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戦闘服からヘッドセットへ 5(第三話) 〜クビ寸前〜


「上杉さん。そのままだと、本当にいずれクビになります」
 
 横尾は真剣な表情で、向かい側に座り目の前のホワイトボードを茫然と見上げる上杉にそう言った。
 約束していた研修について、横尾は翌日すぐに上へ相談し、許可を得た事でさっそく実施している最中だった。
 お互いの勤務時間ラスト一時間を活用しているため、すでに2人の疲れはピークとなっていた。
 研修の内容は、お怒りのお客様や理不尽なお客様に対し、どのように話をすると円満に進むか、というもの。横尾からの質問に、上杉が口頭で答える、という形で行っていた。

 上杉の回答はあまりにも酷く、横尾は困惑してした。
 「もう一度、三問連続で進めますね。今の所、三問全部アウトです!」
「お、おう。もっと頭をひねって考えてみる」
 二人がいる場所は、電話対応しているオペレーターらと同じフロアではあったが、かなり距離は離れており、声も聞こえてこない奥の席での研修だった。
 横尾の横にあるホワイトボードには、先ほどの問題が三問書かれている。
「では、一問目、お客様から店舗の対応が悪かったとお怒りの声が第一声にありました。上杉さんは最初になんとお答えしますか」
「おう、いや、さっきの答えのどこが悪かったんだ?かなり丁寧に伝えたつもりだぞ」
 上杉は、何を言うと良いか考えが及ばない、という困り果てた表情をしている。

「先ほど、上杉さんはお客様に“そんな事を言われましても。こちらは電話での対応窓口です。お店ではないので、どうしたいのでしょうか?”って言いましたね」
「ああ、かなり良いだろ」
 横尾はため息をついた。
「わかりました。では、質問を変えます。上杉さんがお客様だとして、携帯会社へ行ったところ、先に着いていたのに、お金持ちそうなおじ様の常連客が後から来ました。なぜかそちらのお客様には丁寧な対応をし、自分は粗野な扱いを受けたとします」
「なんだって?そんな成金野郎に丁寧で、俺には適当なのか。俺はスマホにお金をかけるタイプなんだ。そんな態度だと、後で後悔するぞ。他の店舗で買ってやる」

「そんな気持ちになりますよね。しかも、もういいですって帰ろうとしたら、ああ、と素っ気ない態度で帰されたとしたら」
「クレームだよ!そこで怒ったって店内でもみ消すだろうから、本社に電話だな」
「そう、その電話対応はこの窓口なんです」
「・・・そうなのか?」

「研修で最初に言ってますよ。では、上杉さんが電話をかけた時に、まず何と言ってほしいですか」
「そりゃ、謝罪だよ!電話だろうと同じ会社なんだから」
「そうですよね。ただ、まずはお客様がどのような目に合ったのかを聞いて下さい。お怒りのお客様は、“店舗で何がありましたか?”と聞くと、内容を話します。先ほどの様な事は絶対に言わず、聞くんです」
 上杉は、なるほどという表情で真剣に聞いている。
「そして、状況を聞いたら“それは、お客様にご不快な思いをさせてしまい、また、出来の悪い者が対応し、大変申し訳ございませんでした”と謝罪をします。クレーム内容があまりにも酷い場合は“それは酷い!本当の事でしょうか、あまりにも酷くお恥ずかしい限りです。大変申し訳ございませんでした”と共感をするという伝え方もあります」
「おお、確かに。そう言われると気持ちが落ち着くな。こいつの言う事なら聞いてやろう、と思える」
 横尾は少し口元をほころばせた。
「そうです、まず相手の方に落ち着いていただく、プラスこちらへの信頼を持っていただくという状況にしなければいけません」

「そうか、そうか」

「なので、聞いている間は、今のように自分や自分の大事な人がそのような目にあったと思って、聞く事を意識してください」
「おお!すごいな、納得出来る」
  横尾は、今後も長いスパンで研修を継続する事を覚悟した。
 まいったな、この調子だと、まだまだ時間はかかりそうだ。・・・ただ、上杉さんは素直な人だから吸収力が速い。時間は必要だけど、本人のやる気が続けばなんとか辞めずに済むかも知れない。運が悪ければ、ここを去る事になるかも知れないけど。
  お互いにクタクタな状態で研修は終了し、上杉の帰宅を見送ると横尾は休憩に入る事にした。

「横尾、特別研修だって?21チームは大変だな。アウトサイダーの熊虎コンビがいるんだろ」 
 他チームのASVが声をかけてきた。横尾の嫌いなタイプの人間だった。
 あぁ、またか。この人、自分より出来ない人間を小馬鹿にして楽しむ節があるんだよな。
「そうですね。でも大変さは、多かれ少なかれどこのチームでもあります。それでも、うちは楽しいですよ」
「へぇ」
 相手は、思っていた答えとは違ったのか、つまらなさそうに答え、フロアを出て行った。

