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12年のアルツ観察記録:母は自宅で逝きました(000):背景、概要、免責事項やら

 これは、アルツハイマー型認知症の母とその家族についての、長年にわたる週末介護での観察に基づく記録である。数多の類似のページと違うのは、羅列した事実のボリューム感であろうか。客観性も充分と思いたいが、怒ったりぼやいたりしているシーンも多く、こちらは微妙かもしれない。どこまでもクールに介護できる人はあまりこのようなものを残さない気がしないでもないが。

 多くの例と同じく、母の認知症は物忘れから顕在化した。時期の特定は難しい。専門医に診断されたのは2009年の秋である。2008年の暮れにうっすらと気づいた親族もいるが、会話の辻褄や待ち合わせの失敗などから誰もが病気を疑うようになったのは2009年の春頃だったと思う。母が自宅で死去したのは2022年初頭の89歳直前だったこともあり、ここでは2009年初頭の76歳になった頃に発病したということにして、丸13年の闘病だったということにする。最初の一年強についてはさておき、それ以降の12年については比較的詳細な記録を残したので、それを共有させていただく。

 この期間の内で、父が最後の入院をした2011年6月以降、筆者は、南横浜の自宅から、母の住む東京下町に、主に週末、土曜夕刻に行って、一泊して、日曜夕刻に戻るという生活を続けた。無論、自分の都合や母の通院付き添いなどで曜日がずれることもあったが。この週末の二日について、毎度、関係者報告兼記録を残した。これがここでの報告の大半をなすものである。

 やったことは、多分、苦労された方に比べれば大したことはない。時期によって無論変化はあったが、平均的なパターンは下記のような感じであった。
・着いた直後に異変が無いかをチェックし、郵便物などで対応が必要な場合は対応し、お金が変な減り方をしていれば探し、鍵などが定位置に無ければ探す。
・買ってきた夕食を準備、風呂の準備など
・母の寝室のとなりの和室に寝て、頻尿・物音・独り言などがある場合、少し気に掛け、程度により確認に出向く
・朝食準備
・ヘルパーさん対応/相談
・掃除・庭仕事
・買い物(ある時期までは母同行、その後は一人)
・昼食準備
・会話(同じ会話の丹念な繰り返し)
・退出

 時間と工数は大したことは無くても、親の介護で目の当たりにするものは、自分のあり得る未来であるということが重くのしかかるのだと思う。その意味で血縁でない身内や他人様の力を正しく拝借するのはとても大事だと思う。

 発病前の母は当意即妙で、膨大な量の手芸作品を作り、一度行っただけの道のりが複雑な場所に5年後にも行けるような地理的記憶を有していた。それらがゆっくりと失われていった。

 ここに記した母の行動の中には、世間全般的にはあまり特徴的でないように見えるものも多くあると思う。しかし、ここでは認知症による変化を記録しているので、「大したこと」でなくても、「発病以前にはありえなかった」ことが発生して、家族がショックを受けたり、頭を抱えている姿であると理解されたい。

 これは、起こったことと、それに対して自分が感じたことを記したものであり、何らかのあるべき論を述べたものでない。アルツハイマー型認知症患者の一例を非専門家が記録したものに過ぎない。対応については、周囲からはしばしばお褒めいただくことがあったが、多分NGというべきものもたくさんあったと思う。間違っても、どうすべきか困ったときに参照するような使い方はせず、読み物として読んでほしい。読まれた方は参考に留め、実際の行動に関しては、経験のある医療・介護従事者と相談して決めてほしい。

 一応、できるだけの客観的描写を心掛けている。私が暗然としたり、怒り心頭に発している場面も多々あるが、できるだけそのような感情を膨らませるのでなく、そうなっている私を含めた風景を描いたつもりである。成功していると胸を張る気はないが。

 上に関連するが、投薬の内容や要介護レベルの詳細の記述は避けている。理由は、医学的知見は常に変化し、介護サービスの内容も時代や地域や政治などにより変動せざるを得ないので、無闇に是非を論じる議論を回避すべきと考えたためである。ただ、総合的には、母と我々はまずまずの制度としてのサービスを受けることができたのではないかと思う。個別のサービスについては、多くのヘルパーさん、ケアマネさんには大変お世話になり、感謝に堪えない。

