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要介護の叔父とベトナムコーヒーとアフォガート

犬の散歩に出ようとした時に、叔母が叔父を徒歩で鍼灸院に迎えに行くと言う。叔父が障害者2級、要介護認定3になってもうすぐ3年になる。75歳で脳梗塞となり、右半身麻痺となった。

リハビリ病院を退院時は家の中でも自力歩行は見込めないと言われた。その上、高次脳機能障害によって自分が歩けないことを忘れての転倒リスクがあると言われた。要介護認定4で退院した。

叔父は週に二度通所リハビリに通い、週に一度は脳梗塞に強いと言われる鍼灸院に通っている。リハビリで何やっているの、と聞くと「そりゃあ、身体や頭によいことよ。そんなこといきなり聞かれても」とごまかすように笑う。どの程度真剣にリハビリをしているのかは怪しい。でも通所リハビリで大学の先輩に遭遇し、地政学だの石原慎太郎の本だのを薦められて目を通している。今や電動車椅子に乗りながらならば近くの公園や焼き鳥屋にも行ける。でも歩いて300メートル程の歯科医にさえも叔母と一緒でなくては行かない。叔母も一人で行って欲しいと言いながらも必ず着いていく。

駅前の鍼灸院まではほぼ800メートルくらいだ。電動車椅子を押して迎えにいくのかと思いきや、帰りは自力で歩かせると言うのである。行きは予約時間の関係で毎回叔母が車で送っていっている。一度駐車違反を切られてからは、時間がかかりそうな迎えについては私を同乗させたこともあった。

頭や顔に主に針を打ってもらう鍼灸院では、叔父は大きな声で「いたたたたーっ!」と叫び、「まだ刺していませんよ」と先生に指摘される。叔父は、しょっちゅう「およよよよ」「とありゃああああ」「あたたたた」と奇声をあげる。曰く、景気付けだそうだ。母も何かと「どっこいしょ」「よいしょ」と言う。自分に気合を入れることはきっと良いことなのだろう。日本語として定着している掛け声の方がわかりやすいことはわかりやすい。

近所の鍼灸院で、叔父の地元である関西の幼稚園と中学校の同窓生に遭遇した。よくもまあそんな事実が判明したものだ。先生が気を利かせて二人の予約時間を合わせてくれる。

叔母を説得して自宅に残し、私が犬と共に叔父を迎えにいくと、叔父はランニング姿で頭に針をいくつも刺して、グローブみたいなものに手を突っ込んで同年代の男性と会話に勤しんでいた。「幼稚園の同窓生なんですよ」とその男性は嬉しそうに私に言う。「姪です」と叔父も私を指して言う。元々の面識はなかったらしいが、懐かしそうに昔を振り返っている二人を尻目に外で待つ犬の様子を伺いに行く。火鉢の前でキセルをふかして、小学生だった叔父を待つおばあちゃんの話をしている。

叔父と自宅から鍼灸院までのルートを車椅子無しで二人で歩いたことはなかった。途中にあるカフェとの距離感を測る。中間に目的地を一つ設けて休憩しないと歩く意欲が続かないだろう。叔父は昭和の団塊の世代の割に根性がなくて困る。それを言ったら戦中生まれの父も我慢すると言うことを知らないし面倒くさいことは嫌う。


歩き出すと案の定「腹が減ったな」と言い出す。叔母とLINEでやりとりをすると昼にすでにお餅を食べているらしい。口寂しいだけ?と聞くと「そうだな、アイスコーヒーが飲みたいな。」と言う。叔父はいつもアイスコーヒーを飲みたい。

目指していたカフェミミのやや手前に「ベトナムちゃん」がある。私も昼ごはんを食べていないのでそこを提案すると「ベトナムコーヒー、いいね」と言うので短い階段を下がって、上がって、下がって「ベトナムちゃん」に入る。キッチンではシェフのトゥーさんが私に手を振る。

