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欧米は模範的な多様共生社会なのか、ルイジアナから来た義母を通じて考えてみる

この夏、青い目の73歳の義母が初めて日本の我が家を訪れています。義母は羽田空港からの道すがら「日本に高層ビルが立ち並んでいるとは思っていなかった」と呟きます。

そんな義母の初来日を通じて多様共生社会について考えてみます。

「人種のるつぼ」と性の多様性

アメリカと言えば、ご存知のとおり元は「人種のるつぼ」で知られる移民の国、最近は文化的ルーツや性の多様性も含め多様共生社会に重きをおいています。近頃では同性婚が多くの州で認められるなど、性嗜好や性自認などについても議論が進んでいるとされます。民主党のバイデン政権では初めて同性愛を公言している閣僚が誕生し、その運輸長官は入閣後に双子に恵まれて父親業を兼任しています。

2010年代半ばに私がシカゴの総領事館で勤務していた頃は、同性婚の合法化やトランスジェンダーの方の権利が大きく前進した時期でもありました。2019年には初めてシカゴでレズビアンの市長が誕生し、保守寄りのシカゴですが米国の大都市としては初めての同性愛を公言している市長誕生となりました。市長就任式には市長の妻子も参列しました。

「アメリカ人」やアメリカ国内の東西南北の地域性

そんなアメリカから来た義母は、海軍に勤務していた父親の関係で太平洋のハワイ、西海岸のカリフォルニア、中西部アイオワに深南部のルイジアナ、と米国内の様々な文化圏で育っています。日本で例えていうならば、沖縄、神奈川、岩手、宮崎でしょうか。大人になってからは、ずっとルイジアナの代表的なジャズの街ニューオリンズから40分程の田舎町で暮らしています。「気さくなお義母様ね」と声をかけられますが、気さくを通り越して豪快な7人の息子と2人の娘を産み育て上げた肝っ玉母さんです。

夫の家系はイタリア、スペイン、ドイツ等々とが入り混じって「何系」がはっきりしない「アメリカ人」です。南北戦争で戦ったという程古くももなく数代前に移住したようです。義母は敬虔なカソリック信者で、周りも大概はカソリック教徒です。交友関係に多言語話者や家庭で英語以外の言語を使う人はいません。同性愛は教育と矯正で「治る」と思っている節があるくらいLGBTQの知り合いもいません。家で流れるテレビ放送では、国際ニュースや時事ネタはあまり扱われません。

シカゴやワシントンで私が接する人たちとは、入手する情報も、情報源も、話し方も全く違います。ちょっと映画の「マイフェアレディ」を思い出しました。

自分と似たような人としか付き合わない「縦」と「横」の多様性

多様共生社会を掲げているアメリカでは、本当のところは大半が自分と似たような境遇の人としか付き合わない分断社会です。学歴や教育レベルが上がれば交友範囲に自分と違う人種、信仰、性的嗜好の人が含まれてきますが、それは「横」の多様性のみです。一般的にいうと、都市部や過疎地、学歴・職種等の違いによる階層間の「縦」の多様性の許容や包摂性はあまりありません。それは日本においてもあまり変わらないことかもしれません。
義母にとっての東京が「家と家が密接していて高層ビルが多い」という衝撃は、シカゴやニューヨークでも起こりうる大都市に共通するカルチャーショックでしょう。それは、国際都市と小さな市町村での「縦」の文化の違いだと思います。

もちろん日本とアメリカでの根本的な文化や物事の捉え方の違いもあります。それを「横」の多様性と称してみました。

一年中ビーチサンダルで過ごすと言う義母は、地元でも下足はドアの脇に置いて裸足で家に入ります。それでも、我が家で靴を脱ぐ場所を教え込むのに時間がかかりました。玄関の外から裸足で家に上がるたびに「お義母さん、靴は玄関の中で脱いでください。裸足でタタキを踏まないでください。」と説明しています。そう言う自分にとって、日本人には当たり前の行為には「内」と「外」や「穢れ」という文化的背景があるのだろうな、と改めて振り返っています。

比較対象や異文化体験の引き出しがあるかないか

今回、房総半島や新潟まで出かけて、田んぼや古民家に山々が連なる光景を見て、やっと日本に来た実感が湧いたようです。これもある種のアンコンシャスバイアスで、日本の風景はこうあるべきだ、と思い込んでいたのですね。

ルイジアナママの義母には比較できる異文化体験がほとんどないので、混乱することだらけです。私の家族に会って、握手をするべきか、ハグをするべきか、まごまごしている内に、つられて頭を下げていました。初めてお箸を並べた時は、夫が示す箸の持ち方に根を上げて箸を食卓に放りました。洗濯物は乾燥機にかけずに天日に干すという行為さえも新鮮だったようです。東京タワー近くのトンカツ屋さんでは、お味噌汁にご飯をぶち込んだと夫の報告がありました。

そんな義母も到着して二週間、頑張ってお箸を使い、回転寿司でマグロやサーモンはもちろん、イクラやウニにも舌鼓を打ち、新潟の古民家に喜び、両国で大相撲観戦をして叫声を発しています。
夫は日本通ではないのですが「ここはルイジアナじゃないんだから、郷に入れば郷に従え」「周りを見て、真似して行動しろ」と諭しているようです。

義母は私の母とご近所さんと近くの公園で太極拳を習いに行ったり、うちの父とちゃんこ鍋を食べながら、違う世界を身体で覚えていくのでしょう。食事中に「お義母さん、お箸を振り回さないでください。」と私に注意されながらも果敢に納豆ご飯を食べ、何度言っても太極拳(Taichi)を「カンフーに行く」出かけていきます。近所のカソリック教会の英語のミサに行き、新宿へゴジラを見に出向き、神妙に浅草寺でお参りしています。

好意的関心を持って、縦にも横にも異文化の枠を広げる

日本での滞在を通じて義母が自分の枠を縦にも横にも広げて、「異文化」にも関心を持ってくれることを期待します。自分にとって当たり前なことがそうではなかった、という体験の引き出しが多ければ多いほど異質なものに対して寛容になれるのが多様性ということでしょうか。私も義母の行動や言動に面食らいながら、自分自身の枠を広げているのでしょう。

多様共生社会というのは一方のみが順応や許容するということではなく、相手を尊重してお互いがお互いを理解することに努めるという意図性から始まるのだと感じています。義母と接することで私自身の偏ったものの見方に気付かされ、グローバリズムというのも一つの価値観でしかないんだなと感じます。

「世間は狭い」は実は自分が狭い世界で生きているということ?

「世間は狭いね」と共通の知り合いを見つけて外交官同士で歓喜するたびに、自分こそが狭い世界で生きているということに気付いたのは20年前のことです。自分が知っているアメリカや日本が全てではないし、正しいとか良いとか悪いとかいうことでもない。知らない世界はたくさんあって、それを知りたいと思うこと、自分と違った世界に触れ、違う背景を持つ人と接し、違うものの見方やあり方をお互いが尊重しお互いが歩み寄るということが多様共生社会なのかと思います。

一人一人がある程度意識的に行動していかないことには、誰もが自分にとって心地よい空間に収まったままになるのでしょう。その心地よさが、アメリカや欧州の分断社会を作り出し、敢えて「多様共生社会」を訴える必要が出てきているのではないかと思います。組織から離れた自分も、今まで意識することが少なかった空間にもっともっと身を置いてみようと思います。

折に触れて、多様共生社会や同性婚の合法化がなぜ私たちの生活にとって重要か、ということも考えていきたいと思います。


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