人文学ゼミ『源氏物語を読む』 受講生の声

「『源氏物語』を読む」
講師:西原志保(人間文化研究機構 国立国語研究所 非常勤研究員)
第 1・第 3 金曜(5 月のみ第 3・第 5 金曜)(4/3、4/17、5/15、5/29、6/5、6/19、7/3、7/17)
19:15〜20:45
会場:スペース・コウヨウ 6 階
https://www.kuniken.org/application

KUNILABOでは、2018年から継続して人文学ゼミ「『源氏物語』を読む」を開講しています。このゼミについて、継続して受講している受講生の感想を紹介いたします。

(1)原文を読むことで初めて見えて来た『源氏物語』

 「『源氏物語』を読む」は、原文で『源氏物語』の「宇治十帖」を読むゼミナールです。原文を読み慣れて行く内に、高校生の頃に読んだ与謝野晶子訳と、社会人になってから手に取った円地文子訳の現代語訳の違いに気付いた事を思い出しました。覚えている表現と違った書かれ方をしていたので、気になっていたのです。それはどうしてなのか、源氏ゼミで原文を読みながらわかって来ました。同じ日本語ですが、現代の言葉に訳すには、どんな言い方がベストなのか、それぞれの作家がよく考えた結果、作家によって少しずつ違う現代語訳が出来たのでしょうね。そういった経験を経て、今は谷崎潤一郎の現代語訳にも興味が募っています。

 現代の言葉に訳しようのなさそうな表現、当時の文章でないと表現できないかもしれないと思える文章。現代語訳に違いが出るわけです。当時の文章表現の豊かさにも驚きました。この講座で、原文で読む事の意義と面白さがわかって来ました。

 『宇治十帖』の場面でいま一番心に残っているのは、主人公の一人の薫が、部屋の中の鍵穴のような節穴から、隣の部屋にいる片思い相手の姫(大君)を覗き見する場面です。それは当時の貴族にとってもお行儀の悪い事のように思えます。何より雅の象徴のように思っていた貴族の男性が、体を屈めて必死に節穴から向こうを覗いている姿を想像してしまって、おかしくて。「では、この人達はどんな人達なのだろう?」と、改めて平安時代の人々や、貴族がどのような暮らしをしていたのか、興味がわいているところです。

(受講生K)

(2)憧れのハイスペック男子との恋愛、理想と現実の物語

 『源氏物語』は主に「帝の皇子であり、文武両道、容姿端麗、お金持ちで仕事も出来て、女性の心に寄り添うのもたいへん得意。何をやっても素晴らしい理想的な男性」である主人公の光源氏が、様々な女性たちと恋愛をする物語とイメージされているかと思います。このような光源氏はもはや神話的英雄です。

 しかしこの英雄的な光源氏像は、第一部(桐壺〜藤裏葉)まで。「若菜」から始まる第ニ部では、政治家として頂点を極めた光源氏の中年期以降が描かれ、光源氏も英雄から普通の人間へと変わっていきます。第二部では身分の高い正妻女三の宮が、柏木という若い貴族との間に男の子(薫)を生みます。若い妻が若い男に心を移したと思い嫉妬に苛まれる光源氏は、本当は無理強いされた不義の関係に苦しむ女三の宮の心を慮る事もなく、女三の宮を責めるのです。このように、神話的世界から、物語は次第に人間の世界へと移行して行きます。

 そして第三部『宇治十帖』は、光源氏の死後、女三の宮の息子薫の世代が主人公になる物語です。誰にでも愛される英雄だった光源氏の面影もなく、薫は父柏木の運命を受け継ぎ、愛する人に愛されない苦しみの中を生きます。光源氏のように、身分が高く、美しく、世の中で価値があるとされるものを持っていても、薫は女性から愛されません。

 一見幸福そうな大貴族の美しい貴公子との恋愛。しかし薫に思いを寄せられる宇治の宮家の姫大君(おおいきみ)は、薫との距離が縮まれば縮まるほど、希死念慮にさえ取り憑かれます。何故幸せの見込まれるはずの恋愛が、大君に不幸を感じさせてしまうのか。

 千年前の日本の物語には、時代を超えて共通する人の思い悩みや心が込められて、現代人に向かって開かれています。そして「宇治十帖」は、『源氏物語』のなかでも、ひと際複雑な世界を持ち、文学的技巧も凝らされています。

そういえば文学を読むとは一体どういうことなのか

 このような『源氏物語』の捉え方が出来てきたのも、西原先生の講座を受講してからです。自分達でそれぞれ『源氏物語』を読みながら、こんな解釈、あんな解釈を受講者達がそれぞれ組み立てて行き、自由に語り合います。定説や一般的な『源氏物語』の解釈を教わるのも面白いですが、一見アクロバットに見える読み方も可能だとわかってきたころから、面白さが増しました。

 ポイントは、専門家の先生が授業中に常に我々の解釈をきいて下さるところだと思います。「アクロバットな解釈も可能」といっても、やはり「その解釈は成り立たない」という読み方はあります。何故そうは読めないのか。では、何故とある解釈は可能なのか。違いはなにか。物語を読むとはどういうことか。試行錯誤をしながら、『源氏物語』を通して、物語を読む面白さを改めて学んでいます。

 多角的な視点で読んでいける事も大事だと思いますので、一同新メンバーの登場を歓迎して待っています。

(受講生M.O)

 講師 
西原志保(にしはら しほ)
人間文化研究機構国立国語研究所研究員
専門は『源氏物語』を中心とした日本文学。著書に『『源氏物語』女三の宮の〈内面〉』(新典社新書)、論文に「女三の宮のことば―六条院の空間と時間」(『日本文学』2008年12月)ほか。

書影


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