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最近の日課=孤独のグルメをみる。

テレビを見なくなってもう何年たつかな。
「生産性のないことはなるべくしたくない」とか言い張ってて、なかでもテレビは人生のなかでもっともムダな時間のひとつと思ってた。

けど最近は「ムダもなかなか良いではないか。」と思う。


おじさまの食事シーンを見続けるという新たな日課

孤独のグルメを知らないひとのために少し紹介したい。

孤独のグルメはマンガ原作の連載ドラマで、2020年の今はシリーズ9まである。(しかもシリーズ9のあとにシリーズ0まで出てた。)


あらすじは、主人公の中年男性、ゴローがひたすら食事をするだけ。


ストーリーといえば、取引先とのやりとりくらいだろうか。
ゴローちゃんは輸入雑貨販売の個人事業主で独身。彼の人生は仕事とうまい飯のシンプルな2本立てだ。


わたしが一見なんの収穫もなさそうなこのドラマが好きなのは、意外にもたくさんの気づきがあるから。


勝手に熱く語ります。孤独のグルメ、ここがスキ。

まず原作者の久住さんがすきである。
わたしは久住さんと飲みに行きたい。共通点はきっとほぼ皆無。だけど、なのに、わたしは久住さんと飲みに行きたい。そしていい飲み仲間になれるに違いない、とまで思ってしまう。


作品からは久住さんのやさしさが垣間見れる。
まず食事に対する敬意。そして食事を提供してくれる人に対する敬意。セリフに感謝の気持ちがあらわれている。きっと心の純度はハンパないはずだ。


そもそも主人公であるゴローちゃんの性格がとてもよくて、ゴローちゃんには妬み嫉み、およそ世間でネガティブとされる一切の感情がない。


たとえばゴローちゃんはいつもひとりで食事をする。
周りは家族連れ、友人同士、わいわいしている。


そんな楽しそうな人たちを尻目にひとりで食事をするとなればどうだ。
周りのテンションと反比例曲線を描いてこちらはテンションだだ下がりである。


けどゴローちゃんはどうだ。


「楽しくなってきたぞ〜」


周りが幸せであればあるほど、自分も幸せな気持ちになれるのだ。これは神の心だ…。


こんなピュアな人柄を描いた久住さんもきっと神の心をお持ちに違いない。


多才すぎる原作者久住さん。

あと音楽もとてもスキ。
最初はなんかシンプルな曲だな〜と思っていたのだけど、いまとなっては脳内ループが止まらんとです。

とくにオープニングの音楽とかめっちゃスキです。


県外に行くときの、あのロールプレイングゲームで自分の町に帰ってきたとき流れてるような哀愁漂うメロデー。心臓わしづかみやがな。



全体を通してシンプルなんだと思うんです。
音楽もシンプル。人間関係もストーリーもシンプル。セリフも少ない。


ドラマのあとにある久住さんのコーナー「ふらっと久住」でゲストの方が言われてたけど、マンガ版の空白が好きなんだって。それでそれをどうドラマで表現するのかと思ったけど上手に表現されていて驚いたって言ってた。


そう、空白が多い。
だからそのドラマに引き込まれるのではなく、ゴローちゃんの生きかたを通して自分に気づきが生まれるんだ。


ほかがどんな生き方をしていたって、孤独にうまい飯を食うことに人生をかけているゴローちゃんの自分軸、強靭にもほどがあるぜ。


最近洋画みなくなった。


前は洋画もよくみてました。でも最近洋画みれない。
おもしろそうだな〜って思うんけど、見たあとすげー疲れるようになってきた。


洋画はさ、とにかくアグレッシブなんだよね。よく言えばわかりやすいのかもしれないけど。


西洋の方はあんなに破壊とか戦いとか好きなんかね〜〜?



いっぽう邦画はっていうと、邦画はじわじわくるよね。含んでるよね。
最初から引き込まれて目が離せないみたいな全力投球はあんまりしない。


なんかの本で読んだけど、女性はじわじわ温度があがっていくって。恋愛もそうだよね。女性はだんだん好きになるよね。日本は女性性の国家らしいから、日本人の表現も感覚的で、じわじわなのかも。


広告とかメディアとか、まぁ映画なんかも、ここで笑って、この人に共感して、このひとは嫌われ役で、最後に感動して、みたいな、製作者の意図通り促されてる。そこに自分の意志はあるのかな。



自分の意志なのか、それともそう思わされただけなのか。
邦画の場合はそれぞれの受け取り方がある、その余白を残されているように感じます。

意味のないことが大事なんだね。

というわけで最近のわたしはごはんのあとに2本くらい、ゴローちゃんをみてるわけだけど、少しまえの自分だったらこんなことしてなかったと思う。


そんな時間あったら自分を高めるための本でも読もう、有益な情報を集めようとか思ってたはず。


意味のないこと、ムダな時間。
この余白のようなものを楽しめるようになってきた。
誰かと向き合って深い話をする時間も大切だけど、同じ方向をみて、同じものを共有するっていうことも同じくらい大切なんだ。



いまってたくさん働くとか、たくさん稼ぐとかそういう価値観が徐々に変わってきて、むしろいかにムダを楽しめるかって大事なんじゃないかなぁって。


わたしは沖縄に住んでいるけど、ここでは木の下でぼーーーっと座ってるひと、よく見かけます。ほんとーーーによく見かける。それも若者とかではなく、年配の方や中年の方だったりする。ただ座ってるだけなんですよ。


目的や成果ばかり追いかけずに、“いま”を味わえる生き方っていいなぁ。


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