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12年のアルツ観察記録:母は自宅で逝きました(138):2022年1月

発病から13年0ヶ月/死まで0年0ヶ月

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 15:20着。
 トイレ汚れ。
  一階:悪夢レベル一回、準悪夢レベル一回、少々二回
  二階:少々一回
 回数については以前よりも昼でも頻繁か?
 今日も主訴は喉の痛み。突っ伏しても頭をかかえる。
 結構長くマッサージする。
 食べないとかまた言っていたが、夕食におにぎり一個と焼き芋少しと点心を用意。多いと言うので抗わずにおにぎりを割って近くに置く。一度トイレに行って戻ると取り置いたほうも食べる。頭をかかえたりトイレに二回行ったりするも完食。
 のど飴をたくさん買う。
 寝る前の歯磨きとトイレの後に疲労困憊。念のため寝室に連れて行くが、倒れ混むレベル。

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 昨夜、ベッドに崩れ落ちるように座ったので、そのままであることを心配して、夜中に見に行くと、布団に入っている。しかし照明点灯。照明を正しく使わなくなってきたかも。夜のトイレのときにも寝室は暗いままで、終始手探りで動いていることが多いように見える。
 昨日書き忘れたが、朝電話子機が床に落ちたままだった。出口探しによるものと思われ。
 意外にスムーズに起きる。喉の痛みも聞かれたときに応える程度。但し、トイレ他の何らかのアクションで「痛い」と言っている。
 RP(リハビリパンツ)6枚。一個は昨日のものの回収漏れの可能性。
 やや多めの朝食につき完食。
 トイレ汚れ。
  一階:昼食前にカオス。便座、床、タオルに及ぶ。昼食後中規模
  二階:朝に軽く

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 年末年始の様子につき、私の観察とヘルパーさんの報告に基づくまとめ。
①  血尿続行。夜含め頻尿。RPを一晩で3~7枚程度消費。昼に突然の尿意も
②リビングでは、ほぼ一貫して突っ伏しまたは頭を抱えた状態。人が話しかければ反応するが、テレビの音声に対する反応は以前より弱い
③食べ始めれば食事量は十分に良好。但し、喉の痛みを理由に食べないということも多い(特にヘルパーさん対応時)
④ほぼ常時喉の痛みあり。だるそうもしくは辛そうに見える場合でも主訴は喉
⑤家族が起こす場合でも手間取ることが増えた。本人的には喉理由
⑥トイレを汚すことが増えた。便座、床、ペーパーカバー、壁など。一階に半日強居る場合で3~4回掃除が必要。以前のお尻トラブル再発の様相もあり
⑦一階のベッドの稼働率が増えている可能性。寝場所で暖房をつけていないことがある一方で不在場所が暖房されている可能性
⑧それほど継続していない印象ではあるが、簡単な動作の後にしんどそうに見えることあり
⑨寝室でベッドから間違った方向に着地して、出口探しをして発見できずに物を落とすことが増加。照明のスイッチが手近にあるときでも手探りで行動していると思われるケースが増えた印象。
 以上を受け、1/8の泌尿器科再診はかなり困難なものと考える。通院せずに検査結果他をJ病院在宅部に引き継ぎするような手続きの可否について関係者相談。
 
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 確定診断がついたので、後は検査はせずに症状に合わせて、対症療法だけでいいという考えならこのまま通院中止して、在宅で経過をみていくということでもいいのではと考えもあったが、とりあえず1/8は介護タクシー利用で行き、トイレ介助を含めた院内での介助、車椅子の介助をヘルパーさんにお願い、診察が終わったら、我々を残して、母とヘルパーさんで先に帰宅とする方向に。
 
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 15:45着。
 朝の訪問時は、いつもに増して喉の痛みの訴えが強く、熱い物は飲めず、パンは拒否、リンゴのすりおろしを少量食べたのみ。ふらつきが強く、ハアハアしていたとの報告。
 テーブル上は散らかり、トイレは汚れているという混乱。明日は病院に行けるのか?
 デイからまあふらふらと帰って来たが、声はそこそこ元気。デイの担当者から「デイはもう無理。施設か病院で終末期対応を」と言われてしまう。血圧や脈等はいつもと変わらなかったとのことだが顔色不良でため息ばかりつき、話をほとんどしなかった様子。
 J病院在宅部のKさんも「一人でいることがいよいよ限界なのではないか」との判断。
 良い部分を見れば簡単に踏ん切れない面もあるが、意見は意見として参考にする。明日の診察結果と合わせて議論すると兄と合意。
 夕食ペース悪し。量も少ない。衰弱レベルではないが...。
 食事中に手の震え。寒いとのこと。触れると痛がる。
 夕食中の数回を含めて一階でもトイレ頻繁。上がる前に間隔が数分のこともあり。一回は妙に長い。
 
1/8
 1/11 9:30にJ病院に入院決定。前日入る予定。
 頻繁なトイレと何かと声(一人言、いびきともうめき声ともつかぬもの、軽い叫び声的なもの)で眠れず。廊下では普通に「寒い!」とか言っている。
 どうしても起きず。30分以上言い続け、終盤ヘルパーのNさんが加勢してくれるも「外に出たくない」と言い張るので、泌尿器科通院キャンセル。
 顔色悪し。
 何も食べたくなさそうだったが、Nさんにカフェオレ(250ccくらい)と焼き芋少しを食べさせてもらう。
 J病院在宅部のKさんから9:45に電話。様子見に来てくれることになる。母は「医者行くのは嫌だが来てもらうなら」と言うので、往診もお願いする。
 Kさん到着。
 泌尿器科の12/4の診察結果は、J病院から問い合わせてくれるとのこと。
 入院後は、コロナなので面会不能。Web面会あり(詳細不明)。本当に体力が落ちたら、二人まで、15分、1日おき、、的な許可がされるらしい。
 多少入院期間が長くなっても、余程良くなった場合以外は転院は強制されないとのこと。
 1/11の持ち物は、朱肉印、保険証、保証金五万円、薬一式。
 若い医師と看護士到着。
 喉の痛み止めを出してもらう。
 その後、寝室で母、兄と三人で話す。母は「病院に行かずに寝て直したい」とか言う。

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 ヘルパーのIさんからの報告。朝/昼の母は食欲良好。移動時に呼吸苦。
 
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 ヘルパーさんの報告。トイレに行くのにも息切れするレベルとのこと。 二階で寝ている状態で、現状ではとても下ろせないらしい。
 15:15着。
 寝室ベッド上で、大きな焼き芋の1/3くらいをペースト状にしたものと多目のカフェオレ完食。
 それでもトイレの行き来の足取りは危うい。
 ヘルパーのHさんが背負って下りてくれようとするが、事故の発生やフォローを考えると上にいてもらったほうがベターと考えて、下ろさないことにする。
 18PM台(推定)に母は二階トイレで他界。一階に親族が集まり、入院前の食事会を準備しており、様子を見に行った折に、床に座った状態で発見された。完全に理想的とまでは行かなかったが、最期まで自宅に居られて、少しずつ弱っていく形だったので、とても幸せだったのではと思うしかない。自分としては、無論悲しかったが、何とかきちんとやりきったという達成感も強かった。

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