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動きの導き思考 2023.6.30


注:A-Yoga認定者内だけでの閲覧にしようと思って書き出したので、そのあたりご了承ください。

先日投げかけた、A-Yoga Movement Coachのサプリメンタル講習(初期の養成受講者へのMovement Coach内容のセミナー)の枠組みを考えています。

また近々にそれがまとまったらみんなにシェアします。
7月中には確定します。


今、Movement Coach養成を東京で行っています。

その時の様子を振り返りながら、そして認定者のみんなのことを考えながら、ふと浮かんできたことがあるのでシェアします。


養成を進めるうえで、一番難しいのが、動きを見る側の姿勢とそのバランス。

姿勢というのは、いい姿勢の姿勢ではなく、あり方(Being)

どういうスタンスで、どういう考えでその動きを見ているか、考えているか。


そしてバランス。
どこを良しとして動きを見るか。


養成の中では、最終的に持っていきたいところ、最適解にできるだけ近づけて、それを体感してもらうために、細かいところまで話がいきます。

「背骨のここを持ち上げて、後頭骨をここで、骨盤のこの部分を、、、」みたいに、かなり細かい話になります。本来であればそれを先にやってしまうと、「ミクロ」なものの見方をしないと最適な動きにならない、、、という考えに陥ってしまうので、とっても不都合が多くなります。

この工程を2年間かけられるなら、おそらくその教え方はしないです。
でも8回で、「概念、全身の連動、感覚の知識、心を持つ人と向き合いその人の中にあるものを整理して導く」という事を学ぶ上では、かなりの工程を高速で走ることが必要になります。


養成によっては、走り切った、、、と言える前に終わることもあります。(基本はおさえられているけど)。なので、みんなが継続して学びを続けることで、ドンドン理解が深まっていく、、、そういう経験は皆さんの中にもあるとは思います。


で、じゃ、養成ではそうだけど、現実はどういう考えでいればいいのか、、、というところを切り離して考えようよ、ということを共有したほうがいいな、、、って思ったんですね。


それを思ったのが、茶道のお稽古での経験から。

ここ1年、仕事で必要になりそうだったので、茶道を習っています。
私のスケジュールなので、月に1回か2回。
やめようかな、、、って思うこともあったけど、どうにか1年続いた。


やめようかな、、、の理由は、毎回同じ作法をただ確認しながらやるだけだから、そこに面白さを感じなかった時間もあった、、、というのもある。でも私にとっては仕事から自分を切り離して、「その場にただいる」という時間としては大切と思えたから続いた。

手順を繰り返し行うことを茶道では「割り稽古」というのですが、まずはお作法の流れを体に覚えさせる。(ただ茶道の場合は、夏のお作法と冬のお作法がちょっと変わったりするので、冬のお作法覚えたかなぁ、、、って思ったら、夏になったりする、、、)


で、昨日お稽古の後、先生と話をする中で「あ!そういうことか。」と思ったことが。


先生から「このあとはどんどん流れるように作法を行いながら、動きを洗練させていく段階だから、それを意識していきましょう。」って言われて、物事の修練の肝がここにある、って思ったんですね。


よく認定者のみんなに聞かれるのは、
「どこまで細かく最初の段階で見ておく必要がありますか?」

「次のステップに行く前に、できてないことがあると、先に行けない、そんなときどうすればいいですか?」というもの。

私の答えは、
「その人の安全が担保される範囲であれば、まずはやってみたらいい」

「全体像がみえないと、細部の意味もわからないから、まずは全体を把握することが大事」

「先に行ってみないとエラーが見えないから、リスク管理をしながら、動かせるところまで動いてみて戻ってくればいい」

というもの。(もちろんその間も、常にセントレーションを意識して、最大限の最適解は引き出せるように導いていく)


今のやり方ではエラーが出ても、負荷を上げたり、ポジションを変えるとエラーが消えることもある。


人間の脳は偉大です。

「エラー感知とエラー修正」ができます。


この世の中、「エラー」を許さない風潮があります。
でもそれは私たち人間の進化を止めてしまう。


「エラー」ができない体は、「エラー」を許容しない人間となり、「エラー」ができない人間は、「未来を作ること」に意識が向かなくなる(現状維持=衰退)

と、話は少し大きくなったけど。

何が言いたいかと言うと、動きを作るうえでも、「割り稽古」と同じ意識で取り組んでみたらいいのではないかな、、、と。

多少のミスも、間違いもOK。

ただ間違って熱い茶釜に手を触れないように、危険なところにお茶碗を置いたら、「もう少し右へ置きなさい」って一言いいながら、その先を続けてみる。


経験をさせてあげる、経験の中でリスクを管理しながら進めていく。
そのために私たちトレーナー、インストラクター、コーチがいる。
(きっとそれは子育ても、そして人材育成も一緒)


大事なのは、教える側が「何が大事かをわかっていること」


細かいところ、美しさへの修練は、全体を把握した後で少しずつ整えていけばいい。


まずは向こうにある景色を、完走したときになにがあるのか体験させてあげる。それが大事。


大胆に、でも神は細部に宿るを思い、今日も人の身体と向き合いましょう。








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