見出し画像

アメリカの外交官のおもてなし【元外交官のグローバルキャリア】

20年前にアメリカ大使館に勤めていた時に、一回り以上上のドナという優雅な女性外交官がいた。会計担当のドナは、館内をインドの服装のシャルワカミースでゆっくりとシルバーヘアーを靡かせて歩いていた。ドナから会計関連の内線電話をもらうと口調は厳しいが、インド旅行の相談をしに行ったりすると途端ににこやかになる。執務室を覗いた時は「今忙しいのよね。」と言っていたのが嘘のように、嬉々として前任地のインドの美味しいお店の話をしだす。

ある夕、帰宅しようと大使館の門を出たところでドナと鉢合わせたことがあった。一緒の方向に歩いていると「うちでカクテルパーティーをするけど来れば?」と声をかけられ、そのまま二人で赤坂の宿舎まで歩いて行った。ドナの家にはインドの木製のドアまで飾られていて、ちょっとした美術館のようだった。彼女の執務室も自前のインドの絨毯が敷き詰められていた。アメリカの外交官は、給与が公務員並でも引越し代や手当は手厚く日通さんお抱えだ。そこは、少ない予算で個人的に業者さんを手配する日本の外務省員と大きく違うことを後に日本の外交官となって知る。

主催者と同時に帰宅するカクテルパーティーって?と不思議に思ったが、ヘルパーさんがおつまみを数品用意してくれていて、すでに人も集まっていた。ドナの配偶者が客人の相手をしていた。ドナが「何を飲む?私はオレンジジュースとOuzo」とフランスのパスティスみたいな飲み方をしてたので同じものをもらった。圧倒されるくらいに洒脱なカクテルパーティーだった。

大使館時代の直属の上司のジムはよく公邸で公的な夕食会を主催した。部下として早めに公邸に行くけど、やることはなかった。ジムがテーブルセッティングを確認して、自分でフィリピン人のヘルパーさんと料理の調整をしていた。
ある時永田町の政治家の先生方が集まっていたのに、ヘルパーさんが出勤しなかった日があった。開催時間の1時間程前に会食のスタンバイしに公邸を訪れたら、困った顔をした上司がいた。「We have a problem」と、夕食会に食事の用意がないことを告げた。八つ当たりすることもなく途方に暮れたジムに「ここは豪華に高級ハンバーガーを頼みましょう!」と広尾のHomeworksに急ぎ電話をした。Uber Eats は当時はない。

食事が始まって少し経って、ジムの配偶者のケイコさんが現れた。客人の会話が途切れた時に、ジムが座る椅子に手をかけて、「この度はこのような大事な方々がお集まりの会に相応しくない食事で大変申し訳ない。」と英語で堂々と謝罪した。公使のジムは妻に恥をかかせて申し訳なさそうにしていた。公邸会食の準備はジムの仕事でケイコさんはタッチしないはずだけど、と内心思ったが、ジムによるとケイコさんがヘルパーさんに指導してくれたおかげの夕食会だそうだ。破天荒で誰をも恐れないジムは唯一妻には頭が上がらない。

独身女性外交官も負けていない。同じ部署の三十路のユリが、自分よりも格上の外務省の室長以下を招いて、仕事のディナーパーティーを主催したことがあった。テーブルに並べられたビュッフェ形式のタイ料理を各々皿に取って、ヘルパーさん一人がテキパキと裏方を務めていた。ユリはお酒を燻らせながら皆と会話をしていた。前任地の中国で買い求めた中国家具や両親の出身国である韓国の書の額がセンスよく飾られていて、それも会話に花を添えた。向上心もあって仕事に厳しいユリは40代で大使になった。

それから数年後、修士を取って試験を受けて自分も日本の外交官となった。最初の赴任地のハワイでは前日から仕込んで自分で料理を作って同僚をもてなした。ハワイでボルシチを作って、日系三世の同僚が真っ赤なビーツのスープは初めて食べた!と目を丸くしていた。
パキスタンにいた時は自宅のコックとメニューや趣向を考え、女子会から、大勢のビュッフェ、徐々に懐石の着席ディナーまでを主催した。それなりに入念に準備をして、打ち合わせをして、運転手も助っ人で食事の支度やセッティングに後片付けに加わった。
ロサンゼルスでは別居婚中の夫が得意の郷土料理で女子3人をもてなしてくれたこともある。夫が何から何まで用意することもよくあった。余計な口出しはせずに、好きなように料理を作ってもらい友人知人と舌鼓を打った。

そして4箇所目のシカゴに赴任して数年が経った時に、ある金曜日に思いつきで帰り際にアメリカ人の同僚二人に声をかけた。「今日うちにムラカミタカシが届くの。3人でビューイングパーティーしない?」二つ返事で自分よりちょうど一回り下の二人が徒歩で私の自宅に向かった。夫は出張中だった。

途中、日本の観光客にも人気のTrader Joe'sに寄って、お酒や冷凍のおつまみを買った。ここは日々の生活に欠かせない加工食品だらけで、ワインも値頃感の良いものがある。家に着いて、彼女たちが届いたばかりのリトグラフの箱を開封している間に、オーブンにおつまみを入れて、グラスやお皿を揃えて、簡単な一品をいくつかあつらえた。壁に釘を打ち、一緒に作品を壁にかけてワインを開けた。いつになく胸襟を開いて、笑い転げながら更けゆく金曜日の夜だった。

そう、いつの間にかドナと同じように気軽に同僚を誘って、仕事帰りに事前準備なしで簡単に手厚く客人をもてなす術を身につけたのだった。

帰国してすぐコロナ禍となって腕が鈍っていたけど、東京でももっと気軽に簡単に人を家に招くことにしてみよう。 
ソーシャルキャピタル構築のために、外交官時代と同じように。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?