猪木へのレクイエム
お恥ずかしいことに、子どもの時ならともかく、あろうことか、十代も終わり頃に至って、私は、実にアタマの悪い友人連中の影響でプロレスを見るようになった。
だが、その時には既に猪木は盛りを過ぎており、その次の世代(例えば佐山聡や前田日明など)に私の関心は集中した。
だから、猪木個人に、思い入れはない。
思い入れはないが、彼のシンボルとしての、イメージとしての巨大さには、当時から感嘆していた。
とにかく、そこには虚実が合体して、繰り返し「あの時の真実は?」とか、私たちのどこか暗い想像力をかき立てるものがあった。
この暗い想像力をかき立てる「シンボルとしての猪木」の継承者は、唯一、前田日明くらいであろうが、しかし、これで打ち止めであろう。かつての意味での「プロレス」は、もはや終焉したからだ。
だが、私と同世代の前田には、猪木ほどの暗さと滑稽さがない、今は、そう思う。
猪木は、常に、大人たちから嘲笑、といよりもむしろ、どこか苦笑されてきた。
それは、今もなお、そうだ。
ジャイアント馬場は、ある種、突き抜けたところがあって、もはや大人たちの嘲笑の対象ですらなかったが、猪木は違った。
彼は、大人たちに反逆したのだ。
それを、彼は自らの「スタイル」として身に付けた。
ところが、その反逆の、なんとマンガじみたものであったか。というよりも、あの「梶原一騎」の圧倒的な影響力を通じて、それは文字通りのマンガであった。
増幅されて虚実合体したイメージが、まさにその点で、マスコミの中で存在価値を発揮し、プロレス業界でかろうじて影響力を維持し、しかし徐々に、衰弱したシンボルへと縮減していった。
マスコミもまた、彼をある種の骨董品としてしか扱わず、ただそれだけで、多少の視聴率を稼いだ。
これは、今もなお、そうである。
私は、猪木には暗さと滑稽さがある、そう書いた。
とりわけ「滑稽」という表現には、猪木ファンの憤激を買うに違いない。
だが、人生とは、どう転んでも滑稽なものではないか。
少なくとも私は、自分の人生を、どこか根底的に滑稽なものだと自己認識している。これは一種の諦念ですらある。
だが、私程度の薄っぺらな自己認識など突き抜けた、はるかな高みと複雑な迷宮の中で、猪木は生きたのだ。
この暗さと滑稽さの中で、この男はマスコミと徹底した共犯関係を結び、そこに自らの「商品価値」を見出し続け、その生を生き抜いたのだ。これこそが彼の闘争の本質であった。
猪木は、生きた。
そして、死んだ。
以上は、私なりの猪木に向けた追悼文である。
もう楽になれ。馬場さんと、一杯やれるぞ。
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