「なかなかいいね」とメニューを見ながら叔父が店内を見渡す。「フォーってなんだっけ」と言うのでお店のレシピ本を渡すとぺらぺらとページをめくっている。ブンボーフエを頼んだ私に「フエは地名だね」と尋ねる。叔父が訪問したことがあるのはサイゴンだけだそうだ。当時も今もホーチーミンシティーである、という事実は置いておこう。私の揚げ春巻きを一つ分けてあげると素手で頬張る。器に入れたブンボーフエは、利き手ではない左手でお箸を使い、レンゲに持ち替えて「しっかり辛いね」と言いながら口にする。

コンデンスミルクが底に入ったベトナムコーヒーが、麺を食べ終わる頃にドリップし終わる。それを氷の入ったグラスに移し替えて、ストローでアイスベトナムコーヒーを「おいしいね」と飲む。レシピ本には、シェフのトゥーさんを三箇所に見つける。

麻痺を持たない私にとってはすぐそこの「ベトナムちゃん」だが、再度何段か上がって、下がって、上がってと繰り返したのは叔父の三週間分のリハビリに値しそうだ。やはり予定通りカフェミミを中継点にすべきだったか。でも段差があっても叔父がベトナムコーヒーにしよう、と2択から選んだのだ。

叔父にとっての段差というのは、私が初めてウォールクライミングした時の状態に似ているのではないかと思う。どこに手を置き、足を動かし、体幹に力を入れて移動するか。使っているのは頭と体幹であり、ザイルの代わりに支えているものは杖一つだ。大丈夫そうに見えてもバランスを崩すと石段に頭を打つかもしれない。何かあればすぐに支えられるように軽く腕に触れておく。

意識したことのない歩道の傾斜でさえ、片麻痺の叔父には歩きにくく、丁寧にゆっくりと足を運ぶ。感心なことにわが犬も、いることを忘れるくらいに同じ歩調で叔父と私とゆっくりと歩いている。うちの犬がこんなにゆっくりの一定ペースで歩いているのを見たことがない。

30メートル歩いてカフェミミの前に来た。叔父も一定のペースで足を運び続ける。このまま帰る?と聞くと一旦は「帰る」と言った叔父だが、店頭のメニューを「何か美味しいものはあるかな」と覗き込んでいる。再度意思を確認すると、やっぱり「入ろう」と言う。

店内ではナタリーが二人の女性にフランス語を教えている最中だ。私たちの隣の席でもフランス人と思しき女性が叔父の年代の日本人男性と日仏で会話をしている。いつもにまして仏的異国情緒に溢れている。私も本棚からフランス語の絵本を取り出して、叔父と一緒にフランス語のアルファベットを眺める。叔父は第二外国語がフランス語で、大学時代のフランス語の教授のRegasiという名前が発音できなかったことを語る。私の大学のドイツ語の先生は根岸教授だ。

家にいると何かと「アイスクリーム!」という叔父にアフォガートを頼んだ。まずバニラアイスをひと匙口に含み、エスプレッソを飲み、アイスにエスプレッソをかけ、ゆっくりと、小さな匙で溶けたアイスとエスプレッソを「おいしいね」と口に運ぶ。付き合いで、私もハートのコーヒーアートを施したカプチーノを飲む。

そこからは、さすがに一直線で家まで一歩一歩踏みしめながら帰る。犬も黙々とついてくる。叔父が一人で家にいる時は、うちの犬が見守りを買って出ることがある。誰かが来るまでソファで叔父の隣にピッタリと身を寄せているのだ。

「なんでこんな歩かさせられるんだ。」「(叔母が)いつも『右足をまっすぐ!」とか後ろからうるさい」「えらいこっちゃ」とかいろいろと言いながらも家の敷居を跨いだ。最後まで気を抜かないでね、と私も声をかけ続ける。800メートルほどの道のりに2時間強かかって叔父の家についた。私が犬の散歩に出ようとしてからはほぼ3時間だ。

アフォガート飲んできた、と報告すると叔母が「アボカド?」と聞き返す。「YouTubeを見たいからNetflixを入れて欲しい」という名言を残した叔母である。


旅行は最高のリハビリだという。家からたった800メートルの間にも、ベトナムとフランスという異国や、70年前から現在までの時空の旅に出ることもある。



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