「横尾君、研修お疲れ様。どうだった?」
 坂口SVが横尾を心配し、確認をしに来た。
「あ、はい。そうですね、正直、今後も長いスパンで研修を継続した方が良いかと」
「あ、やっぱりそう?」
「はい、知識は一回聞くと覚える人のようで、電話をとるほど身になっています。頭は良いです。ただ、感情コントロールが・・・」
 そこへ、21チームに最近ASVとして配属になった新藤宏が近づいて来た。
 新藤は横尾より二つ年上で27歳。横に長い眼鏡がトレードマークで背はスラッと高く、アニメ好きで有名だった。 
「俺、ちらっと研修を聞いてたんですけど」
「あ、新藤、さっき資料持って来てくれたよね。聞いてたんだ、びっくりしたでしょ」
 横尾と新藤は同期のため、年齢は違ってもため口で話す仲だった。
「正直、まずいね。反社を取り締まる警察とかで働いた方が活躍しそう」
 二人は新藤の意見を聞いて、つい笑ってしまったという顔をした。
「なんて言うか、自分本位なのか正義感強いのかよくわからない人だね。素直で元気過ぎる小学生のような」
 2人の笑いはさらに大きくなっていた。
 
 莉里は何か思い出したようで、二人の顔を交互に見た。
「そうそう、ところで、熊さんについてなんだけど」
 莉里は、大事な話をするような表情で。
「最初の試験ではかなり問題があるって言われていたけど、デビューしてからはそんな様子がなくて」
「ああ、この前、坂口さんと話しましたよね。知識もしっかりしてるって」
「そうなの、実はいつも一時間前に来て勉強していたり、前日の復習してたりして」
「あ、佐々木武さんの事ですよね?俺も今日見てたんですが。アベっている時も常に勉強をしてました」
 アベっているとは、英語のavailableを略した造語で。直訳すると利用可能・使用できる。コールセンター用語では、お客様からの入電が少なく待機時間が長くなっている状態を表す。
 その間、隣の席のオペレーターと世間話をする人もいるため、SVやASVからは勉強をするようチャットやメールが届く事が多い。

「あの方はやっぱり、努力家よね」
 その莉里のセリフに横尾は頷き、言った。
「努力しても、年齢が若くないと簡単に結果が出ない人は多いですよね。若くても要領が悪くて出ない人もいるのに。こんなにすぐに結果が出るなんて」
 三人は目を互いに合わせた。
「いやいや、そういう事だね」
「うん、だね」
 莉里は微笑みながら、二人に呼びかけた。
「私たちが、しっかり全員の事を、先入観を持たずに理解していこう」
 二人も頷いていた。
 すると、横尾は少し表情を曇らせていた。
「あのう・・・。実は、次のリーダー候補の片瀬さんが、少し心配で」
「え?片瀬さんが?」
  意外な人物の名前が上がり、莉理は衝撃を受けていた。
 

 
「片瀬!おはよう」 
「あ、おはよう」
 瑠美は声をかけたが、いつもと異なる片瀬の雰囲気に違和感を覚えた。
 見た目も、白いTシャツに着古したチェックのシャツを重ね着し、下は珍しくスウェットだった。

「最近、片瀬と出勤被らなかったね。会う日も少なかったし」
「え?ああ・・・。実は、俺さ、もう21チームじゃないんだよね。20チームに今月から入ってて」
「ええ!それ、片瀬が管理者候補だから、そのチームでそのままASVとしてなるためじゃない?すごいじゃん!!それで、どう?新チームは」
「ああ・・・・うん、しんどいかな。実は体調崩して3日ほど休んでたんだよね」
 瑠美は驚き、片瀬を見ると。確かに顔色や表情が良くないようだった。
「マジ?三日って、けっこう休んでるじゃん。風邪?」
「いや、微熱だけど何回か吐いたりして。頭痛もするし。今日も最後までいられるか分からない」
「ええ!それ、やばいじゃん。無理しない方が良いよ。大事な管理者候補なんだから」

片瀬は少し虚ろな目をしていた。
「管理者候補ね・・・」
 
 

「え!マジで?片瀬、チーム変わってたの?!だからか、見かけないなと思ったわ」
「全体メールに、お知らせで届いてたみたい。私もよく見てなかったわ」
 上杉、佐々木、瑠美、三平の四人と、この日は新しいASVの新藤も加わり社員食堂でお昼をとっていた。
「それで、片瀬は体調不良で帰ったのか?」
 佐々木は心配そうに聞いた。
「確かそのはずです。チームの管理者がいなくて俺が代わりにエスカレに行った時に、帰りたいって言われて。SVに伝えに行きました」
「それで、新藤さん、片瀬はどんな様子でした?」
「いやぁ、俺は片瀬君のいつもを知らないけど、他の人はいつもと違うって。心がやられてるんじゃないかって言ってたな」

 瑠美は少しだけ交わした今朝の様子を思い出していた。


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