12年のアルツ観察記録:母は自宅で逝きました(060):2015年7月
発病から6年6ヶ月/死まで6年6ヶ月
7/5
母が朝一からガス台が点かないと言う。昨日から不調だが、やや悪化傾向。当面の点火なら、近くにライターがあるのにと思う。後には「それくらい気づいて使える」という言い方。
7/12
テレビで戦争のことを見て「集団疎開のときあんたをおんぶして」と言い出す。息子と弟の混同の始まり。指摘しても「しまった」感が無く、ぼっとしているのが心配。
7/18
隣家アパートが無くなり、花火大会が2階から非常によく見えるようになる。母は何度も「特等席だね」と言って喜んで見ている。「きりがない」と行きかけて、また戻ること数回。
7/19
ヘルパーはIさん。
専門医受診同行報告
・テストは特に劣化は無く、先生も「相変わらず穏やか」とのコメント
・同行のヘルパーさんは母の足が速く、着いていくのが大変だったとのこと
先日の疎開をめぐる話について。戦後70年の番組が増えて、他にもスイッチが入って不安になっている老人が結構いるとのこと
他のヘルパーさんに関する雑談。母には、いろいろな見地から見守る「目線の違うファン」が多くいるとのこと。
おがらを炊いて送り盆。いつものことだが、帰り道に道が乾いているのを見て「何日雨降ってない」と不毛な質問。一度降ると数日濡れているはずということらしい。
7/25
ヘルパー日誌によると、水木金3連続で朝閉め切った中で食事していたので冷房したとの記載。
母は、買い物の精算をしたかを6回くらい聞いた以外はまずまず。
7/26
酷暑だが、昨日も外出してなさそうなので連れ出す。荷物を先に詰めていると、母に遅れてレジの人が来る。1万円のお釣りをもらわずに来たため。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?