 すべての文章と画像の著作権は筆者に帰属します。リンクはフリーとしますが、無断の長文引用や翻訳などは禁じます。

 病状と介護の大きな流れは下記の内容

2009/01~2010/06:発病から0年0ヶ月/死まで13年0ヶ月~発病から1年5ヶ月/死まで11年7ヶ月:
少し変だよ→絶対変だよ。診てもらったほうがいいよ

2010/07~2010/08:発病から1年6ヶ月/死まで11年6ヶ月~発病から1年7ヶ月/死まで11年5ヶ月:
どうやらアルツだ。早く受診してくれー

2010/09~2011/01:発病から1年8ヶ月/死まで11年4ヶ月~発病から2年0ヶ月/死まで11年0ヶ月:
やっと受診してくれた束の間の少し安心

2011/02~2011/03:発病から2年1ヶ月/死まで10年11ヶ月~発病から2年2ヶ月/死まで10年10ヶ月:
父が二回入院。一人暮らしになっていろいろ露呈したり行き違いがあったり震災もあったり

2011/04~2011/06:発病から2年3ヶ月/死まで10年9ヶ月~発病から2年5ヶ月/死まで10年7ヶ月:
父も緩む。プロの介護に入ってもらうが反発す

2011/06~2011/10:発病から2年5ヶ月/死まで10年7ヶ月~発病から2年9ヶ月/死まで10年3ヶ月:
介護が軌道に乗る前に父最後の入院へ。またも母は混乱

2011/11~2013/05:発病から2年10ヶ月/死まで10年2ヶ月~発病から4年4ヶ月/死まで9年4ヶ月:
父の死の悪影響は思ったほどでなく、周囲は少し安堵。安定した状態が長く続く

2013/06~2013/09:発病から4年5ヶ月/死まで8年7ヶ月~発病から4年8ヶ月/死まで8年4ヶ月:
踵を傷めて入院とリハビリの夏。一体どこでどうしたの?

2013/10~2014/05:発病から4年9ヶ月/死まで8年3ヶ月~発病から5年4ヶ月/死まで7年8ヶ月:
快調続くも、忍び寄る胡乱なリサイクル/クリーニング/宗教。5月にはまともな銀行までもが怪しく見える挙動

2014/06~2014/10:発病から5年5ヶ月/死まで7年7ヶ月~発病から5年9ヶ月/死まで7年3ヶ月:
「死んだほうがまし」などの僻み傾向が出てきたり、妙にお金がなくなったりなどが起こり始める

2014/11~2015/03:発病から5年10ヶ月/死まで7年2ヶ月~発病から6年2ヶ月/死まで6年10ヶ月:
通帳/カード/印鑑を当人管理から外す。それに対する異議やら混乱やら
 
2015/04~2016/01:発病から6年3ヶ月/死まで6年9ヶ月~発病から7年0ヶ月/死まで6年0ヶ月:
隣家アパート取り壊しによる混乱があったり、息子と弟の混同が始まったり、エアコン点検詐欺の尻ぬぐいをやらされたり

2016/01~2016/05:発病から7年0ヶ月/死まで6年0ヶ月~発病から7年4ヶ月/死まで5年8ヶ月:
時間を問わず、自分で用意する食事が朝食の内容になってきたり、会話の切り返しの切れ味が落ちたり、介護拒否があったり

2016/05~2016/07:発病から7年4ヶ月/死まで5年8ヶ月~発病から7年6ヶ月/死まで5年6ヶ月:
お尻湿疹でトイレに行くのが頻繁になったり、汚れが発生したり。RP(リハビリパンツ)の使用開始

2016/07~2017/07:発病から7年6ヶ月/死まで5年6ヶ月~発病から8年6ヶ月/死まで4年6ヶ月:
至近だった美容院が移転。一方、会話がよりストレスフルに。何かと悪口と受け取る。「来なくていい」も増える。「娘がいればいいのに」とかも言い出す。適切な衣類の選択や食器の戻し場所にもやや難。お金の減りも大

2017/07~2018/07:発病から8年6ヶ月/死まで4年6ヶ月~発病から9年6ヶ月/死まで3年6ヶ月:
コミュニケーションが面倒に拗れる状態が続く。「生まなきゃ良かった」とかも言うようになる。他にも諸事劣化。そんな中、冷蔵庫が壊れたり、電話が不調になったり、エアコンが不調になったり、シンクなど設備トラブル対応も。「来ないでみたら」も増えるが、試すまでもない

