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【英語】ネイティブと友達になるまで、なってから

どうやったらアメリカ人の集団と友達になるものなんだろう、とその人たちに憧れの眼差しを送っていました。海外のインターナショナルスクールにいた頃のことです。アメリカ育ちの日本人同級生がアメリカ人グループの人たちとつるむのを見て、羨ましくおもっていました。

ドイツで現地校に通った私は当時、ドイツ人の友達はいました。その友達を介して他のヨーロッパ人の良い友達はできました。親友は常に日本人でした。でも何故かアメリカ人の集団がキラキラして見えました。私が英語を学習中だったからでしょうか。

似たようなバックグラウンドの人たちで固まるのは大人でも子供でも同じです。中国語を勉強しに大学生の時に台北に行った友人や、パリやアメリカで高校生活を送った友人も地元の友達を見つけるは難しいと言っていました。語学学校にはネイティブ・スピーカーはなかなかいないし、生活が確立している地元民の輪にくい込むのは国内で違う街に引っ越してもそう簡単にはいきません。

ネイティブと友達になるにはどうしたものでしょうか。

類は友を呼ぶ

色々な国籍の人が混ざっているインターナショナルスクールの学校生活でさえ、何故か文化圏ごとにグループが形成していくのです。それは多分、地方から上京して、訛りが抜けないまま東京の大学に来て、東京育ちの集団に違和感を覚え、ついていけないと感じるのと同じです。そうして、同郷人がなんとなく固まっていきます。

高校時代、欧州人やアジア系の友人たちと時間を費やすことが多くなっても、私の帰属は日本人グループにありました。二つの世界の両方に別々に身を置いている人はあまりいませんでした。アメリカ育ちで英語が流暢な日本人生徒は日本人グループとはすっぱりと縁を切っていました。挨拶を交わすこともありませんでした。それくらいに思い切って、どちらに属すかということを意識しないと転校したてでアメリカ人グループの一員になるのは難しかったのだと思います。

絶対に日本人とはつるまないぞ、と言う強い決意で留学中に友人の輪を広げた、という話も聞きます。そういうやり方もあるのでしょう。

基本的に日本の人は欧米の大学や大学院に留学すると英語を母語としない人と仲良くなることが多いです。私もインターナショナルスクールに入ってすぐはそうでした。

まずはお隣の韓国。儒教のお国の価値観は近いし、外食するセンスも酒の飲み方も似ています。単語を組み合わせて話しても行間が読みあえます。親日的な台湾の人なんかもそうです。

コスモポリタンな小国から来た温和な北欧やオランダの人とかも友達になりやすいです。分かりにくいイディオムを使ったりしないし、スラングなんて持ってのほかです。綺麗な国際英語を話します。

芸は身を助く 

高校時代、羨ましかったのは、楽器を演奏したり、歌を歌ったり、スポーツの才能のある日本人の生徒たちです。運動部や課外活動を通じてジャズバンドやオーディションのコーラスグループ、学校代表チームのサッカー部、バスケ部、バレー部内で仲間を作っていました。ダンスチームの人たちも結束が強く、「ヘーイ 〇〇!」とキャンパスで呼びかけられ、国籍を跨いで仲良くなっていました。その上、年に3、4回ある遠征でチームで近隣諸国のインターナショナルスクールとの試合に出かけてさらに仲良く帰ってきます。

運動が出来たり、音楽の才能があると友達の輪が広がります。

運動神経に自信がなく、楽器演奏もしない私はなんとかして遠征に行く方法を考えました。四半期ごとに募集するバスケ部のB軍から三年生になって選抜チームを目指してみました。ひとえに遠征して、他校の友人と顔を合わせたいという強い意思からです。でもその意思はあっても意志も練習も足りず、選抜チームには入れませんでした。

諦めきれない私は、文化系で活路を見出そうとしました。模擬国連という国際会議を模してスピーチをする活動を続けていたおかげでまずはマレーシアに行けました。でもどうしても春にシンガポールに行きたい、ということでディベートチームの選考に応募しました。

口から生まれてきたようなインド人下級生たちと競い、インド系男子二人、フィリピン人女子一人と日本人女子の私、が選ばれたのは学校選抜4人の内の3人をインド系男子にすると多様性のバランスが崩れるからだったのではないでしょうか。どんな方法でも選ばれれば良いのです。宝くじだって買わなければ当たりません。

ネイティブと友達になるには、何でもいいから自分の得意分野で勝負するか、得意分野を見つけて一目置かれることでしょうか。

学校内で立場を固めて段々とアメリカ人の友達も出来始めました。文系優等生や、新入生のオリエンテーションのお手伝いをするクラブの人の良いアメリカ人の生徒たちでした。

アメリカ人の友人たち

そんな高校時代を送り、30代になってアメリカで大学院に行くことになりました。東南アジアのインターナショナルスクール卒の私は、大学院に入学したら、当然にヨーロッパ人やアジア人を中心とした外国人集団と仲良くなると思っていました。

欧州や英国で学んだインド人を中心とした留学生たちが座っているテーブルで、温かく迎えてもらいました。でも共通の文化を持たず、英語が母語でないせいか、当たり障りのないぼやけた会話に若干の居心地の悪さを感じていました。

