漫文駅伝特別編『矢文帖』第4回「けいいちけいじと、一八〇秒の熱量(双葉社)」如吹 矢ー
たまに私のような無名の芸人に対して「いつまで芸人続けるつもりなの?」と蔑むようなニュアンスで言ってくるやつがいて、その度にうるせえなと思っている。
芸人にはノルマや年齢制限、定年はない。
やりたいからやっている。やらなくなったら引退。
芸人をやるもやらぬも自分自身が手綱を握っている。
ただし、その手綱の張り具合は人それぞれである。
酒を飲んで酩酊するたびに「漫才やりたいな。」とつぶやく男がいる。
けいじ。けいいちけいじという漫才コンビを組んでいる。
けいじさんを初めて目撃したのは2014年。たまたまつけたテレビで放送されていた漫才新人大賞という賞レースで漫才をしている姿だ。
同じような言葉でも違う意味を持つ言葉というネタをやっていた。
「パンツとパンティの違いわかるか?」
「パンツは男性用。パンティは女性用とかじゃないの?」
「違うよ!パンツは履くもの。パンティは被るものだろう!」
熱量の高い捲し立てるような口調と心地良いテンポの漫才で会場を沸かしに沸かしていた。
さらには客席にいるゲストのビートきよしさんを見つけて、
「ビートたけしとビートきよしの違いは?」
「ビートたけしは世界の北野。ビートきよしは何しに来たの。」
ぶっつけ本番で大御所をネタにする度胸に驚いた。子供がゴーカートをコーナーにガンガンぶつけながら無邪気に運転するかのように楽しそうに漫才をしていた。
そんな、けいいちけいじと2015年にオフィス北野主催フライデーナイトライブのネタ見せで初めて会った。
あのけいいちけいじがいる!と驚いたが、その時もライブ本番も挨拶程度で特に会話することはなかった。
それからしばらくして、九段下の科学技術館で開催されたTシャツラブサミットというイベントの1コーナー、お笑いサバイバーシリーズで再会した。
ネタ終わりに行われる観客の投げ銭でその日のギャラが決まるというコーナーで、けいいちけいじは観客からたくさんの銭を投げ込まれていた。
けいじさんが投げ銭でパンパンに膨らんだ封筒を嬉しそうに覗き込みながら楽屋に帰ってきた。
視線が封筒の中身に集中していたせいで、下りているシャッターに頭をぶつけた。
その姿を見た超新塾のアイクぬわらが床に倒れ込み腹を抱えて笑っていた。
これこそ世界共通の笑いなんだなと思った。
我々は投げ銭が少なかったので、さっさと帰る準備をしていたら、けいじさんが目の前に封筒を掲げて「ちょっと飲みませんか?」と声をかけてくれた。
皇居の周りにあるベンチで缶ビールを飲んだ。
そこからライブで一緒になるたびに飲むようになった。その度にけいじさんは「やっぱ漫才は楽しいね。」と言った。
そして、ライブで一緒にならなくても飲むようになった。「漫才が一番かっこいいんだよ。」
汚い中華屋でも寒い公園でも飲んだ。「漫才っていいよね。」
けいじさんが当時10年ほど付き合っていた彼女と別れることが決まった夜も飲んだ。
その日は大衆居酒屋に呼び出された。安室奈美恵が引退宣言を発表したくらいの時期だったので、店内BGMの有線は彼女の曲がひっきりなしにかかっていた。
いつも饒舌なけいじさんが無言だった。私もその雰囲気に飲まれ、何と声をかけたらいいかわからなかった。
しばらく沈黙の時間が流れたのち、けいじさんは突然「俺、彼女と結婚を考えてたんだよ!」と言って涙ぐみ、それと同時に店内に「CAN YOU CELEBRATE?」がかかった。
有線の最悪のDJっぷりに白目を剥いた。その日は漫才の話はしなかった。
2018年、けいいちけいじは解散した。相方のけいいちさんは引退した。
けいじさんも就職することを考えたらしいがピンで活動することになった。
漫才への気持ちが潰えることはなかったのだろう、しばらくしてルサンチマン浅川さんとコンビを組んだ。
しかし、自分の思うリズムの漫才が出来ずに苦しんでいた。ライブ後に飲んでも「漫才って楽しいね。」は聞けなくなった。
ほどなくして解散した。仲違いしたわけではない。コンビ間だけで察知する呼吸がある。
それからしばらくして「やはりお前しかいない」と説得したのだろうか、けいいちけいじを再結成した。
私は復活のライブを見に行き、それから何度か舞台で共演した。離れている間のそれぞれの経験を原料に醸成された漫才はブランクがあったのによく受けていた。
「漫才って楽しいね。」
だが、今現在けいいちけいじの漫才を見られる機会はほとんどない。
けいいちさんは家庭を持ち、けいじさんはコロナ以降に始めた仕事が多忙らしい。
けいじさんは酩酊するたびに「漫才やりたいな。」と言うようになった。
私はうるせえなと思いつつ、またライブ終わりに飲める日が来ることを願っている。
手綱の張り具合はどうですか。
「一八〇秒の熱量」山本草介(双葉社)
この作品はB級ボクサー米澤重隆が年齢制限による引退を回避するために日本チャンピオンを目指す姿に密着したノンフィクションである。
舞台となっている2013年当時、日本のプロボクサーの定年は37歳と決まっていたのだが、特例で元チャンピオン(=日本、東洋太平洋、世界)や世界タイトル挑戦経験者は年齢制限を設けないことになっていた。
当時、米澤は36歳3ヶ月。引退が間近に迫っていたが、定年までの残り9ヶ月で日本チャンピオンを目指すという無謀な挑戦を決意する。
B級のボクサーがたった9ヶ月で日本チャンピオンになれるなんて誰も期待していなかったのだが、米澤の不器用ながら努力を重ねる姿、試合での予想以上の奮闘に周りの人が次第に熱狂していく。
さらには東洋太平洋ランカーから金星を挙げ、世界ランカーと戦うことになり、これはもしかしたらという展開に。
年齢により体にガタがきて、ボロボロになりながら、わずかな望みにじりじりと歩みを進める愚直な姿に読んでいるこちらも熱くなる。
やりたいからやる、続けたいからやるという熱量に心打たれる一冊。
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