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アメリカ大使館で土下座したときが謝罪を学んだ転機【元外交官のグローバルキャリア】

仕事で「謝る」というスキルは年齢と経験とともにつく。私はそれをアメリカ人に土下座してみてやっと学んだ。謝るなら心を込めて潔く、そして場面を変えて複数回、出来れば面と向かって。相手が「気にしなくてよい、」と言ったとしてもそれは鵜呑みにしない。もう一度会った時に謝って、メールの末文にも入れたいところだ。

「大変申し訳ありませんでした。ご迷惑をおかけいたしました。I am so sorry, it won’t happen again. 」「ミスをしてすみませんでした。I apologize for my mistake. 」と謝る。言い訳めいた事は言わない。ミスの説明をするとしたら防止策と合わせて手短に話す。「次からは、このようにして気をつけます。Next time, I will make sure to ...」

大事なのは再発防止

ミスは起こる。それを削減する仕組みづくりを考えて、実践しなければミスは再発する。そしてミスが発生したらすぐに直属の上司に話す。叱られるのが心配であれば、報告は早ければ早いほど良い。リカバーしたと思っても、後で上司の耳には入る。

管理職は部下のために謝るのが仕事だ。自分が若かりしころミスをして仕事を覚えていった恩を、部下の代わりに謝って返しているのだ。自分の上司が、危なっかしいと思っても自分に任せて、失敗して仕事を覚えさせてくれていた、その恩に報いているのだ。

「私は謝った。」

若い頃は謝る事は下手だったが、誤字脱字はいまだに得意だ。日付や曜日や数字もよく間違える。広告代理店に勤務していた時に、クライアントに持っていく請求書が一桁間違っていて、慌てて回収したこともある。

当時、雑誌の編集部周りのアポを設定済みだった。面談当日クライアントが慌ただしく「何時でしたっけ?」とかけてきた電話で、咄嗟に30分予定時間より遅く伝えて、訂正する間もなく電話が切れてしまった。掛け直しても電話は通じなくなっていた。

そこからの連鎖反応で、アポが宙に浮いてクライアント側の出席がなかった。The appointment fell between the cracks and nobody from the client side showed up.

大手出版社とのアボをすっぽかした結果となり、クライアントとこじれた。普段は頼りにしていなかった上司がクライアント先に出向いてくれて謝ってくれることになった。

会社で上司を待つ間、早く帰りたくてそわそわする私は「私は謝った。」と先輩に主張した。バブル期入社の穏やかな先輩は「相手には謝っているようには見えなかったんだよ」と諭した。謝ることの意味がわからなかった。「申し訳ありませんでした」と言葉や口だけで謝っていて、謝ったつもりになっていた。自分は悪くない、と思っていた。

戻った上司は私を責めることなく、「謝っておいたから大丈夫、いざとなったら土下座!それでだいたい収まる。」と落ち着いた表情だった。

今の私なら、自分は悪くないどころか、自分の調整不足と詰めの甘さが招いたトラブルだという事が分かる。上司の謝罪のおかげで「ボタンのかけ違え」という程度で何とか事なきを得た。

三つ指ついて頭を下げた

その数年後、アメリカ大使館に勤務時でも、ボタンのかけ違いが生じた。たまたま赤阪の大使館宿舎で仕事上がりに先輩の奥様にチャイをご馳走になっていた。携帯電話が鳴り、上司の秘書から遠慮がちな一報が入った。「レストランに防衛庁の人がいないの。」と。

防衛庁と設定した夕食会に上司が到着すると、予約は取れていないし相手も来ていなかったのだ。慌てて防衛庁に電話すると、上司が夕食を共にするはずの審議官と課長は帰路についたという。帰宅途中の審議官達を呼び戻してもらうことになった。不幸中の幸いで、先方には別の予定が入っていなかった。奇跡としか言いようがない。

秘書と連携して、上司達は予約していた、同店の別店舗へと移動した。その最中に上司と電話が繋がると「I will talk with you on Monday.話は週明けに聞く」と凄まれた。金曜日の夕方から憂鬱な週末が約束されたことになる。それは回避したかった。

ミスの経緯メモ

ミスの経緯をメモにしたためて、その全室個室の和食の店へ向かった。仲居さん達に部屋に案内されそうになるのを固辞して、食事が運ばれるタイミングで頭を下げながら入室した黙ってメモを差し出した。

店舗の予約情報をアメリカ人の秘書と防衛庁に紙とファックスで渡さなかった事が発端だった。秘書は、私を煩わせまい、と自分で調べて上司に渡したが同店別店舗だった。防衛庁のカウンターパートに電話をかけるのが億劫でリマインドをしなかった。リマインドどころか日程を調整した事に満足し、予約情報を伝えていなかったのだ。

きっとその職員も月曜日に自分の上司に何があったかを聞かれる。でも招待者の私の調整ミスだ。これを早めに明らかにしないと、今後のカウンターパートとの関係に響きかねない。

昔の私ならば秘書にも責任の片棒を担がせたかったろう。夕食会の場所はどこですか、と一言聞いてくれなかった防衛官僚も責めたくなる。でも、はじめて頑張って失敗を全て自分が被った。

メモを渡して頭を上げると、上機嫌な上司の防衛幹部が「せっかくだから上がれ」という。いえいえ、とんでもない、と頭を振って膝をついたまま後ずさりして個室を後にした。一瞬だけ、混ぜてもらうべきかと脳裏をよぎった。

月曜日の朝に上司に謝りに行くと、週末を挟んだこともあってか、無かったことのようににこやかだった。血の気が引いた金曜日の夕方から、綱渡りで無事に夕食会が開催され、始末書は手書きメモで済んだ。そして「大変失礼しました。It is my fault. 」という言葉が前より口からスムーズ出るようになった。

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