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教育が大人のエゴになってしまう危うさをどうしたらいいのか

教育現場に関わるというのは、わたしにとっておもしろいと思えることで、かといって毎回満足のいく内容になるわけではない。

たとえば、地域の高校で、「地域で活躍する人からお話を聞こう」というような内容の講演を頼まれる。先生は「歳の近い人なら、生徒も興味を持ちやすいと思うので」と言う。なるべく興味を持ってもらえるような話をするよう努めるものの、聞いてるんだか聞いてないんだかわからないような生徒たちを前に、なぜかわたしが気疲れしてしまう。刺さってないんだろうな~と感じながら話し続けるのは結構しんどい。
でも別に、生徒たちはわるくない。聞きたくてそこにいるんじゃなくて、授業だから座っているだけなので真剣に聞く義理もない。先生が勝手に「この人の話を聞くといいんじゃないか」と選んだだけなんだから。

この経験を2年やってみて、「やっぱり大人が前に立って一方的に話したところで、関心持たれるわけないよな」と思い、今度は地域の中学校で、市内の事業者のところで職業体験をする、という地域学習を企画した。事業者といっても、「地元有力企業」とか「製造業」とか「コンビニエンスストア」とかではなく。
市内のフレンチレストランで料理、盛り付け、サービスを学んだり、造り酒屋さんや食品の加工業者さんと一緒に市場調査をして新商品開発をしたり、アイシングクッキーづくり、ベビーマッサージ教室、新聞記者の仕事を体験してもらった。
これを通して伝えたかったのは、生き方にはいろんな選択肢があって、地元にも楽しく仕事をしている大人がたくさんいるということ。自分の好きなことを仕事にしていたり、大人になってからも何度も仕事を変えたり、そんな多様な、先生でも親でもない大人たちの姿を見てほしかった。
わたしの暮らしている地域だと、地域に工場のある大企業に就職したら勝ち、みたいなことを平気で親も先生も言ってしまうような空気感がある。それはそれでいいんだけど、そのレールに縛られてほしくはない。
最後の授業では、体験した生徒たちから感想を聞いた。その内容はとっても喜ばしいものだった。「将来の夢を決めることを焦らなくていいんだと思いました」「もっと自由に将来のこと考えていいんだと思えました」などなど。こちらの意図が伝わったように感じられ、大人たちは大歓喜。地域学習として定着させていきたいという思いは、わたしたちと学校側で一致した。



またそれとは別の形でかかわっている中学校の地域学習。それは自然環境保全の活動の一環としてやっていることで、地域の魅力を大地、自然環境、生物、歴史などの視点で学ぶというもの。たとえば、「ここには昔松尾芭蕉が来ました。わざわざ目的地にするくらい魅力的なものがあったんです。それは何かというと、山崩れがつくりだした景観で…」と話をし、実際にフィールドを歩いてみる。そのなかで不思議に思ったことについて、探究活動を行なうというもの。その成果発表が先日あった。
一緒に授業に関わっていた同僚は、「よかったのは1クラスに1チームくらい。まず課題の立て方が違うもんな~」とぼやいていた。


生徒たちは「なんで池の水がエメラルドグリーンに見えるのか」とか、「なぜこの民話が地域で生まれたのか」などという疑問を見つけて(大人の誘導の甲斐あって?)、一生懸命考えたり調べたりしてくれた。
その内容が不十分だったとしても、
「そんな内容、花鳥風月一周しないと興味持てないし、正直、人生の余暇に突入した世代向きじゃない?」と、わたしは心の中で思った。
でも、「この活動のなかで地域を学ばせたい」という大人の都合で、来年はこの内容を固めてプログラム化していくという話になった。
それって本当に生徒のため?それとも、活動を地域に提供しているという実績作り?地域学習をやらなきゃいけないという指導要領に則るため?などと思ってしまう。


また別のとき、地域の4つの学校からそれぞれの代表者に学習成果を披露してもらう発表会が行われた。ある学校からは小学4年生が発表してくれたのだが、退職した理科教員の方がその生徒にべったり張り付き、発表の内容もスライドも原稿もすべて、その方が作っていた。生徒が学ぶ場を奪っているともいえるくらい過剰な手ほどきにドン引きしていたら、その元教員の方が「これまで表彰された生徒さんのものと比べると見劣りします。平成の頃だったら校内選抜で落とされていたようなもの。40年以上理科教育に関わっているものとしては納得がいきません」というようなことを言っていてもっとドン引きした。これって誰の発表会なんだっけ?



教育にはとっても可能性があると思う。というより、多種多様な社会の問題を解決していくために、教育しか道がないんじゃないかと思うこともある。
でも、これまで何度か教育現場に関わってみて、「教育って大人のエゴなの?」と思わざるを得ない場面もあった。

大人が思う、生徒にとって学んだほうがよさそうなことが
必ずしも生徒にとって、学んでおもしろいこと、為になることと一致するとは限らない。
子どもが自分で選び取れる選択肢が限られていたり、与えられた環境で過ごすしかない場合は、大人が用意した教育の機会を全うするしかないことも多い。

わたしの根底には、もっと生きやすい社会をつくりたい、という思いがあって、そのために、教育を通じてどんなことができるんだろうと考える。
今のところ大多数が縛られることになる義務教育の場を、過ごしやすくすることなのか。環境に関わらず、自分で自分の道を切り開いていける力を身につけてもらうことなのか。ただただ選択肢が増えるようにと、教育の場の代替案をつくることなのか。正解はあるのだろうか。

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