2018/07~2019/05:発病から9年6ヶ月/死まで3年6ヶ月~発病から10年4ヶ月/死まで2年8ヶ月:
リハビリパンツ(RP)への全面移行。それに伴うトラブルは頻度も程度も拡大。諸事につきスピード低下。「来ないで見たら」、「いなくなったほうがいい」、「死んだほうがまし」、「バカにする」、「ここは私の家だ」系発言が増える

2019/06~2019/09:発病から10年5ヶ月/死まで2年7ヶ月~発病から10年8ヶ月/死まで2年4ヶ月:
足爪の面倒な処理開始。リハビリパンツ(RP)問題も僻み発言対応も続行。見当識の劣化も進行。夏場のエアコン連続運転(熱中症防止)開始とそれにまつわるいざこざ。できないことを必要ないことと見なす傾向。朝起こして朝食を食べさせるまでに苦労することが増えてくる

2019/09~2019/11:発病から10年8ヶ月/死まで2年4ヶ月~発病から10年10ヶ月/死まで2年2ヶ月:
書類の記入時に現姓か旧姓を迷う事態の初発生。起床難航は時折「待たせちゃう」のマジックワードが奏功。不毛発言は相変わらずというか、定番に固定していく。ヘルパーさんへの介護拒否の強度が増す傾向も。親族の存命/死亡についてわからなくなってくる
 
2019/12~2020/02:発病から10年11ヶ月/死まで2年2ヶ月~発病から11年1ヶ月/死まで1年11ヶ月:
ケチャップとマヨネーズの混乱。お寺でバッグ紛失事件。親族については生死どころか名前も怪しくなる。息子(私)を本人の末弟と誤認することが出てくる。普通のやりとりを悪口と受け取ったり、会話自体に乗れなかったり。デイサービスでの作品も雑になってくる。朝食と同じ内容の食事を複数回食べることも増えてくる。食器の戻し場所がさらに劣化
 
2020/03~2020/11:発病から11年2ヶ月/死まで1年10ヶ月~発病から11年10ヶ月/死まで1年2ヶ月:
世の中はコロナで混乱するも、母への影響は少ない。安全のため導入した電子(LED)線香があぶられる。元気なこともあるが、横になっている時間が増える。「来なくていい」が進化して「帰れ」と言うことも。物の名前が時折出にくくなる。夜着の選択能力崩壊。味覚も劣化?
 
2020/12~2021/01:発病から1年11ヶ月/死まで1年1ヶ月~発病から12年0ヶ月/死まで1年1ヶ月:
保険証関係も家族/ヘルパーが管理する方向で議論開始。スマートタグ導入。専門医医院内の通所デイサービスに通い始める。諸事にフレイルの予感。首の痛みなど増える

2021/02~2021/08:発病から12年1ヶ月/死まで0年11ヶ月~発病から12年7ヶ月/死まで0年5ヶ月:
在宅医療開始。息子(私)が誰かわからなくなることも時折。一人暮らしはもう無理かもという雰囲気になる。段差解消ステップ、車椅子の導入につき議論

2021/08~2021/11:発病から12年7ヶ月/死まで0年5ヶ月~発病から12年10ヶ月/死まで0年2ヶ月:
終わりの始まり。首と背中の痛みで救急搬送されるも、やがて症状が消失し、返される。コロナ全盛期のため、様子見入院もできず。その晩は意識障害。翌朝に復活。痛みは続く。訪問看護開始。介護ベッド、段差解消ステップ、車椅子導入。二階の寝室にいることが増え、一階のリビングに呼ぶと、何時であっても朝の起床のような行動をするようになってくる。暗い寝室で出口を探すこと難渋することも

2021/11~2022/01:発病から12年10ヶ月/死まで0年2ヶ月~発病から13年0ヶ月/死まで0年0ヶ月:
膀胱癌発症。血尿続く。末期をどこでどう過ごすかという議論開始。トイレ汚れ顕在化。デイも無理。終末期対応ということになり、入院決定。その前日の最後の晩餐の準備中のお別れ

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