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【書評】大人になってモモに近づけたか?(時間どろぼうとぬすまれた時間を人間にとりかえしてくれた女の子のふしぎな物語)

モモに出会ったのは小学校高学年の時だった。年の瀬で母がきりきりしながら大掃除をしていた時に、自分の部屋で両膝に頬を載せて丸くなってミヒャエル・エンデの「モモ」を読んでいた。


不思議なことに、私が子供の頃に出会ってその世界に没頭した本の内容をいつも母が知っていた。それはそれらの本を母が読んで聞かせてくれたり、本棚に入れておいてくれたからというあまりにも当たり前なカラクリだ。子供の頃の自分は物語に入り込み、読み手やその本がどう私の元に届いたかなんて考えることもなく物語に迷い込んでいた。
「モモ」もドイツでの5年間の生活の後に昭和の日本に馴染むのに戸惑っている自分のために、母が用意してくれたのだろう。

ドイツの小学校で唯一のアジア人だった私は、同じ通りの、お父さんがインド人のモナの家によく行った。周りの皆は皆プロテスタントかカソリックのどちらかで、モナの家も我が家同様に「仏教徒」なのかと聞いてみた。「うちはヒンズー教徒なのよ」とモナのお母さんに言われた。お釈迦さまはインドから来たのに、出てきた答えは予期せぬものだった。そのモナの一家も宗教以外は普通のドイツ家庭だった。少なくともそう見えた。お父さんは、苗字から考えてもその風貌からも、思い起こせばベンガル系だったかもしれない。お母さんはバイエルンの人だったと記憶する。

土曜日に日本人学校に行く以外はどっぷりと地元のドイツの世界に浸かっていた私は、日本人である自分や日本のことを誇りに思って過ごしていた。当時流行り出したキキララやハローキティーは優れた日本文化が生み出したサンリオというものであること、ドイツの学校では算数がトップの私は土曜日のクラスでは劣等生なんだ。それくらいに日本人というのは総じて頭が良いのだ、と力説していた。自慢の矛先がちょっとずれている。

ドイツでは、私は立派な日本人だった。

そんなドイツから千葉に戻り、すばらしい母国と自分と同じ人たちばかりの元に帰ってきたと思っていた。幼稚園の年少時代を地元の幼児園で過ごし、また溶け込むことに何の疑問も持っていなかった。きっと親もそれくらいに構えていたのだろう。

リバースカルチャーショックは子供の自分には解せなかった。同じはずなのに自分の行動や言動の何が違うのかわからない。ドイツの話をして、と散々せがまれたのに、気がつけば「いつもドイツの自慢をしているよね」に変わっている。しばらくテレビを買わないことを決めた両親のおかげで、同級生の話題にはついていけなかった。同級生は日々習い事で忙しかった。

ドイツでは、通りの皆で大々的にかくれんぼをしたり、野山に基地を作りに行ったり、家の前の坂をローラースケートで転がり降りていた。木に登ってさくらんぼやプラムを食べた。カーニバルには仮装して、通行する車を止めてお菓子やお金をせしめた。ザンクトマーティンには歌を歌いながら家家を提灯を下げて回った。

日本に帰ると皆はそういう遊び方はしなかった。盆踊りも子供会もあったけど、子どもがつくった遊びではなくて大人に用意された場所だった。

そんな中で、円形劇場に住む浮浪児のモモに出会った。モモは黙って人の話を聞く。モモに悩みを打ち明けている内に自分で問題を解決して帰っていく大人たち。モモがいるだけで、いつもより壮大な想像の中で冒険をして楽しく遊ぶ子供たち。モモの大事な二人の友達の目の前の道だけをゆっくりと掃いては休む道路掃除人のベッポ、お調子者の観光案内人のジジ。

ドイツでの生活が懐かしかった。丸善で高いお金を払って原書も貪るように読んだ。それから節目節目で「モモ」と読み返している。いつ出会ってもモモのゆったりとした、誰をも受け入れる姿勢と聞く力に温もりを覚え、時間を吸い取る灰色の男達の登場にひやりとした空気を感じる。

モモは自分の力を意識せず、ただ深い目でじっくりと相手の話を聞く。自分からは何も言わない。そうしている間に灰色の男たちが人々から「時間」をうまく取り上げ、ゆとりを奪っていく。ベッポでさえ時間を貯めてモモを取り返すために、真剣にすごい勢いで道路を掃いていく。全然楽しそうじゃない。人々は年老いた母親との時間を過ごすことを止める。子供たちは親に構ってもらえなくなる。子供同士で遊ぶのも諍いが絶えなくなる。ぎすぎすして時間に追われた世の中になっている。

何度読み直しても、好きなのは灰色の男達が現れるくらいまでの「モモ」までで、後半と結末は実はそんなに好きではない。一つの作品としての「モモ」というより、エンデが示す概念に惹かれる。モモがカシオペイアに導かれて、盗まれた時間を取り戻しに行く。その過程と結末は、作者のミヒャエル・エンデは何度も練り直したことだろう。私が生まれる頃にエンデが取り掛かったこの作品は、エンデがドイツを去り、南イタリアで生活していた際に書かれた。ドイツではこの物語を書けなかっただろう、と記している。この物語は昔の話かもしれないし、未来の話かもしれない、と。

エンデが嫌い私が楽しく子供時代を送った高度成長期のドイツ。あれから半世紀近い年月が経った。
今の私はいつも灰色の男たちと取引をしている。時間、効率、生産性、「成功」。これらを灰色の男たちが一軒、一軒説いて回っている。私はいつも何かに追われて、何かを追い求めている。

全然モモに近づけていない。


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