何気ない行動が誰かの人生を変えることがある【元外交官のグローバルキャリア】
通りすがりの大人が「ぽろり」と言ったことで人生が大きく変わった経験を私も幾度もしている。そして、私の「ぽろり発言」を受けた若い人から、その後大きな影響を受けたこともある。
ホノルルの総領事館で、国費留学生の選考と送り出しをしていた時だ。私がもらっていた学部生の奨学生枠は1人だった。
書類選考後、日本での1年間の留学の面接まで残ったのは2人いた。一人は東海岸出身の金髪の女子学生で、本土の学生らしくハキハキとした受け答えで日本語もわりと流暢にしゃべる。彼女はきっと日本の留学先でも受けが良いだろう。
もう一人は地元の日系4世の男子学生だった。地元でおっとりと育っていて、ネイティブなんだけど、ハワイの訛りと独特の語彙が面接の評価を下げてしまう。日本語も女子学生ほどはうまくない。ただし文系の彼女に対して彼は理数系だ。
面接では、留学先の日本への適応も見る必要がある。地元から遠く離れたハワイで大学に行っている彼女はそこも問題はない。ハワイの彼は、親元から通っているから、海外留学に耐えられるかが心配な要素だ。
数学を勉強したい、と言っていた彼の応募書類にヒントとなる記述があった。
「チェスのチャンピオン」
州外にも遠征に行っているようだ。ここを突いた。大丈夫、チェスの集中力と遠征試合に出場しているのならば日本でもやっていける。
ダメ元で東京に2人を推薦した。枠は1人、でも私が遠慮することはない。
その結果、二人とも国費留学生として日本に送れることになった。
彼の場合は、日本国籍を放棄するところから手続きが始まった。そして健康診断の提出書類でつまづいた。求められている様式でなく、医師の診断書が付いていなかった。
「叔母さんからも頼んだのだけど、病院が出してくれないです。どうして人はこうは親切じゃないんだろう。」
「仕方がない」、を It can't be helped とハワイの英語で表現する彼。大学2年生か3年生でまだ頼りなくて、途方に暮れていた。「叔母さんが・・」を繰り返していた。
見かねて、子供を叱るような口調で、「すぐに自分で医師からの診断書を取るように、この場で電話するように」言った。彼は受話器を取り、なんとか書類の手筈を整えた。
彼はまだ「どうして人って親切じゃないんだろう。どうして早く出してくれなかったんだろう」とつぶやいていた。
そんな彼を置いて、自分の机に戻って淡々と留学手続きを進めた。大学院の研究留学生も選考していた私は、まだまだやることがあった。
そして、彼のことは忘れていた。
その1年後、彼から職場にメールが届くまで。
当時のたどたどしい受け答えから考えられないような立派なメールが届いた。私宛に感謝の気持ちが綴られていた。日本に留学できて成長できたこと。奨学金をちょっとずつ貯めて、旅行もできたこと。見聞を広げることができたこと。
もうそのメールは手元にはない。こちらからもお礼メールに感謝の言葉を返した。「I was just doing my job. 普通に仕事をしていただけなのに、こんなありがたい言葉をもらえるなんて。今後も頑張ってください。」
外交官人生の転機だったかもしれない。
自分はただ通常の仕事をしていただけで、一人の若い人の成長に日本政府の力で貢献できたこと。まあいっか、と2人枠にもう1人付け加えただけだったこと。おせっかいにも、目の前で電話までかけさせて書類を揃えたこと。
彼のおかげで、外交という仰々しい仕事の手ごたえってこんなところにあるんだと気が付いた。彼のおかげで、ちょっとのおせっかいが人を良い方向に導くこともあるんだ、と悟った。
そして彼のおかげで、私も恩義を感じた人には言葉に出してお礼を言いうようになった。ひょっとしたら、何気ない顔をしていたあの先輩も、「ぽろり発言」のお礼を心の中で温めているかもしれない。少なくとも私は15年経つ今でもお礼メールを思い出す。
きっとイイヌマ君こそ、私のことや私がどれだけ彼のお礼メールに勇気づけられたかなんて覚えていない。
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