トランプ王国で感じた分断されたアメリカ【元外交官のグローバルキャリア】
何度も訪れていたバージニア州の西部の「ほぼウェストバージニア」ですが、改めて眺めると「二つのアメリカ」を意識させられます。端的に言えば共和党のアメリカと民主党のアメリカです。
2024年米国大統領選挙の事前世論調査では、アメリカは民主党支持と共和党支持の真っ二つに割れていました。お互いを「移民政策や多様共生(DEI)に無理解の『人種差別主義者』」と「トランスジェンダーにばかり手厚い『リベラルでwoke(意識高い系)』と呼び合っていがみあっていました。イデオロギーの分断は十分に理解していたつもりですが、なぜそうか、ということをこの旅行で目で見て肌で感じました。
「人種のるつぼ」?のアメリカ都市部
そもそも私が初めてアメリカを訪れたのは、ロサンゼルス近郊のサンタバーバラの近くの小さな町でした。1985年、ジャカルタからシンガポールを経由して中学3年生の私ははるばるサマースクールに参加した時です。
カリフォルニアの青い空とビーチは、イメージするアメリカの通りでした。キャンプファイヤーを囲むのは人種のるつぼだかサラダボールさながらで、当時の映画のキャスティングに見られるとおり、白人が大半でありながらも私のような外国人やマイノリティーの異人種も混ざっている構図でした。
それ以来2019年まで、ボストン、シアトル、ワシントン、ホノルル、シカゴとどの街に住んでも、多様な人口動態の、都市部ならではの問題も抱える、自由市場経済を牽引する大国アメリカの姿を見てきました。
日本のような単一性のアパラチア山脈
今回、訪ねたバージニア州のアパラチア山脈の麓は、まるで「単一民族国家」日本のようでした。街のスーパーでもレストランでも見渡す限り白人なのです。
バージニア州とウェストバージニア州に跨るブルーフィールド(人口一万人)は19世紀に炭坑で栄えた街です。そこに二度ほど食事に行きました。街の高級レストランで働く若者は、近隣のブルーフィールド州立大学の学生だと思われます。
元々は歴史的黒人大学(HBCU)として設立されたというのに、黒人どころか白人でないスタッフは一人もいませんでした。それがいけないというわけではないのですが、人種的多様性とも無縁な土地で「性的多様性」や「性的指向の自由」に無頓着で、実体のない移民を過度に恐れがちな様がなんとなしに理解できました。
ウェストバージニア州は超党派理念を貫いた民主党中道派連邦上院議員のジョー・マンチンの選出州です。2024年に無所属に転換した同議員は、大統領選挙出馬も取り沙汰されました。民主党が過半数ギリギリの上院多数党であるため、マンチン議員の投票行動は民主党幹部をハラハラさせる存在でした。民主党も共和党も中道派や穏健派が退いて久しく、今や「超党派」という協働は見られず右と左に真っ二つに割れています。
「ヒルビリ・ーエレジー」の世界
山林地帯の白人を都市部のリベラルな人たちは「Hillbilly」、「Redkneck」、「White trash」と侮蔑用語を躊躇なく使いおちょくります。白人であれば誰もが強者であるというのが都市部リベラルの理論です。生活に困窮し、自分たちを強者と思えない白人たちはそんな都市部リベラルを「リベラルの奴ら」と嫌悪します。「ペロシ(前下院議長)」「カマラ(副大統領)」は悪の権化みたいな扱いで、その名前を口にすることすら憚られます。大都市で「トランプ」がコケにされるのと表裏一体です。
都市部リベラルと山林保守派の接点は皆無です。「ヒルビリー・エレジー アメリカの繁栄から取り残された白人たち」は、都市部の米国人にとって社会人類学教科書みたいな扱いでした。「この本を読むといい」と、発売当時にアイビーリーグ卒のユダヤ系米国人で敏腕渉外弁護士に薦められました。
この本の著者は、アパラチア山脈側のオハイオ州出身のJ.D.バンス次期副大統領です。アパラチア地区で薬物依存を抱えたシングルマザーの元で育ち、努力の末アイビーリーグであるエール大学法科大学院に行き、若くして二つの世界の橋渡しをする著作を執筆しました。著作では、アパラチア地域から抜けるきっかけとなったのは海兵隊入隊経験だったと述べています。米軍に入隊するのも地域性が如実で、都市部リベラル層で兵役経験がある人はあまりいません。
日本ではアパラチア地区の知名度は低く、何かと「ラストベルト」が話題になります。例えば、オハイオ州は山嶺のアパラチア地区と工業地帯の「ラストベルト」が混在します。
アメリカ社会の分断
今のアメリカの分断はイデオロギー的なものに端を発します。人工妊娠中絶、銃規制、LGBTQ、移民の扱い。これらのテーマに妥協を見出せません。日本であれば、選択制別姓使用、同性婚合法化、女系天皇。これらの問題に誰もが賛否いずれかの強い意見を持っている状態です。政治や政策への無関心も考えものですが、それで社会が分断されるのは憂うべき事態です。
イデオロギーや意見の違いをぶつけ合ってお互いが理解し合って妥協していくのが民主主義の精神です。
そんな綺麗事を言えるのは、アメリカが私の母国ではないからでしょう。民主党系と共和党系の二つのアメリカを行き来して、伝書鳩の役割を果たすこともあります。ちょっと距離感があるくらいから俯瞰できるのでしょう。この視点を日本にそっと持ち帰って、モノの見方や意見が違う人へのエンパシーを忘れないようにしようと思います。