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もっと偉くなると思っている内に折り返し地点を過ぎて、脱サラ

自分の運を掴む力は否定できない。

職務経歴をみると華麗なる転職を繰り返しているかに見える。クランボルツの<プランドハップンスタンス>のキャリア理論によると、運を掴むのに必要なのは、好奇心、持続性、柔軟性、で日頃からの意識づけが重要だそうだ。

子供の頃から「頭が良い」とか「優秀」とか言われることに慣れて、自分でもそう信じ込んできた。択一試験では成績は出ないが、論文と面接ならなんとかなる。きっとすごいことを成し遂げたり偉くなるんだろう、と思って社会人生活を送ってきた。

ところが、中年の危機の時期に達しても偉くなっていない。

周りの友人には自分の力でもっともっと社会的に認められる立場についた人もいた。微妙な挫折感がちくりと心を刺す。でも親しい友達だったりもするので、偉くなっても弱音を吐く瞬間に居合わせて、そういうものなのか、と思ったりもする。誰だって何かしら犠牲にして生きている。

大学時代の就職活動は、氷河期の始まりだった。流れにうまく乗れない内に4年生の夏を迎え、卒業時には就職先がない、と焦ったのである。この焦りはその後、仕事を一旦辞めてアメリカの大学院を卒業する頃にも経験した。現在も転職をせずに退職して、独立すると決めて同じような焦燥感に駆られている。

三度目ともなると、はやる気持ちを抑えて地道に種を巻き続けるのが大切だということは頭では分かっている。そして初心に返ることがいかに重要かも分かってはいる。でもまた一合目から山を登るという頭の切替えはそう簡単にはいかない。

このままじゃないけない、と思ったから脱サラしてリセットしたのだけど、今までしてきた仕事は、振り返ると楽しく輝かしい。
でもよくよく目を凝らすと、そのキラキラした中に、不条理に感じた瞬間、辛く苦しかった時期、疑問が生じながらもこなしていたダークな部分が浮かび上がってくる。

そういった澱んだ思いは、今感じているずどんと重くて濁った不安感とさして変わらないのだから、前を向いて歩いていくしかない。

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