すごい通訳の切磋琢磨ぶり【元外交官のグローバルキャリア】
ネットフリックスのこんまりの番組(2019年)を観たときに番組の通訳の飯田まりえさんに釘付けになった。その通訳ぶりに「I am floored (参りました)」と茶の間で舌を巻いた。何を隠そう、この表現も番組中に彼女の使い方で体得したのだ。
飯田さんの美声の通訳には無駄がなく、語彙が豊富でリズムが良い。黒子のように、近藤麻里恵と飯田まりえの境目がなくなる。こんな通訳にお目にかかることは滅多にない。初通訳がX世代俳優のイーサン・ホークと聞いて羨ましくて倒れそうになった。それはさておき当然ながらその実力は努力の賜物だった。
フォローしているLunzi in UKさんの記事から飯田まりえさん出演のポッドキャストを聞いた。日米を行き来して育ったバイリンガルの飯田さんの通訳道の極め方は大変なものだった。
日米で育った飯田さんがアメリカで大学を卒業して、通訳をやろうと思い立った時に相談したメンターからは、日本語力が弱いから日本に一度帰った方が良いと言われたそうだ。それで日本で映画関係の仕事をしながらビジネス日本語を覚えたとのこと。ある日、依頼していた通訳がドタキャンとなった時に、英語使えるでしょ、通訳して、ということになって冒頭のイーサン・ホークだ。
いざ通訳になってからの努力がすごい。ニューヨークの猛者の前で壇上で通訳して、観客席から誤訳を指摘された内容を「間違いノート」に記し、繰り返し読み返してたそうな。
先輩通訳からもらったアドバイスは、とにかくたくさんの書物を読むこと。語彙を増やす為に、日英の書籍を読みまくり、新しく覚えた単語を書き出したそうだ。
飯田さんの話の中で印象に残ったのは、自我を無くして相手の「声」になりきること、空気感を保ち、勢いを絶対に削がないこと。ご自身を「(雰囲気を壊してはいけない)パーティー通訳」というのは、筆者が二十代の頃、接待の場でよく通訳していたのを「芸者通訳」と自称していたの思い出す。
昔、小渕総理官邸に通訳に行く車中で、宴席で会話を促す合いの手を入れている、と駐日米国大使のフミコさんに言うと、「わたくしはそんなことはしません」とピシリと返された(フミコさんは優しい良い方です)。
アメリカ大使館の政治部のアシスタントとして、日米の間に入って通訳をする時は調整が必要なこともあった。ブッシュ大統領訪問の際に、シークレットサービスと明治神宮の社務所の方との間で神聖な場所と警護の観点がどうにも噛み合わない時があった。並行線になりそうな時に、各々の譲れない点を洗い出して、折衷案を提案して丸く収めた事がある。
外務省に入って、政務官や副大臣の社交色が強い通訳に入る時は意訳もした。でも官房長官や官邸での通訳では微塵の意訳も許されない。それどころか、分からなかったら落とせ、とまで後で総理秘書官で元総理通訳の大先輩からご指摘を受けた。
英語ができる担当として通訳するのと、通訳そのものを担当するのでは立場や心構えが違う。通訳はマウスピースだ。いかにに早く、正確に、話者と呼吸を合わせて会話を運べるかが重要だ。
己を消す。これは外務省の公電と呼ばれる各公館から情報収集された報告も同様だ。良い公電は、筆者の存在が消える。冒頭に名前が書いてあるからどこの書記官や領事が書いたかは分かる。でも2、3枚の報告を読む間に、自分が直接情報を得たかのような錯覚に陥る。
良い通訳とは、通訳がいる事を忘れるような通訳だ。それには日々の研鑽が欠かせない。組織内の兼業通訳だった私はそこまでの気概はなかった。自分とは違う、と思ってた総理通訳の方々も日々研鑽されてたのだろう。
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