気がつくと、私はアメリカ育ちのアメリカ人のグループに属していました。最初の飲み会以来かもしれません。私はお酒には強くありません。

キャンパスのカフェテリアで席を探していると、私の席を空けて待っているようになりました。アメリカ人とはいっても国際政治を学びに来ている人たちですから、異文化には寛容な人たちです。私は、入学したての頃「あの日本人ぽくない日本人」でアメリカ人の間で通っていました。アメリカ人っぽい、ということではない様です。社会人経験も積んで、直前までアメリカ大使館で勤務してアメリカ人慣れしていたのかもしれません。傲慢すれすれな自信 (a confidence that is almost but not quite arrogant)、みたいなことを笑いながら言われました。これは英語で言うと日本語にするほど角が立たず、褒め言葉に聞こえます。本当です。

英語ができないので、臆して黙っていたら気取っている(snob)、と言われた高校時代に通ずるものがあるかもしれません。

その時の私の英語は、高校生の時とは違って、完全に米語化されていました。同じ訛りで話すと、学生同士歯に衣着せぬ会話となります。無遠慮なトークが展開され、会話の内容の解像度がとても高いです。

大学院前期はそんなアメリカ人の友人達のおかげで、私は幾度と無く二日酔いにも苦しみました。でも真のアメリカ文化に触れることができました。少なくとも当時の私にとっては、東海岸で国際関係の修士を取るアメリカ人の考え方が「真のアメリカ」に一番近いものでした。

アメリカの多様性や価値観の違いについては、その十数年後にシカゴで6年間アメリカ国内の動向を分析して、南部もよく訪問して、トランプ大統領が選出される頃にもっと深く知ることになります。

違う国の人たち 

後期は意識的にアジアの同朋たちとの親睦深めました。せっかく国際関係の大学院にいるのだから、アメリカ人以外の学生との付き合いも広めたかったのです。
一人で座っているおとなしいアジア人学生と話している最中は、いつものアメリカ人の友人には「来ないで」と目で合図しました。東アジアや東南アジアの留学生と話している時にアメリカ人複数が混ざると、会話のペースに圧倒されて口をつぐんでしまうことがあったからです。普通の関東人二人がたくさんの吉本芸人に囲まれたら同じように口を出せないと思います。

親しいアメリカ人の友人の配慮のおかげで、後期にはたくさんのネイティブじゃない友人も出来ました。モンゴル人の学生に「モンゴルでは誰もが馬に乗れるの?」と聞いてみると「もちろん!」と呆れたように返されたこともあります。ゆっくりとしたペースであっても、初めて聞くような興味深い話を訥々と語ります。

中国外務省の江沢民通訳だった同級生は、文革のことをお母さんは都市部出身だったから農地へ行かされた文革を恨んでいたそうです。でも実は農村部出身のお父さんは文革のおかげで教育が受けられた、と感謝していることを大人になって知ったとか。ご両親はそれがきっかけで農地で出会い、文革がなければ出会うことはなかっただろう、とも言っていました。母方のお祖父さんは京劇の脚本家で、知識層として苦労したが文革後は共産党をテーマの京劇を書いていたこと。文革の捉え方がさまざまなんて、それまで考えてみたこともありませんでした。

こんな話を聞いている間、親しいアメリカ人達がちょっと離れた席に座って私を「おかえり」と迎えてくれるのは、高校時代の日本人の友人たちと同じです。おかげで心置きなく色々な国の人々と出会い、タイの王室人気とタイの腐敗政治について学びインゲンカレーをご馳走になったり、香港人の友人と飲茶を食べに行く機会に恵まれました。

「どうやったらアメリカ人と友達になれますか」

日本人学生の多くは、日本学を専攻している日本の地方で教員補助員のALTをした経験のあるアメリカ人達と結束が固くとても仲良くしていました。それはとても自然な流れだと思います。

そのグループにも属さない中央省庁の人が、私に唐突に「どうやったらアメリカ人と友達になれますか」と聞いてきたことがありました。そもそも私たちも会話をしたことがないではないか、と思いましたが、その言葉は飲み込みました。その人には、アメリカ人と友達になることにこだわる必要はないのではないですか?韓国の外務省から留学している人と話してみたらどうですか?と提案すると後日その人たちと話している姿を見かけました。私とはそれ以外の会話はないままでした。共通項のある人同士であれば国籍や文化を超えて友情も芽生えるでしょう。

共通の趣味や目標

学校という場はやはり一番色々なバックグラウンドの友人を作りやすい場です。転勤族はだいたい地元の友人を見つけるのを諦めがちです。駐在員の輪の中で関係が納まっています。唯一、シカゴに勤務していた時は仲の良い地元の友人に恵まれました。あまりにも寒くてお互いを「お寒くないように」気遣う土地柄だったり、人が良いことで有名な中西部ということも関係していたかもしれません。はたまたヨガのインストラクター養成講座で一緒の勉強し、インド哲学を議論し、試験勉強に備える密接な200時間を過ごしたためかもしれません。

ネイティブと友達になる、ということがそもそもどこの国の何を指しているかが分かりにくいですが、つまりは自分探しなのかもしれません。




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