝したりなど、プレイヤーとして大きな結果は残せていません。

それでも、イベントのリーダーとして他国や区を巻き込んで交流するような大会を主催したり、TV番組やPVに出演したり、毎週のダンスレッスンでインストラクターをしたり、学校の授業を担当したりと貴重な体験はさせて頂きました。

1つのモノゴトに一生懸命になっている者同士で集まったから、チームメイト・先輩後輩・社会とバチバチにぶつかって喧嘩したり、手を取り合って笑ったり泣いたりと、豊かな人間関係を構築するうえでの在り方なんかも学ぶことが出来たんだと思います。

挫折して諦めたプロレスデビューの穴は、似て非なるジャンルであるブレイクダンスで埋めましたが、結果それは僕の人生の礎となりました。

その後の人生を左右するような出会いって実際にあるし「何が引き金になるか?」「どこにそのキッカケが落ちているか?」なんて知る由もありませんが、ものごとを咀嚼した上で人が自然に抱く「好きかも」や「苦手かも」の中には、ただ1度きりの人生をより楽しく歩む上でのヒントやチャンスが潜んでいるのかもしれませんね。


飯島裕之

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