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12年のアルツ観察記録:母は自宅で逝きました(011):2011年6月

発病から2年5ヶ月/死まで10年7ヶ月

6/10
 薬の小分けについて10セクションの容器に曜日を貼ったものを準備
 
6/11
 ケアマネとヘルパーステーションからの二名来訪。介護プランを打ち合わせる。
・介護保険証関係確認
・通院形態を聞かれる
・服薬管理
 分封の可能性
・通院補助関連
・食事/調理関連
・調理関連
・掃除関連
・服薬管理・ゴミ出し・チラシ整理・賞味期限切れチェック
・ヘルパーステーションとの契約関係

6/13
 ケアマネ報告。
 母は薬を服用していなかった(しかも薬がすぐには見つからなかった様子)とのこと。
 明日は専門医の日だが、薬の一包化についてはケアマネ経由はダメで、家族から要請しないとNGの由。
 
6/14
 ケアマネ報告。
 両親ともに「何でヘルパーが入るのか。薬は飲んでいるのに」と不満の様子だが、「息子さんから頼まれています」と言って、納得してもらっているとのこと。母は直近の訪問についての記憶がないとのこと。薬のケースなども結局見つからず。
 
6/14
 メモと言い薬ケースと言い、重要なものほど選択的に目の前からなくしているような行動に辟易。指示めいたものは排除したいという気になることがあるのか…。本当の意味で紛失しているのか。
 
6/16
 昨日は夕方までに何もなさそうだったので、少し安心。言葉での説得は同じ繰り返しになってしまうが、新たな習慣として、具体的なものや行動の伴うものへの順応性は少しベターな気がするで、文句を言いつつも新習慣が確立するのを期待したいところ。
 
6/16
 ヘルパーのTさんの報告。 
 母は受け入れが良好(父は良くない)。服薬。小分けのケースに母自身でセットするなども行ったらしい。ただ薬を動かしてしまうようなので、今後の様子で薬の場所を再検討が必要かもとのこと。
 複数回と見られる鍋の焦げがあったとのことで、その方面にも要配慮との見解。
 
6/17
 この時期から夕食の配食サービスを試す。

6/21
 父、脳梗塞で倒れる。母は正しく救急車が呼べなかったようで、ケアマネさん、近所の方のサポートを得た様子。10月の死亡時まで、父とのコミュニケーションの回復無し。

6/22
 父が拒否していた新聞・チラシ等の片付けなどにつき、家族/ヘルパーさんで進めることにする。
 暑さ対策と片付けにつき作業開始。
 母が父入院の事実をどれくらい認識しているか心配。すこぶるしっかりしていることもあるが、過去に入院をした病院に行ったり、”お父さんがいない”モードになっていたりするのではないかと。
 
6/22
 父入院の情況の話を含めて割合しっかりしているかもという気もしつつ、介護の費用の支払い方を何度も聞くような情況。
 朝、母は病院からもらった紙を持ってタクシーで行った様子。電話で呼ぶことはしないはずなので、流しのタクシーが来そうな道路へわざわざ行ったか?
 
6/23
 この頃、保険証や鍵や印鑑や眼鏡やDMやらの行方不明になり、その探索に長時間かかることが続く。以降、かなり解決されるが、それは病状の改善でなく、いろいろな工夫や周囲の経験値の向上によるものと思う。
この日の探索で、以前から無かった新しい介護保険証をようやく入手。
 
6/24
 兄が会社で会議中に母から電話。「お父さんが入院した」とのこと。三日前一緒に病院に行ったこと、昨日は私と一緒にいたことを告げると、「どうしたんだろう」と自己嫌悪の様子。
 
6/27
 母に電話したところ、午前中に病院に行ったとのこと。相変わらず寝たような状態で、話しかけには反応するような状態とのこと。病状や今後の見通しについて改めて話すと、概ね理解という感じ。当然不安感あり。不見当識的なところは幸いあまりない。毎日行くというので、無理しないようにと言う。
 病状悪化の可能性について話すと私より”そのときはそのとき”感が強く腹が据わっているかも。
 
6/27
 兄が近況につき、叔父(父の弟)と叔母(母の妹)に説明。
叔父は、母親について、「電話で話しても普通の状態」との認識。叔母は、母が待ち合わせをすっぽかしたことがあったこと、受診を勧めたが強く拒否したことなどを話してくれたとのこと。

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